今月になって、金華山に行きたいと思うようになった。
行ったことないし
船乗らないと島に渡れないし
船は1日1往復しかないから朝早く出なきゃいけないし
とちょこっと躊躇したのだけど。
行きたい、が勝つ
若い頃は1人で行ったことのないところへ行くのも
ドライブするのも怖かったのだけど
もともとの好奇心の強さもあってか
今は行ってみたい、見てみたい、で動ける。
これと同じ軽さで、やってみたい、の行動も同じ。
もともと、なぜ行動するのが怖かったのか分析していくと。
失敗するのが怖い
他人に迷惑をかけるかもしれない
恥をかきたくない
損をしたくない
私の場合の怖いの成分はこれくらいかな
これを更に細分化していくと。
失敗が怖い→単純に未知への恐怖→そもそも起こっていないことを考えてもしゃーない。し、失敗しても生きてるし、今までの【失敗】を覚えていないから大丈夫
他人に迷惑かけるかもしれない→なにを今更。今までだって平常運転で迷惑かけているかもしれないのに?→しかもそれを笑って許してくれているというのに?→自分の器の小ささで他人をちっさい人間にしてはいけない。そして、やってしまったら逃げずに謝る。ただし、理不尽なやつからは一目散に逃げる。
恥をかきたくない→普段はちゃんとしてると思っている?→知らないでいる方がハードルが上がる→やって覚えればいい→第一そんなに注目されていないから大丈夫
損をしたくない→損ってなんだ?経験は得られるぞ
損について。強いて言うならば。時間を損した、と思うことはあったかもしれない。けれども、それって、自分が望んだ行動ではなかった、他人に合わせた行動だったから。そしてそれを選んだのは自分。
自分の感情を細分化させると、大体が傲慢だったりする。だから、謙虚さを学ぶために行動する。周りの人たちの温かさを知る。
おかげで、優しい感情が増えるから行動は怖いではなく、優しい気持ちにつながる。
怖いと見ているのは、動く前の自分の目線。
本当の周りの目線は応援だったり感謝だったり、喜びだったり、する。
何よりも。怖いのは周りの目を気にしているから。
大丈夫。自分が一番自分の評価高いから。
下がるのが怖いと思っているから、失敗したくないし、迷惑かけたくないし、恥かきたくない。評価下げる損をしてまで未知のことしたくない
うん。どこまでも傲慢なのが本音。
逆にそれが恥ずかしい。しかし私の本性。
だから、共存していくために表に出していく。
そして、愛に触れ、このままの自分で大丈夫と自分を信頼していく。
自分に期待できる自分であることを愛しく思う。
そうさせてくれる周りの人たちのおかげ。
謙虚さはなくても感謝の心は養える。
ありがとう
ありがとう
ありがとう。