社会人として失格。誰だ、それ最初に言ったやつ。
周りから、認めてもらいたいがために、形を変えることの出来る、器用なスライム人間になろうと、トライしたことがある。
お馬鹿だったので、大人になるってそういうことだと、勘違いしてた。
社会人として、とかさ。「〜〜として
」、そのテンプレートはそこら中に転がってて、個人を苦しめる。
個性を大切に、とはよく言ったもんだ。
どこかで排他的なくせに、いい顔して、〜〜として、は蔓延る。
んなもんクソ喰らえだと、パンクシーンに陶酔してみれば、パンクロッカーとして、が蔓延ってさ。
そうした流れに従う方が、ラクなのかなと錯覚するが、そうではない。
そんなことしてたら、自分が何がしたくて、何が好きで、何が嫌いで、何が面白いのかとか、分からなくなる。
そんなことしてたら、自分が何がしたくて、何が好きで、何が嫌いで、何が面白いのかとか、分からなくなる。
考えなくても生きていけるようにテンプレートにハマろうとしてただけのことで、アイデンティティの形成をサボってると、ハマろうとする。
昔、2ちゃんねるで、THUG MURDER / LAST TARGETの頃に、だいぶスレッドが増え、バッシングを受けました。
大いに嫌われているなぁ、と感じたわけですが、今は、感謝しております。
匿名希望の多くの方々に、あれこれ言われたおかげで、傷ついた事は確かですが、彼らにも認めてほしいって思って立ち回っても、中身は空っぽでは、何の意味もないことにも、気づきました。
〜〜として、を意識して生きるということは、遮断もせざるを得なくなる。
でもそこで健やかに一辺倒に生きていく人もいるから、まぁ、そこは、どうぞご自由に。
でもそれを硬派だとは、思わないように。
柔軟と堅固の使い分けは、頭を使う。
知恵とは、そういう時のために、身につけるべし。