「下戸の肴荒らし」

主人の三回忌の為、宮崎にJAL移動で帰省した。

機内では、総じて退屈な時間が発生する。

寝られたら良いが、ロングフライトではないし、乗り換えもある。

また、ドリンクカートがカタカタと近づく音を聞くと、喉が乾いていなくても..

「アップルジュース」を頼んでしまう😂

てな、感じ。貧乏性だ。

そんな時、

機内誌は待ってました❗とばかりに

私の視線を機関紙に向かせる。そして、

まんまと私はJALの機内誌【SKYWARD】におもむろに手を伸ばす。

パラパラのめくってると、


浅田次郎の【つばさよつばさ】

第246回〜下戸の来歴〜が目にとまる。

浅田次郎氏は主人が大好きな作家の一人である。

「導きかいな?」と、読み始めると〜

著者のお酒が飲めない(飲まない?)がゆえの

さみしく辛いエピソードが溢れていた。


私もお酒が飲めない。


「わかる、わかる〜」と心で頷きながらあっと言う間に読んでしまった。(三回読み返した☺️)

全部記載は出来ないが、一部を記載します。

お酒にまつわる旅でのおはなし。


(前略)

同行者たちは口を揃えて言う。
ヨーロッパで飲むワインは格別だ、と。 
あるいは、上海で飲む年代物の紹興酒こそ天の美禄である、と。
多少の思い込みや旅の高揚感もあろうが、どうやら時間をかけて仕込む醸造酒は、現地で封を切って初めて本来の味がわかるらしい。
到着した晩の宴は、乾杯ののち定めてこの話題から始まる。くやしさはすでに機内で使い果たしているので、私はひたすら食う。
いわゆる【下戸の肴荒らし】である。
飲めぬのか飲まぬのか。それはいまだによくわからない。正しくは「飲んだことがない」であろうか。

だが、親のせいにするわけにもゆかぬし、

説明するのも面倒なので、あるときうまい理由を考えた。 


「酒を飲んだら読み書きができないでしょう」


よくもぬけぬけと。

しかし小説家がそう言えば、人々は「お!」と唸って下さる。この際、余分を言ってはならぬ。

ただし、まったくの虚言というわけではない。

酒は時間がかかる。

飲んでいる時間に酔っている時間が加わるからである。つまり読み書きの時間に関して言うなら、下戸の私はかなり有利である。


考えてもみてくれ。酒のない夜は長い。アラビアの夜みたいに長い。しかもわが国には、お茶を飲みおしゃべりをしつつ夜更かしするなどという善良な習慣はない。
早い話が、本でも読むか小説でも書くほかヒマの潰しようがないのである。よって先の私のぬけぬけとした言は、まさかそれほどの覚悟で未来を期したわけではないが、結果的かなはわが人生に寄与したとは言える。
よってここは多くを弁ぜず、バッサリと一行でまとめて、「お!」という感嘆の声を待つのである。

そしてひたすら物食いながら、果てもないワイン談議に耳を傾ける。

おい。そんなにうまいのか。


(後略)


「下戸の肴荒らし」という言葉をこの年齢にて識る。浅田さん、ありがとう🙏。
まさに私が使いたかったフレーズ。

お酒は飲めないが、酒の肴は大好きな私。

まさに私も【下戸の肴荒らし】です。