後書きみたいなものですが、その後日本は日清、日露と立て続けに戦争をして勝利していくのですが、その真実は国民には正確には知らされなかったのですよね。
これがあの無謀な太平洋戦争に突き進む要因だったのではと今更ながらに思います。
時の政府の要人要職はほとんどが薩長出身者達です。いわゆる官軍の出身者ばかりといっても過言ではありません。
特に大きな要因が日露戦争終結時にあったのではと僕は思います。
あれ以上の戦争遂行能力が残っていない状況で日本は当時のアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領に口を利いてもらい(伊藤博文は戦争の止め時と知っていたし、その準備もしていた。これは偉いですね)ようやくぎりぎりの講和に持っていけたのにも関わらず、国内のマスコミは大騒動して勝った、勝ったとはしゃぎたて、実際の講和の内容など何も伝えもせず、神話的美談ばかりを強調し、ロシアに対し賠償金どこらかほとんど何も要求できなかった時の全権大使小村寿太郎に非難を浴びせ、暴動まで起こました。
それは余りにリアリティに欠け、その真実の結果を国民に知らせられなかった政府の責任は大きいですね。
だからこんな事が尾を引くんです。
きちんと終戦の状況を自国民に説明しさえしておけば、やれ世界の一等国の仲間入りだの、やれ日本は神国だなどといった妄想は生まれなかったし持たなかったのではと思うのですよね。
官軍は官軍の勝利者の論理で情報操作します。まったくリアリティのない情報ですね。
太平洋戦争の陸海軍の将校はほとんどが薩長閥ですが、中には山本五十六や井上成美、阿南惟幾や海軍大臣の米内光政などいわゆる戊辰戦争の賊軍出身者がいるわけで、その彼らの方が状況判断に長けていて一刻も早く講和し終戦に持って行きたい訳ですがその主張は薩長閥の軍部に受け入れられません。
山縣有朋の作った統帥権を持つ軍隊はまったくシビリアンコントロール(文民統制)を失ってしまっていたのですよね。
しかし結果的には「薩長が始めた太平洋戦争は賊軍が終わらせた」こう結んでいます。
なんと皮肉なことなのでしょうか。
と云うことで結末は我々の知るところとなるのですが、ある意味戊辰戦争に始まる「官軍」対「賊軍」の構図は太平洋戦争が終わったときにひとつの決着を見た、と半藤氏は語ります。
随分説明不足ではしょったところも多々ありますが、対談というのはやっぱり対談者それぞれの考えや知識が絡み合い、一人の作家が書くそれよりも更に会話の途中でその内容の深みに入っていけるような、そんな感想を持ちましたね。
まぁ、対談者のレベルにもよるのでしょうが、この本に関しては生意気なようですが「さすがだなぁ」という思いを抱きつつとても勉強になりましたね。
以上です。
長々となりましたが、消してしまった前回の文章より長くなってしまいました。
書いてるうちに思い出してくるものですね。