蓮實重彦→ジミー・スコット | なるべく猟奇に走るなWHO'S WHO

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ジャンルは主に、映画・音楽・文藝・マンガです。
僕の好きな人物、作品をWHO'S WHO形式でご紹介します。


なるべく猟奇に走るなWHO'S WHO 思えば僕が初めて彼の歌声を耳にしたのは、あの「ツインピークス」

の最終話、例の赤い部屋のシーンでした。ソファー以外何もない部屋で

小男がクネクネ踊っていたりとか、ただでさえ異様なところにもってきて、

あの歌声。サックスの伴奏のみで歌われた「シカモア・トゥリーズ」

でしたが、歌声の美しさはさておき、いったい歌ってるこのじいさん誰?

みたいな。声はもう完全に女性なわけです。まあデヴィッド・リンチ

のことだから、また観客を混乱させようと(事実混乱しましたが)男装の

ばあさん使ってるんだろう、くらいに思ってそれきりずっと忘れてました。

それが何年かして、NHKのドキュメンタリーにこのじいさんが出てきて、

あの歌声で歌うんですね。仰天しました。彼は、ばあさんならぬジミー・スコットという男性シンガーだったのでした。


彼は「カールマン症候群」なるホルモン異常の男児として生まれ、第二次性徴のないまま(つまり声変わりしないまま)

成人した、ということで、その歌声も納得です。ルックスといい、いかにもリンチ好みではありますが、監督はたまたま

ラスベガスのショーで彼の歌声(とルックス)にショックを受け、ドラマに抜擢したという次第です。

おりしも再評価の機運が高まっていた時期でもあり、はからずもリンチはそれに一役買ったことになりますね。




なるべく猟奇に走るなWHO'S WHO ライオネル・ハンプトンのオーケストラをバックにした、デビュー当時の

(まだリトル・ジミー・スコットという芸名だった)歌声は、ちょっと気負い

は感じられるものの、はつらつとした歌唱で、すでに風格みたいなものすら

漂っています。ジャズシンガーとしてのデビューだったとはいえ、その後R&B

やロックナンバーを取上げていますが、その全てがスローナンバー、というより

必ずスローで歌われており、彼にはやはり「バラード・シンガー」という呼び方が、

いちばんふさわしい気がします。ミディアムテンポ以上の演奏がないんですね。

ありきたりな言い方でアレですが、魂の入った歌声。まさにバラードを歌うために生まれてきた、みたいなシンガーだと思います。ただスローテンポにして情感

入ってるぽく歌えばバラードだみたいな、どこぞの国の歌手たちは、彼の歌を

聴いて、大いに恥じ入るべきだ!



なるべく猟奇に走るなWHO'S WHO 彼を尊敬してやまないレイ・チャールズのキモ入りで製作された

「フォーリング・イン・ラブ・イズ・ワンダフル」は、自他共に

認める代表作になるはずだったし、僕もそう思うんですが、好事魔多しで、

契約上のトラブルにより、発売後即回収という憂き目にあったいわくつき

の1枚。そのキャラクターからキワモノと見なされがちだった彼の、絶対的

自信作というか、満を持した作品だっただけに、これはもうただ不運としか

言いようがない。デビューから所属していたサヴォイからの横ヤリだった

そうですが、多分このトラブルが原因となって、彼はシーンから遠ざかる

ことになったらしく、最も不遇の時期はホテルのボーイまでやってたとか。

それにしても、70を越してからのカムバックというのは、すごいことだと

思います。そのガッツには、ただただ頭が下がりますね。

ちなみにこのアルバムは何年も経過してから、意外なかたちでリイシュー

されたんですが、そのへんの話は割愛。



なるべく猟奇に走るなWHO'S WHO
再評価が始まった時期の、アトランティックからリリースされた、代表作である

「ザ・ソース」。やはりというか、ジャケットの女性が彼だ、と勘違いされた

らしいです。アリフ・マーディンらのプロデュース・アレンジが良いです。

バックのジュニア・マンスロン・カーターの演奏も最高。どの曲も

すばらしいんですが、「デイ・バイ・デイ」や、超スローテンポで歌われる

トラディショナル「時には母のない 子のように」は絶唱とも呼ぶべき

大傑作。ちょっと打ちのめされました。




なるべく猟奇に走るなWHO'S WHO
ポピュラーな人気を獲得してからの彼は、次々新作を発表するんですが
「ホールディング・バック・ジ・イヤーズ」は取上げてるナンバーが

すごい。その年齢からは想像もつかない。まずは驚きのジョン・レノン

「ジェラス・ガイ」はじめ、エルヴィス・コステロプリンス(!)、

ロキシー・ミュージック(!!)etc.・・・誰の曲を歌っても、スコット節に

してしまうのもすごい。独特の世界観だと思います。

2000年には奇跡の来日まで果たしましたが、そのとき私は一身上の都合で

ライブに間に合わずホゾを噛みました。一生の不覚(iДi)・・・年齢を考えると

さすがにもう来ねえだろうなあ。亡くなったという話も聞かないので、すでに90歳

近いはずで、ほとんど最晩年に高い評価を受けた、という珍しいシンガーでした。





             さて次は、もうひとつ「男か女かモメた」、今度はマンガ家篇です。

             と言っても、こちらはほとんどモメてなかったのです。なぜならば・・・