涼風文庫堂の「文庫おでっせい」338 | ryofudo777のブログ(文庫おでっせい)

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私が50年間に読んだ文庫(本)たち。
時々、音楽・映画。

<ジャック・ロンドン、

孫子、

ヴァージニア・ウルフ>

 
 

1027「野性の呼び声」

ジャック・ロンドン
長編   大石真:訳  新潮文庫
 
 
目次
 
1.原始の世界へ
2.棍棒と牙の掟
3.野獣の支配欲
4.覇権をかち得た者
5.そり引きの労苦
6.人間の愛情のために
7.呼び声のひびき
 
 
 
ゴールド・ラッシュ時代、
セント・バーナードとシェパードの血をうけた
飼犬バックは、
ある日、邸から盗み出され、
アラスカ氷原へ連れてゆかれた。
 
そこには、
橇犬としての苛酷な日々が待っていた。
 
きびしい自然と、人間の容赦ないむちの響きに、
バックの野性はめざめてゆく。
 
数年後、
広い峡谷を駆けてゆく狼の一群のなかに、
毛並みのふさふさとした
たくましいバックの姿が見られた――。
 
                        <ウラスジ>
 
ロンドンの代表作で、『白い牙』 と並ぶ、”犬物語” 。
 
が、ロンドンはシートンのような、
動物文学専門の作家ではないようです。
 
『野性の呼び声』 と 『白い牙』。
この二つは映画化され、アニメ化され、
圧倒的な知名度を誇りますし、
何より文庫本として、手に入れやすくなっています。
 
ただ一筋縄ではいかないのは、
ロンドンが他の分野でも

無視出来ない作品を書いているということです。

 

<海洋文学>

『海の狼』

<幻想文学>

『影と光』

<スポーツ文学>

『試合』

 

ここに挙げた三作品は例によって

<読書案内>系の書籍に掲載されていたものです。

【世界の○○文学】ってやつです。

 

ただ、

この案内書に記載されている

作品の多くが絶版・廃版となっていて、

しかも、作品そのものが

長編か短編かさえわからないものさえあります。

 

ボクシング小説の傑作らしい(?)

『試合』 は文庫で読みましたが、

短編で、今はなき<教養文庫>のものでした。

 

 

<余談>

音楽くくりで。

 

”ロンドン” と言えば……。

 

1.ハイドン作、交響曲 『ロンドン』。

 

2.<ロンドン橋落ちた>

 

3.ジュリー・ロンドン。

 

4.”クラッシュ” の 『ロンドン・コーリング』。

 

5.♫ ロンドン、ロンドン、ロンドン、

    楽しいロンドン、愉快なロンドン、

     ロンドン、ロンドン ♫

 

悪巫山戯。

 
 
 
 
 
 

1028「 孫 子 」

不詳
町田三郎:訳注   中公文庫
目次
 
第一 計篇
第二 作戦篇
第三 謀攻篇
第四 形篇
第五 勢篇
第六 虚実篇
第七 軍争篇
第八 九変篇
第九 行軍篇
第十 地形篇
第十一篇 九地篇
第十二篇 火攻篇
第十三篇 用間篇
 
孫子の思想の特色は、
徹底した現実主義、合理主義に
つらぬかれていることである。
 
『孫子』 が兵書の域をこえて
読みつがれてきた理由もそこにあり、
現代のわれわれの社会にひき移してみても、
適切な示唆を投げかけずにはおかない
普遍性を備えている。
 
                        <ウラスジ>
 
 
                                         

ベタな人物評として……。

 
『孫子』
『君主論』 マキアヴェリ
『戦争論』 クラウゼヴィッツ
 
この三冊を読んでる奴は、タカ派で好戦的――。
 
まあ、とかく学生時代は左に傾きがちになるもんで。
 
ちなみにこの三作品、
すべて中公文庫で揃います。
(もちろん、岩波文庫でも)
 
<本編>
それでは三つばかり、馴染みのあるところを
抜萃しておきます。
 
 
【謀攻篇】

 

戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり。

 
中島敦の 『名人伝』 を思い出しますねえ……。
に、しても、ここだけ読んでも、
孫子がただの戦争好きとはまるで違うことが解ります。
 
 
【形篇】
 
勝つべからざる者は守なり。
勝つべき者は攻なり。
守は即ち足らざればなり、
攻は即ち余りあればなり。
 
<読み下し文>
だれもうち勝てない体勢とは、守備にかかわることである。
だれでも打ち勝てる体勢とは、攻撃にかかわることである。
守備につくのは戦力が足りないからで、
攻撃するのは余裕があるからである。
 
 
サッカーの試合で、
一人少なくなったチームがゴール前を固めて来る――。
 
セリエなんかじゃ、負けてるチームがそれをやってくる。
日本なら玉砕覚悟で攻め込むんだろうけど。
 
とにかく、いちいち納得できる文言ですが、
このくだりが、かの有名な
『攻撃は最大の防御なり』
に転じたらしい、という話。
 
かなり遠い。
 
にわかには信じられないし、
きな臭い感じがする。
先きの大戦あたりの時に変わったのかも。
 
 
【軍争篇】
 
故に兵は詐を以て立ち、
利を以て動き、
分合を以て変を為す者なり。
 
故に其の疾きこと風の如く、
其の徐かなること林の如く、
侵掠すること火の如く
知り難きこと陰の如く、
動かざること山の如く、
動くこと雷の震うが如くにして、
郷を掠むるには衆を分かち、
地を廓むるには利を分かち、
権に懸けて而して動く。
迂直の計を先知する者は勝つ。
此れ軍争の法なり。
 
 
『風林火山』、ここにあり。
 
 

1029「 燈 台 へ 」

ヴァージニア・ウルフ
長編   中村佐喜子:訳  新潮文庫
 
 
 
美しく神秘的な光を投げる燈台へ行こう、
暴風雨に妨げられて実現できなかった計画を
10年ぶりに果したラムジイ家の人々と、
その友人たちの心に去来するラムジイ夫人の面影を
抒情的に謳いあげた詩的散文。
 
幻想と現実がきらめきながら交錯し、
時間の無常さに翻弄される人間の奥底の夢を、
鋭い心理分析の上に立った 
”意識の流れ” の手法を用いて
流麗に表現した名作である。
 
                        <ウラスジ>
 
 
ヴァージニア・ウルフは常に、
眼前にある最も印象の強いもの、
あるいはその時の最も強い感情をいきなり描いて、
その説明なり、関連なりを後まわしにする方法を用いる。
 
『燈台へ』 でもいきなり、
ラムジイ夫人と幼児ジェームズとのムードから始まる。
そうして次々に、どういう関係とも、
どういう様子をしているともよく分らない人物があらわれる。
 
それでまず、その場所だとか、
それらの人物だとかのご紹介をしようと思う。
 
                <中村佐喜子:解説より>
 
はい。
では引き取りまして、簡潔に箇条書きで。
 
<場所>
スカイ島。
 
<登場人物>
ラムジイ氏 (哲学者)
チャールズ・タンズリイ (若い弟子)
ラムジイ夫人
ジェームズ (六歳)
リリー・ブリスコウ (三十過ぎ、独身の画家)
ウィリアム・バンクス (生物学者)
オーガスタス・カーマイケル (巨軀の老人)
ポール・レイリイ (若いカップルの男の方)
ミンタ・ドイル (若いカップルの女の方)
 
その他、ラムジイ夫妻の子供たち。
男(アンドルー、ロージャー、ジェスパー、ジェームズ)
女(プルー、ナンシイ、ローズ、カム)
 
 
目次から。
 
【窓】
ラムジー夫妻、子供たち、その友人たち。
ラムジー家の別荘、パーティー。
燈台へは行けない。
 
【時は逝く】
十年後、ラムジー夫人は他界、子供ふたりも死亡。
第一次世界大戦はじまる。
 
【燈台】
同じく十年後、再び別荘へ。
今度こそ燈台へ――
 
(ジョホールバルの歓喜の雰囲気で)
(”日本、フランスへ――”)
 
行った。
 
<余談>
比較的、早い段階でウルフを読んでいたとは。
 
このあと何十年か後に、
『オーランドー』
『ダロウェイ夫人』
『ヴァージニア・ウルフ短篇集』
と、立て続けに読んでいくことになりますが……。
 
 
ヴァージニア・ウルフは
『ダロウェイ夫人』 では、
一日を大方一生涯に拡大し、
『燈台へ』 では、
十年間を一日の形に凝縮した。
 
    <中村佐喜子:J・K・ジョンスタンからの引用>
 
うまい事を言う。
 
<意識の流れ>自体は
ジョイスの 『ユリシーズ』 とかで遭遇していましたが、
ウルフの場合、ジョイスと違って 
”けれんみ” がないから、
言われなきゃ気づかないほど、
普通の小説のように読めてしまいます。
 
何度か述べてきたと思いますが、
”三人称の中の一人称” という描き方は、
ミステリーなんかのジャンルの方に制約があり、
御法度であること。
 
……先に記載した、登場人物一覧とか、
エラリー・クイーン作品のカバーの折り返しと
見まがうものでしょうけど。
 
 
あと、オールビーの
『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』。
 
これ、よくよく調べていくと、
たんなる ”洒落” として使われたそうな。
 
よって、
ロンリー・ウルフでも、ピーター・ウルフでも良かったらしい。
 
♫ なーなーな ななな ♫
          『堕ちた天使』
 
 
 
 
 
【涼風映画堂の】
”読んでから見るか、見てから読むか”
 
 
◎「野性の叫び」 The Call Of The Wild
1972年 (米)
製作:ハリー・アラン・タワーズ
 
監督:ケン・アナキン
脚本:ピーター・ウェルベック / ウィン・ウェルズ /
    ピーター・イエルダム
撮影:ジョン・カブレラ
音楽:カルロ・ルスティケリ
原作:ジャック・ロンドン
出演
チャールトン・ヘストン
ミシェール・メルシェ
ジョージ・イーストマン
レイモンド・ハームストロフ
マリア・ローム
 
 
* まだDVDになっていないみたい。
* 私だけの印象かもしれませんが、
  60年~70年代の映画って、ソフト化されにくいって感じ。
* 特に70年に入ってからの 
  ”ニュー・シネマ” の勃興と関係があるのかも。
* 人工的な<総天然色>から、ホントの天然色に変わり――
* 画が急速に、暗く、穢くなる。
* この辺の画像処理に腐心しているのか?
 
* ケン・アナキン。
* 石原裕次郎も出演した、
  『素晴らしきヒコーキ野郎』 の監督。
* 『史上最大の作戦』(共同監督)や、
  『バルジ大作戦』などの大作も手掛けている。
* あと 『太陽にかける橋』 は三船敏郎出演作。
* 日本人俳優にも縁がある監督。
 
* チャールトン・ヘストン。
* マイケル・ムーアの
  『ボウリング・フォー・コロンバイン』 では
  損な役回りを演じてしまったが、
  好きな俳優であることには変わりない。
 
* いったい何作ぐらい観たんだろう。
* 史劇からSFまで幅広い作品群。
* 『地上最大のショウ』、『黒い絨毯』、『十戒』、
  『大いなる西部』、『ベン・ハー』、『エル・シド』、
  『北京の55日』、『ダンディー少佐』、『猿の惑星』、
  『ソイレント・グリーン』,『大地震』、
  『ミッドウェイ』……
* 硬軟取り混ぜたラインナップ。
 
* ヘストンが出ると、映画のランクが上がる。
  C級がB級に、B級がA級になる感じがする。
 
* さてさて、”主役” のハックを演じるワンちゃんだが、
  この1972年版と、
  ハリソン・フォード主演の2020年版(『野性の呼び声』)
  では、犬種に明らかな違いがある。
 
* 1972年版はこのポスターを見ても分かる通り、
  ”シェパード” 寄り。
 
 
* 2020年版は、
  ”セント・バーナード” 寄り。
 
 
 
* 噂に聞くと、このハックはCGらしいが、
  <ケモノ>のCGは以前より格段に進歩してるよう。
* 『ジュマンジ』(1995)の頃は、まだまだだった。
 
* ついでに言うとクラーク・ゲイブル主演の1935年版は、
  ”セント・バーナード” 寄りみたい。
 
 
* 父がセント・バーナード。
* 母がスコッチ種のシェパード。
* どっちに寄せるかは映像作家の裁量に任された感じ。
 
 
……なお、この作品。
いまだDVD化されていないようで……。
 
申し訳ございません。