<クロフツ、
三島由紀夫>
718「クロイドン発
12時30分」
フリーマン・ウィルス・クロフツ
長編 大久保康雄:訳 中島河太郎:解説
創元推理文庫
クロイドン飛行場を飛びたった
パリ行きの旅客機が着陸したとき、
乗客の一人、
金持のアンドリュウ老人は息をひきとっていた。
作者クロフツは冒頭のこの死亡事件から、
いきなりフラッシュ・バックの手法で読者をひきもどし、
犯人の目をとおして犯行の計画と遂行の過程を
まざまざと示してくれる。
犯人が用意したアリバイと犯行の手段は、
いささかも人工のあとをとどめない完璧なものであった。
探偵のがわから描く従来の本格作品に対立して、
犯人のがわから事件の開展を描くという新手法による
倒叙推理小説の代表的傑作。
<ウラスジ>
ある意味、これこそ<フレンチ警部最大の傑作事件>。
なんせ、デビュー作の題名が、
『フレンチ警部最大の事件』なんで・
フランシス・アイルズの 『殺意』。
リチャード・ハルの 『伯母殺人事件』。
F・W・クロフツの
『クロイドン発12時30分』。
――わが国においては、
これぞ、倒叙推理小説の三大傑作なり。
(飛行)機がパリに着いた時、
乗客の一人が座席で死んでいるのが発見される第一章と、
最後の二章を除いて、
殺意の生まれる心理から計画、実行、裁判での一喜一憂まで
すべて犯人の視点で描かれる。
最後の二章は
探偵役のフレンチ警部が捜査のあとを語るという構成で、
普通の推理小説の倒叙法を逆にした、
いわゆる倒叙推理小説の典型である。
<新保博久:世界の推理小説・総解説より>
ちなみにこの事件後、
フレンチは主席警部になり、
最終的には警視正にまで登りつめます。
内助の功。
フレンチものを読み進めていくと解ってきますが、
<安楽椅子探偵>風の助言を与えてくれる、
奥さんのエミリーの存在がいいアクセントになっています。
フレンチの昇格を、ある意味一番喜んでいるのは、
彼女かも知れません。
……この部分だけを取り上げると、
ライスやヤッフェの
”ドメスティック・ミステリー” みたいな
感じもするなあ……。
719「愛の渇き」
三島由紀夫
長編 吉田健一:解説 新潮文庫
杉本悦子は、
度重なる不倫で彼女を苦しめ続けた夫を突如亡くし、
舅の弥吉や夫の兄弟家族が住む別荘兼農園に身を寄せた。
やがて舅との肉体関係に陥った悦子は、
その骸骨のごとき手で体をまさぐられながらも、
雇われ庭師、三郎の若い肉体と質朴な心に惹かれていく。
だが三郎には女中の美代という恋人がいた。
嫉妬と歪んだ幸福が荒々しい結末を呼ぶ野心的長編。
沼のような情念。罪は誰にあるのか――。
<新潮社:書誌情報>
解説の中で吉田健一さんは、
長男夫婦を 『ギリシャ悲劇の合唱団』 と評しておられます。
それで、
ふとラシーヌの 『フェードル』 が
頭に浮かびました。
エウリピデスの元ネタも含め、
ラシーヌの 『フェードル』 は、
権力を持った女王の、義理の息子に対する邪恋の話です。
この 『愛の渇き』 のヒロイン・悦子も、
環境や生き方にあおられて、
段々と<女王化>していき、
それと同時に精神にも異常をきたし始めます。
”嫉妬” という手なずけることが難しい
感情を蓄積させて――。
相手は義理の息子ではなく、若い青年ですが、
義父との関わりも含めて、
ギリシア悲劇の香りに包まれたようなお話です。
<余談>
三島由紀夫と言えば、
全集を出している新潮社の強みもあって、
新潮文庫以外では見かけない時代がありました。
まだ、<豊穣の海>が文庫化される以前のことです。
そんなころ、
角川文庫も何冊か三島作品を文庫化していました。
当時のラインナップは、
『純白の夜』
『夏子の冒険』
『不道徳教育講座』
そして、
『愛の渇き』。
その後創刊された講談社・中公・文春の各文庫でも、
三島作品は取り上げられはしました。
しかし、新潮文庫との競合を避けるように、
評論とかエッセイでしばらくお茶を濁していたようでした。
そんな中、思いっ切り新潮文庫と被っていたのが、
角川文庫の『愛の渇き』。
三島はすでに亡くなっていましたが、
著作権やら何やらが絡んで、刊行できたのか。
角川文庫で、
ポツンと一冊 『愛の渇き』。
角川文庫で買う奴なんかいるのかなあ?
……とか思いつつ、何か異質な感じを覚えてしまいました。
720「美徳のよろめき」
三島由紀夫
長編 北原武夫:解説 新潮文庫
生れもしつけもいい優雅なヒロイン
倉越夫人節子の無垢な魂にとって、
姦通とは異邦の珍しい宝石のようにしか
感得されていなかったが……。
作者は、精緻な技巧をこらした人工の美の世界に、
聖女にも似た不貞の人妻を配し、
姦通という背徳の銅貨を、
魂のエレガンスという美徳の金貨へと、
みごとに錬金してみせる。
”よろめき” という流行語を生み、
大きな話題をよんだ作品。
<ウラスジ>
素晴らしいレトリックをあしらった<ウラスジ>。
サンジェルマン伯爵なみの
”言葉の” 錬金術。
これは解説の北原武夫の文章から拝借したもの。
今度はギリシアじゃなくて、
17~18世紀のフランス文学、と言ったところ。
『クレーブの奥方』 とか、『危険な関係』 とか。
まさしく、”不倫は文化” 。
今では死語となり、昼メロも無くなってしまったようですが、
以前は昼メロを称して、”よろめきドラマ” と言ってました。
私の記憶にあるのは、『人妻椿』。
これって、”よろめいて” いたっけ。
それにしても、よく堕胎する……。
ヒロインの節子の身体は大丈夫なのかしら?
このあたりが発表当時、女流作家の非難を浴びたのかも。





