涼風文庫堂の「文庫おでっせい」  76. | ryofudo777のブログ(文庫おでっせい)

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私が50年間に読んだ文庫(本)たち。
時々、音楽・映画。

<文学青年、必読の書>

 

[海外の小説]  Vol.4

 
 

9.「ロリータ」

ウラジーミル・ナボコフ

長編   大久保康雄:訳  河出書房新社

 

ロリータ。

わが生命のともしび。

わが肉のほむら。

わが罪。

わが魂。

 

ロ、リー、タ。

 

舌の先が口蓋を三歩すすんで、三歩目に軽く歯にあたる。

 

ロ。

リー。

タ。

 

 

この変態性丸出しの出だしはいかがなものでしょうか。

 

『 R 』 と 『 L 』 の発音の練習にぴったり。

上あごの襞がくすぐったくなる。

 

 

まだ『ロリコン』だ、『ゴスロリ』だ、の言葉が人口に膾炙する前の事。

 

「ロリコンって知ってるか?」

「なにそれ?」

「ロリータ・コンプレックスのこと」

「だから、なに?」

「少女性愛のこと」

「げ」

 

コンプレックスと言えば、『劣等感』という意味しか知らなかった頃です。

あとは、『複合』とか『複雑』とか。

 

❶【心の中のしこり。「感情をになった表象の複合」と定義されているが、一般には、抑圧されて無意識のうちにあるものをいい、病的行動の原因となることがある。精神分析の用語】

❷【特に、イアフェリオリティ・コンプレックス】 ➡ 劣等感

                                      <広辞苑・第三版>より

 

まあ、この後、フロイトを読んで、<エディプス>だ、<エレクトラ>だ、<セバスチャン>だ、と様々な<コンプレックス>に出会う事になりますが。

 

それはともかく。

 

ハンバート・ハンバート(こんな名前のバンドがあったな)という中年にさしかかった男が、ドロレス・ヘイズ(通称ロリータ)という10歳を過ぎたばかりの少女を見染めるところから始まります。

 

ハンバートはロリータを手に入れるため、彼女の母親である未亡人と結婚します。

 

やがて、ロリータの母親が事故死すると、ハンバートは彼女を連れて、調教の旅に出ます。

 

アメリカ中を廻ります。

 

途中、ロリータが行方をくらますと、その消息を追ってまたまたアメリカ中を廻ります。

 

第二部はほとんど<ロード・ムービー>状態です。

 

見つかったロリータは他の男と所帯を持って、夫の子を身籠っていました。

悲嘆にくれたハンバートは、ロリータの逃走に手を貸したキルティという男を撃ち殺します。

ハンバートは逮捕され、そののち獄死して、この<手記>を残します。

 

ロリータも死んじゃったんじゃないかな。

 

そもそも自分が好きになる女性の年齢は、同い年か、一つ二つ下。

もしくは、コレット風に、年上の女性に手ほどきを受けて、みたいな感じの私としては、どうしたってロリータには食指が伸びません。

 

小学生時代、お漏らしをした女の子の、『それ色』 に染まったパンツを見た事が、トラウマになっているのかもしれませんが。

 

 

PS.   スー・リオン。

 

     ミリ―・パーキンスと並ぶ、可憐な<一発屋>。

 

 

 

 

 

 

 

 
 

10.「ライ麦畑でつかまえて」

ジェローム・デイヴィッド・サリンジャー

長編   野崎孝:訳  白水社

 

サリンジャーと「ライ麦畑でつかまえて」の事を知ったのは、中学に入った頃だと思います。

定期購読していた月間雑誌の『読書案内』のコーナーで、当時圧倒的な人気を誇っていた<ディスク・ジョッキー>(今でいうところの ”ラジオ・パーソナリティー” )、『レモンちゃん』こと落合恵子さんの気合の入った紹介文を見た時でした。

 

ただし、その記憶は、『読んでおくべき青春小説』というようなレベル止まりでした。

 

何年かのちに本書を手にするまでは、 ”少年少女のさわやかな恋愛小説” もしくは ”少年が試練を乗り越えて成長していくビルディング・ロマン>みたいなものだろうとかってに思っていました。

 

ところが読んでみるとあららら。

 

現状に佇みながら現状に満足しない、心の中で常にシニカルな分析をしている、鬱々とした

ひねくれ者の少年の話でした。

 

ホールデン・コールフィールド。

 

彼の言葉で物語は進行していきます。

 

何せ、こんな性格の持ち主ですから、ホールデンは殴られもします。

同級生に。エレベーター係の男に。

しかも泣くわ、喚くは、全くクールじゃない。

このへんが嘘っぽくない。

 

読んでるこっちがハラハラするような言動が続き、一息つけるのは、恩師の先生と妹のフィービーとの会話だけ。

 

でも、この一息つけるのも共感せざるを得ない大事なファクターです。

 

上っ面だけのエピゴーネンは、相手が恩師だろうが、ちいさな女の子だろうが、容赦なく不貞腐れてみせるでしょう。

この”ナイフみたいに尖ってる” だの、”剃刀のように寄るものを傷つける” だの、といった言動を真似ている連中は今でもいるでしょう。

 

ただし、ホールデンはそんな連中とは一線を画しています。

 

ホールデンが朝食で出会った尼さんとの会話――『ベーオウルフ』とかハーディの『帰郷』とかの話――こんな会話が出来るんでしょうか。

 

 

 

 

【――その子供がすてきだったんだよ。

歩道の上じゃなくて、車道を歩いてるんだ。

縁石のすぐそばのところだけど。】

 

【――歩きながら、ところどころにハミングを入れて歌を歌ってるんだ。

僕は何を歌ってるんだろうと思ってそばへ寄って行った。

歌っているのは、あの「ライ麦畑でつかまえて」っていう、あの歌なんだ。

声もきれいなかわいい声だった。

べつにわけがあって歌ってるんじゃないんだな。

ただ歌ってるんだ。】

 

【自動車はビュービュー通る。

キューッキューッとブレーキのかかる音が響く。

親たちは子供に目もくれない。

そして子供は「ライ麦畑でつかまえて」って歌いながら、縁石のすぐそばを歩いて行く。】

 

【見ていて僕は胸が霽れるような気がした。

沈みこんでいた気持が明るくなったんだ。】

 

 

このあと、ホールデンは妹のフィービーにこんな話をします。

 

「君、あの歌知ってるだろう『ライ麦畑でつかまえて』っていうの。

僕のなりたい――」

「それは『ライ麦畑で会うならば』っていうのよ!」

 

とフィービーが言った。

 

「あれは詩なのよ。ロバート・バーンズの」

「それは知ってるさ、ロバート・バーンズの詩だということは」

 

それにしても、彼女の言う通りであることはそうなんだ。

「ライ麦畑で会うならば」が本当なんだ。

ところが僕は、そのときはまだ知らなかったんだよ。

 

「僕はまた『つかまえて』だと思ってた」

 

と僕は言った。

 

「とにかくね、僕にはね、広いライ麦畑やなんかがあってさ、そこで小さな子供たちが、みんなでなんかのゲームをしているところが目に見えてくるんだよ。

何千っていう子供たちがいるんだ。

そしてあたりには誰もいない――誰もって大人派だよ――僕のほかにはね。

で、僕はあぶない崖のふちに立ってるんだ。

僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がりおちそうになったら、その子をつかまえることなんだ――つまり子供たちは走ってるときにどこを通ってるなんて見やしないだろう、

そんなときに僕は、どっからか、さっととび出して来て、その子をつかまえてやらなきゃならないんだ。

一日じゅう、それだけをやればいいんだな。

ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。

 

馬鹿げてることは知ってるよ。

でも、僕がほんとになりたいものといったら、それしかないね。

馬鹿げてることは知ってるけどさ」

 

 

実はこの会話の前に、フィービーにこっぴどくやられていました。

学校を辞めた事に気付かれたからです。

 

「兄さんは世の中に起こることが何もかもいやなんでしょ」

「だってそうなんだもの。

兄さんはどんな学校だっていやなんだ。

いやなものだらけなんだ。そうなのよ」

「そうだからそうだって言うのよ」

「一つでも言ってごらんなさい」

「うんと好きなもの」

「兄さんは一つだって思いつけないじゃない」

「そう、じゃあ言ってごらんなさい」

「兄さんのなりたいものを言って」

「なんになりたいの?」

 

 

かような攻めを受けた挙句の、『ライ麦畑』でした。

 

 

この時のフィービーはホールデンを鬼のように詰りますが、そこはまだ幼い女の子です。

 

後日、ホールデンが家を出て行く事を示唆すると、結局は兄に付いて行こうとします。

 

ふたりはその事で揉めたまま、動物園に入ります。

 

ホールデンは家に帰る事をフィービーに告げ、彼女を回転木馬に乗せます。

 

雨が降ってきました。

 

【でも僕は平気だった。

フィービーがぐるぐる回りつづけているのを見ながら、僕は、突然、とても幸福な気持になったんだ。

本当を言うと、大声で叫びたいくらいだった。

それほど僕は幸福な気持だったんだ。

なぜだか、それはわかんない。

ただ、フィービーが、ブルーのオーバーやなんかを着て、ぐるぐる、ぐるぐる、回りつづけている姿が、無性にきれいに見えただけだ。

全く、君にもあれは見せたかった。】

 

で、ホールデンの話は終わります。

 

 

妹のフィービーが実にいい仕事をしています。

白いものを白いと素直に言える少女の気持ちにおいそれとは勝てません。

口は達者ですが、言葉と行動が一致していないところが、すこぶる可愛らしく感じられてしまいます。

 

でも私は『ロリコン』ではありません。

 

 

PS. こうやって読み返してみると。やっぱり『赤頭巾ちゃん気をつけて』に似てるよなあ。

 

 

 

 

 

 
 
 

11.「ユリシーズ  1 」

ジェイムズ・ジョイス

長編   丸谷才一/永川玲二/高松雄一:訳  河出書房新社

 

目次

 

第一部

 

1.テーレマコス

2.ネストール

3.プロテウス

 

第二部

 

4.カリュプソー

5.食蓮人たち

6.ハーデス

7.アイオロス

8.ライストリュゴン人

9.スキュレーとカリュブディス

10.さまよえる岩

11.セイレーン

12.キュクロープス

 

 

 

12.「ユリシーズ  2 」

ジェイムズ・ジョイス

長編   丸谷才一/永川玲二/高松雄一:訳  河出書房新社

 

目次

 

第二部   つづき

 

13.ナウシカア

14.太陽神の牛

15.キルケ―

 

第三部

 

16.エウマイオス

17.イタケー

18.ペネロペイア

 

 

「ユリシーズ」とは、ギリシア神話のオデュッセウスのことです。

このブログの名称である『オデッセイ』の語源となった人物名でもあります。

 

 

1904年6月16日、

ダブリンでの出来事。

 

それだけが書いてあります。

 

 

ええと。

一応、十八章に分かれていて、ホメロスの「オデュッセイア」に対応している、意識の流れの手法を用いている、20世紀小説の最高傑作――。

 

そんなこたあどうだっていい。

 

 

この小説を買った目的はただ一点。

<多種多様な文体>を用いて書かれている、

そしてそれを確かめる、その事だけでした。

 

この頃の私は小説めいたものを書いていたので、読み手として、というより、書き手として、この作品に多大なる興味を抱いたのです。

 

<意識の流れ>についての個人個人的な意見や考察は、『ダブリン市民』とかヴァージニア・ウルフの作品の回にまわします。

 

けっこうエグイものになりそうなので。

 

一言だけここで言っておくとすれば、

 

『既定の文学評価とやらを鵜呑みにするんじゃねえよ』

 

というようなものです。

はい。

 

 

 

一読して判る見た目も特殊な書き方は<2>に集中しています。

じゃあ、<2>だけ買えば良かったんじゃないか?

……ってそんな訳にいくかい。

 

 

で、早速その例文をいくつか。

 

 

<15章  キルケ―>

 

        (ト書き)

呼ぶ声   ねえ、待ちなよ、ぼくもゆくぜ。

返す声   厩の裏のところよ。

        (ト書き)

子供たち   ぎっちょやあい!けいれい。

白痴     (麻痺した左の腕をあげ、咽喉をごろごろ鳴らし)ぐるれい!

子供たち   大きな灯はどおこだ?

白痴     (唾をとばしながら)ががにしい。

        (ト書き)

シシ―・キャフリー      そいつをモリ―にくれちゃった、

                 だってモリ―はいい子だもん、

                 家鴨の脚をくれちゃった、

                 家鴨の脚をくれちゃった。

        (ト書き)

がみがみ女      くたばりやがれ、毛尻野郎。キャヴァンの娘っ子、しっかりおやりな。

シシ―・キャフリー   間がいいったらありゃしない。キャヴァンのクートヒルにベルタ―ベッドだ

              もの。(歌う。)

 

 

*御覧の通り、戯曲風に書かれています。

 

 

<第17章  イタケー>

 

ブルームとスティーヴンは帰途いかなる平行進路をとったか?

 

ともに正常な歩行速度でべレズフォド・プレイスを出発してから彼らの進路は下記の順序どおりに、下および中ガーディナー・ストリートを経て――

          <中略>

――右折してテンプル・ストリートを北へ、ハードウィック・プレイスに到った。

           <中略>

 

 

この遠征のあいだに両巨頭はいかなる問題を討議したか?

 

音楽、文学、アイルランド、ダブリン、パリ、友情、女性、売春――

          <全略>

 

 

*このように<Q&A>スタイルで全編(全章)貫かれています。

過剰ともいえる威厳に満ちたやり取りは、カテシズム(カテキズム)を倣っているようです。

いわゆる、キリ教で言う所の『教義問答(教会問答)』です。

 

 

<第18章  ペネロペイア>

 

     冒頭

 

そうよだってあさのしょくじをたまごをふたつつけてベッドのなかでたべたいなんてかれがいったことはシティアームズホテルにいたころからずっといっぺんだってなかったことなんだものあのころからかれはいつもびょうにんみたいなこえをだしてびょうきでひきこもってるみたいなふりをしててていしゅかんぱくであのしわくちゃのミセスリオーダンのおきにいりになろうとしてじぶんではずいぶんとりいってるつもりだったのにあのばばあときたら……(この調子で続く)

 

     ラスト

 

――そうよそしてかれがムーアじんのじょうへきのしたであたしにキスしたしかたそしてあたしはおもったかれはどのおとこよりもすばらしいそしてあたしはめでうながしたのもういちどおっしゃってそうよするとかれはあたしにそうよやまにさくぼくのはなイエスといっておくれとそしてあたしはまずかれをだきしめそうよそしてかれをひきよせかれがあたしのちぶさにすっかりふれることができるようににおやかにそうよそしてかれのしんぞうはたかなっていてそしてええとあたしはいったええいいことよイエス。

 

*句読点のない、平仮名だらけの文章で綴られています。

 

これはモリ―という、主人公ブルームの細君が、床について寝入るまでの、頭に去来する回想やらなんやらを、それこそ<意識の流れ>に忠実に書き写したものの<態>でしょう。

 

時折、合いの手のように入る、”そうよ(イエス)” は思考の摸索中にふと思い出す、”そうだ” とか ”そうそう” といった自己完結に呼応するものと思えます。 

 

 

 

集英社文庫から同じ訳者たちによる改訳版、『ユリシーズ:全4巻』をいずれ買って読み返したいと思っています。

ちらっと見た限りでは、『ペネロペイア』が随分読みやすくなっていたような。

 

確かに、平仮名だらけの文は読みにくい。

句読点があろうがなかろうが。

 

ですが、私にとっては全編<カタカナ>で書かれた谷崎の『鍵』や『瘋癲老人日記』の方が、遥かに読みにくかった印象です。

 

SFなどに出て来る異星人やロボットの発する言語を<カタカナ>で表記してあるもの、あのレベルでもいささかうんざりします。

漢字やその熟語、そして通常片仮名で書かれる外来語を逆に平仮名で書いてあるところ、その箇所がその文章のなかでの給水地点となっています。

 

だから、法学部の人たちは凄い。

あんな<カタカナ>ばっかりの本と夜っぴて取り組んでいるんだもの。