昨日は月に一度の法話でした。
名文で有名な歎異抄の第1章を通して学びました。

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「弥陀の誓願不思議に助けられまいらせて、
往生をば遂ぐるなり」と信じて
「念仏申さん」と思いたつ心の起こる時、
すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。
(歎異抄第1章)
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摂取不捨の利益は、がちっと摂め取られて捨てられない幸せ。
人間に生まれてよかった!という生命の大歓喜。
普通幸せに「不捨」ということはない。
職場に捨てられるのでないか、
恋人に嫌われたら嫌だ、
突然の事故や災害、事件で家族を失い、
築き上げた財産も、焼けたり、水害にあったり、
奪われたりすることもあります。
長年勤めあげても、いつまでも会社にいられるわけもなく、
恋人とやがて結婚し、ずっと一緒にいられても、
この世を去れば一人一人別々になります。
今一時、自分の手の中にありましても
「捨てられたらどうしよう」
「無くなったら嫌だ」という不安も絶えません。
感謝や、ポジティブ思考で引き寄せたものも
最後は全て置いていかなければなりません。
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まことに死せん時はかねてたのみおきつる妻子も財宝も
わが身には一つも相添うことあるべからず。
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その人生で摂取不捨の利益、変わらない幸せになれたことの明言が、今も多くの人を惹き付ける古典となっているんだなと感じました。
