警察も「ギャングに金払え」祖国戻れぬ移民集団~ギャングに財布奪われ・1日収入930円 | 中谷良子の落書き帳

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核武装・スパイ防止法の実現を

組織の人間にそそのかされ、キャラバン参加者も、ギャングの魔の手から逃れ、夢や希望を抱いて着の身着のままアメリカまでの道のりを歩まれている貧困層の方々。

こういった方々を見ていると、日本は平和。日本に生まれたことに感謝です。

しかし額に「良い人」「ギャング」と書かれているわけではないので、大量の移民を受け入れることをトランプ米大統領が拒絶するのは、非常にお気の毒ですが、情けをかけてしまうと自国民を危険に晒すことになるので阻止されるのは仕方ないこと。

以下の曽野綾子さんの難民の不幸は「目標を決められない苦しさ」であるとのコラムは頷けます。

★警察も「ギャングに金払え」祖国戻れぬ移民集団~ギャングに財布奪われ・1日収入930円★

米国を目指す中米の移民集団がホンジュラスを出発してから1か月がたった。メキシコ西部ハリスコ州サポパンを訪れると、暴力や貧困から逃れようとする5000人もの市民が、「祖国には戻れない」と口にしながら、北上を続けていた。

◆バスに乗り込み
13日早朝、地元当局が移民の滞在場所に指定した施設前。「子供がギャングに勧誘されたり、殺害されたりするのが怖かった」。ホンジュラスの首都テグシガルパから6~16歳の4人の子供を連れてきたヌビア・エストラダさん(34)が、ほぼ1か月にわたり、北上してきた理由を語った。

パンの製造・販売で稼いだ収入は1日200レンピラ(約930円)だった。食べ物を買えずに空腹を我慢する日も多かった。それに加え、ギャングに自分の財布や携帯電話を奪われたこともあった。エストラダさんは、「アメリカで未来を切り開きたい」と話しながら、施設前に横付けされたバスに乗り込んだ。


◆自宅に銃弾
貧困と暴力は、移民が北上する主な理由だ。

サポパンのキャラバンに続く1000人超の集団が12日夕、首都メキシコ市の競技場に到着した。その一人、グアテマラの首都グアテマラ市から来たホセ・ラミレスさん(37)は「逃げるしかなかった」と振り返った。

元々屋台を営んでいたが、ギャングから「みかじめ料を払えなければ殺す」と脅された。みかじめ料は週150ケツァル(約2200円)と稼ぎの半分に上り、支払いを拒んだ直後に自宅に銃弾を2発撃ち込まれた。5か月前には支払いを拒否した知人がギャングに射殺された。そんな時、キャラバンの存在を知り、10月中旬、妻と2歳の長男と共に祖国を離れた。

「警察に相談するとみかじめ料を払うべきだと突き放された」と憤った。


◆何が何でも
エストラダさんらは、ヒッチハイク、地元当局が用意するバスで、サポパンやメキシコ市から1700キロ以上離れた米国との国境の町ティファナを目指す。先陣の約900人は既に到着し、支援団体の施設で食事の提供を受けている。

多くは国境検問所で難民申請を行う予定だ。ただ、トランプ米大統領は、国境警備を強化し、難民申請をあまり認めない方針とみられる。キャラバンの世話役でホンジュラスから来たカルロス・ハビエルさん(39)は「米国に入国拒否されても、治安や汚職、貧困に苦しむ母国に戻れない人が多い。何が何でも入国したい思いだ」と語った。
https://www.yomiuri.co.jp/world/20181116-OYT1T50071.html

★曽野綾子の透明な歳月の光~難民の不幸~★

日本には国境を越えて長い道のりを歩いてくる難民はいない。日本の国境はすべて海だからやってくるとすれば、彼らはボートピープルの形を取るのである。時々新聞やテレビに載る陸路を移動する難民の姿を見ると、私は彼らの日々の厳しさを思って胸が痛くなる。

彼らは住んでいた場所から穏やかに引っ越しをするのではない。多くの場合、落ち着き先が確定しているわけでもなく、幼子も引き連れて徒歩で移動する。荷物はもちろん自分が持てるだけだ。

女性達の多くは頭の上にまず洗濯用の盥(たらい)を乗せ、その中に入籠(いれご)のようにバケツや鍋を入れて運ぶ。避難先でも多分、電気や水道はないから井戸を使う。故に盥で洗濯しなければならないから、避難時に持ち出す鍋の次に大切な物は盥なのである。風呂などないだろうから、子供の体も盥で洗う。

寒い土地では貧しい人はお湯など沸かせないから、子供だけ盥のお湯で洗って、大人は入浴などしない。それでも人は立派に生きている。それを思うとすべての人は偉い、と私は心から思う。

メキシコに面したアメリカの国境に向かって現在6千人の難民が北上しつつあるという。彼らは途中、通過国の様々な団体と個人の慈悲によって生かされているのだろう。しかしアメリカ国内に、難民や労働移民をもう入れない、というトランプ大統領の政治的決断も正しくないとは言えない。政治はまず、自分の国民を生かすために機能させるべきなのである。

私達は簡単に慈悲深い人や、善人になることなどできない。

現実に何かを救おうと思う人はすぐそのことに気付く。人道主義をためらいもなく声高に言える人は、おそらく現実にお金でも労働でも物の形ででも、難民に手を差し伸べたことのない人なのである。

難民の不幸は、目標を決められないことだ。日本人の成功談や出世物語は、多くの場合、スタートから目的を持っている。私の幼い頃はすでに、「末は博士か大臣か」という言葉もあった。今は博士も大臣も目のくらむほどの栄光を持っていないかもしれないが。中年の頃、個人的に親しかった芸者は「(男は)やっぱり地位とお金と名誉だわよ」と言い切っていた。

しかし日本の青年達はやはり未来に目標も夢も持てる。通俗的な目標としてのお金も地位も、目指せば手に入れられないでもない。しかし研究とか起業とか、もっと、世のため、人のためになることも目指せる。

本当の幸福は、「受ける(手に入れる)ことではなく「与える」ことだとよく言われるのだ。人間の心は不思議な構造になっていて、受け(与えられ)てだけいる間は決して満足せず、与える側に立って初めて満たされる。時には、自分の命まで犠牲にして(与えて)も他者を救う。そしてそのことに対し、当事者は決して損をしたなどとは思わない。そういうことを、教育の場では改めて教えているのだろうか。