【TOKIO・山口達也さんの強制わいせつ問題】この国の報道は終わった | 中谷良子の落書き帳

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核武装・スパイ防止法の実現を

昨日からずっと民放各局はトップニュースでTOKIOの山口達也さんが女子高生への強制わいせつ容疑で書類送検されたとの報道を繰り返し報道していました。

確かに「ジャニーズ」という看板を背負っている以上、責任は重大で、その看板を汚し、他のメンバーにも迷惑をかけたのですから未成年の女性への強引な飲酒の勧め、キス行為は軽率だったと思います。



が、しかし、この女子高生はストーカーされたわけでもなく、強姦被害に遭ったわけでもなく、面識もあり、自ら独り身の男性宅をお友達と訪れ、お酒を飲みキスし、「何もしないなら帰れ!」と怒鳴られ、追い出された女子高生は被害を訴え、山口さんからは示談も謝罪会見も済み、被害届を取り下げた。

決して私は山口達也さんに罪はない!と声高に訴えているわけではありません。山口さんの態度には男性として品性が感じられません。

私も過去に痴漢等を受けてきたことがありますから(その都度、ぶん殴っていましたが)年頃の女性にすれば、その本人にしかわからない恐怖心があるのも理解できます。

ただ、この緊迫した東アジア情勢の中で、山口さんのたった一度のキス報道で、メディアがこぞって根掘り葉掘り調べ上げ、集中攻撃し、吊し上げ、彼の居場所を失くし、多大な人権侵害が行われていることを非常に腹立たしく思いますし、一方的に山口さんに責任を押し付けるのは違和感があります。

このようなニュースが果たして世界各国の報道ではトップニュースとして扱われるのか?

私はこの報道に違和感を覚え、被害者女性も言いたいことはあるでしょうし、本人のお立場でしかわからない部分もあり、お気持ちもわかりますが、山口さんも同様に私はお気の毒だと思います。

しかも「強制わいせつ」という罪名を世間の方々は目にするだけで、どれだけ末恐ろしい悪印象を受け、悪質な犯罪を働いたと思われるでしょう?ひとえに「強制わいせつ」といっても、軽微なものもあるのです。たとえ微罪であってもこのような忌々しい罪名でレッテル貼りをされるのです。

たった一度のキスだけで、彼の人生を棒に振るような人権侵害はメディアがする権利はないと思いますし、これについて他の芸能人がワイドショーで、とやかく言う問題でもないと思います。

女性の人権が声高に叫ばれる中、昨今のセクハラ等の報道は、どことなく常軌を逸しているように見えます。

財務省・福田事務次官によるセクハラ問題の対応についてテレ朝の角南(すなみ)社長が記者会見で「昔は今よりセクハラが多く、以前の記者たちはそれを乗り切ってきたために、今回も『がまん』できると思ってしまった。昭和のプロフェッショナリズムが出てしまった」と表現しました。

「プロフェッショナリズム」という言葉に「昭和だから」だの「時代」だの関係あるのでしょうか?

まず、どのような職業でも選んだ際に男女ともに忍耐や覚悟が必要だと思います。だからといって、とんでもない卑劣な侵害に何が何でも耐えろとは言いません。

しかし自身に襲いかかる理不尽な出来事を知恵を絞ってどうやって切り抜けるかを考え、対処し、時には我慢し、人は強くなり、成長していくものだと私は思っています。

忍耐力もなく、なんでも人が助けていれば、いつでも助けてもらえると、人はどんどん甘えが出て他力本願になり、いつか本当の自身の正念場に向き合った際に逆境に弱い人間になっていくのです。

今の日本人は野生で生きていく力がないのです。

いえ、正式に言えば、メディアにより日本人本来の持つパワーを削ぎ落としているといった表現のほうが正しいでしょう。

「プロ」というのは、理不尽な行いをされても、「いつか見返してやる」という根性を持ち、戦い続けること。ちょっとやそっとのセクハラで泣き言を言ってるような人は立派な女性になれません。

私は強姦、同情の余地のない悪質な強制わいせつ、ロリコン、大昔にあったバッキー事件のようなAV女優や素人モデルに対する残虐な強姦致傷事件のような被害に遭われた女性の人権は徹底して守られるべきだと思いますが、言葉や軽いスキンシップくらいで大騒ぎするメディアには猛省を促したいと思います。

そして集団いじめの常習犯であることを自覚していただきたい。いじめ自殺などの報道を行ってはいけません。なぜならメディアこそが、いじめの首謀者なのですから。

人の人生を面白おかしく弄ぶ権利はマスメディアにはないはずです。

くだらない報道ばかりが大半を占める中、本来報道すべきとても重要なニュースが毎日、隅に追いやられ、国民に知らされていないことのほうがセクハラ以上の大罪だと思います。


国民が本当に知りたいのは、ちっぽけなセクハラニュースではありません。そして過剰すぎるMe Too運動も必要ありません。

山口さんもご自身が世間に与える影響力を考え、責任感を持ってお仕事されることをお祈りします。



★【曽野綾子の透明な歳月の光】セクハラ報道に思う「不愉快な言動」といかに戦うか★



テレビでも新聞でも、最近しきりにセクハラについて書かれているのだが、私はどうしても丁寧に読む気にならない。こういう事件は、そもそも正しく書いてもらうことなど考えられないのだ。セクハラの程度を決めるのは主観である。

目つきだけでぞっとしたという人もいるし、「あんな下品なことをよく口にするね」という人もいる。人間の品格というものは、何歳であっても、それなりに折り目正しく思慮深いものがいい。

しかし、世間という雑多な空間には、決して私たちが望ましい人格の人ばかりがいるわけではない。若い時から苦労して社会に出て働いた女性がいる。

その人が言うには「働くということはそういう男たちを、なんとかあしらっていくということなんですよ」なのだそうだ、全くその通りである。セクハラを受けずに年を重ねる女性もいないだろう。

通勤時の痴漢、追っかけをする大学生、おかしな手紙を持参する人など、昔からいたものだ。それに対して、こちらも考える。

私が計画してまだやっていない仕返しは、満座の中で引っぱたくことだ。もっとも満員電車の中ではこちらも引っぱたきにくい。いかに仕事で特種(とくだね)が取れようと、特定の男性と2人だけで何度も会食するというのも常識はずれだ。


男性の方は、その手の誘いを断らなかっただけで、女性の方も距離感を縮めることを嫌がっていないのだな、と判断するだろう。嫌だと思ったら、洗面所に行くふりをしてそのまま席をすっぽかして帰る手もある。

わざと彼の同僚の前でセクハラを受けたことを大きな声で喋(しゃべ)る手もあれば、小声で複数の人に喋りちらす方法もある。人生は小さな戦いの連続なのである。

インドのように女性が襲われて殺されるケースが多い国では、相手のセクハラを訴えて殺されることもあるだろう。しかし日本では犯罪にならない範囲で、相手をやっつける方法は多分いくらでもある。

表現の自由がもし許されているならば、大ていのこと(たとえそれが、こちらからみるとセクハラであっても)を口にできる自由も残さなければいけない。

しかしもちろんその場合も、常識の範囲内、個性として許されるものでなければならない。それに対して女性も、年齢や、態度や、言葉で相手に警告を発することはできる。

人間の生き方の中で、この手の戦いの部分は、学校が教えることではない。それは親や保護者が家庭の中で、折にふれ、話として伝えておくべきことだろう。

決してセクハラがいいというのではない。

しかし性的な話が、ある種の職場の緊張や対立をほどく著効(ちょこう)がある場合も私は見てきた。すぐセクハラに当たる、と騒ぎ立てること自体が、女性の未熟さを物語る場合もある。
不愉快な言動をする男の傍らに、女性は留(とど)まる必要はない。

だからその場を去ることだ。

女性に去られた男は、つまり魅力がないのだ。逆もまた真だろう。こんな明快な意思表示の方法がこの世に残っているなんて、世の中も捨てたものではない。

平成30年4月25日付、産経新聞


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