三原じゅん子議員の「八紘一宇」の言葉について思う | 中谷良子の落書き帳

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核武装・スパイ防止法の実現を

中川政務官の路チュー、喫煙問題に始まり、くだらないことばかり、いちいち鬼の首を取ったかのように引きずり出して取り上げていく2ちゃんや新聞記者のクオリティを疑う。

全員、麻酔なしで去勢手術したいわ。

“「八紘一宇」は、美しい日本の和の精神、差別のない平和な世界を目指す、日本の道徳、道義があらわされています。”

是非おつるさんのブログをお読みください。
http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/

まさか21世紀の国会で、この言葉を聞くとは…「八紘一宇」を持ち出した自民・三原じゅん子氏に沈黙する国会の異常
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/158149



【吉田松陰に学ぶ】

★励んで努力すれば、できないことはない★

自ら励み自ら勤めば何すれぞ成らざらん

『妹・文へ』


松陰には3人の妹がいたが、とくに気にかけていたのは末娘の文である。

松陰とは年が13も離れており、ほとんど娘のような存在だった。ちなみに、「文」という名前は、叔父の玉木文之進からとられている。

松陰がペリー軍艦密航事件を起こして荻の野山獄につながれていたころ、世話好きの月性(げっしょう)という僧が文の婿として桂小五郎(のちの木戸孝允)を推した。

小五郎は、松陰の弟子であり親友である。

頭の切れる男で、剣術にも優れ、しかも美男子。妹の婿としては申し分ないように思われたが、松陰は乗り気ではなかった。小五郎は、酒好きで血の気が多く、女性にも態度が厳しい。妹を嫁がせるには不安があった。

実際、その後の小五郎は何度も結婚と離婚を繰り返すことになるのである。

松陰が文の婿として納得したのが、久坂玄瑞(くさかげんすい)である。

玄瑞はこころざしが高く優秀な男で、のちに松下村塾において、高杉晋作とともに双璧と称される。将来の日本のリーダーの1人となるような器である。

それほどの男の妻になろうとすると、文にしてみれば、なかなかの重荷だ。そこで松陰は、1857(安政4)年、婚礼に向かう文にこんな言葉をかけた。

「励んで努力すれば、できないことはない」

玄瑞の妻という難しい役目を、しっかり果たすよう、励んで努力することを求めた。努力すればできないことはないのである。

これは何事にも言えることだろう。どんな大役も、まずは励んで努力することである。努力しなければ、何事も始まらない。

★どんなことでも、できないということはない。できないというのは、やらないだけである。★

何事もならぬといふはなきものをならぬといふはなさぬなりけり

『父・叔父あて書簡』


1851(嘉永4)年、22歳の松陰は、藩主の東行にしたがい江戸にはじめて遊学した。

この言葉は、その江戸遊学中の8月17日、父・杉百合之助と叔父・玉木文之進にあてて書いた手紙にある。

江戸での松陰は、安積 艮斎(あさかごんさい)や古賀茶渓(こがさけい)、山鹿素水(やまがそすい)、佐久間象山など、当時の有名な学者のもとに足を運び、日々新しい思想にふれた。

また鳥山新三郎や宮部鼎蔵(みやべていぞう)など、諸藩の学生らと切磋琢磨し、学問と武芸の腕を競い合った。

彼らとは、藩邸に定期的に集まり、『書経』『易経』『論語』などの輪読会を催した。

手紙からは、そんな日々の充実ぶりがうかがえる。

まだ脱藩事件を起こす前のことで、藩の将来を担う人物として、周囲の期待に応えるように真っ直ぐに進む青年の姿がある。

昨夜読んだ『武士訓』にあった言葉として、松陰が記したのが、この言葉だ。

「できないというのは、やらないだけである」というのは、このころの松陰の心に強烈に響いたのであろう。

まったく同じような言葉は、のちの野山獄時代の『講孟箚記』にもある。

「できないのではない、やらないのである(能はざるに非ざるなり、為さざるなり)」

たとえ牢獄につながれていようとも、心身の修養はできる、という意味で発せられている。こちらは、より緊迫感をもって迫ってくる。

★リーダーなら決断しろ★

大将は心定まらずして叶はず

『武教全書講章』


リーダーの仕事は、決断することである。

リーダーが、自分の信念と責任において、すぱっと決断をくだすことができれば、部下はついてくるものである。

いつまでも迷っているようではダメだ。

「もしも大将の心がふらふらしていると、その下の将軍にいくら知恵や勇気があっても、彼らの能力を生かすことができない。いくら人並み外れた百万の強い兵がいても、その力を生かすことはできない」

松陰はこのように述べている。

では、いざというときに良い決断をくだせるようにするにはどうしたらよいか。

決断には、ふだんからの準備が必要だ。松陰の次の言葉を参考にしたい。

「決断は、一時的に激しく心を奮い起せばできるというものではない。水が自然にしみこむように、強い心を少しずつ養い育てる必要がある。ふだんは学問をする。正しい行いとは何か、君臣関係とは何かを学ぶ。また、礼儀正しく、いさぎよく、恥を知る。心を鉄や石のように鍛え上げるべきである」

普段の鍛錬があってはじめて、修羅場における決断力が生まれるということだ。



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