①【男の美学】人気作家切腹の衝撃とその波紋 | 中谷良子の落書き帳

中谷良子の落書き帳

核武装・スパイ防止法の実現を

今の時代に切腹できるような根性のあるのはいないでしょう。

なにせ軟弱オカマ野郎ばかりでお金と欲ボケ、不祥事を起こせば他人に擦り付け、逃げまくり、そんなオカマ政治家が国を動かしているのですから、日本が良くなるはずがありません。

本当に戦後教育の腐敗具合がこれほどまでに発揮されるとは。

そういった意味でも絶対に日本共産党、社民党、日教組、それらとタッグを組み、日本の精神、文化破壊に加担した反日朝鮮人は許せない存在ですびっくりー




昭和45(1970)年11月25日、作家、三島由紀夫は、東京・市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部の総監室で切腹して果てた。

次いで楯の会学生長の森田必勝(まさかつ)も切腹した。ノーベル文学賞候補にも挙がった作家の切腹自決は内外に大きな反響を巻き起こし、いまだにその真意について議論が戦わされているが、三島の切腹の真意を探るのが目的ではない。

ただ、いえることは、三島は自分を育て上げた日本文化に対して、われわれの想像以上の愛着を抱いており、戦後、それが失われつつあることに大きな失望をもっていたであろうということである。

彼の愛した日本文化の中には「切腹」という自死もまた、大きなウエイトを占めていたに違いない。

三島は大正14(1925)年、1月、農林官僚の平岡梓と倭文重(しずえ)の長男として生まれた。本名、平岡公威(きみたけ)。

梓の父の母、夏子の父は大審院(現最高裁)判事の永井岩之丞で、その父は幕末の幕府若年寄、永井玄蕃頭尚志(ながいげんばのかみなおゆき)である。尚志は新政府軍に最後まで抵抗、旧幕府幹部として箱館・五稜郭(ごりょうかく)に立てこもった数少ない硬骨漢(こうこつかん)でもあった。

三島は学習院高等科主席、東京帝大法学部を恩賜(おんし)組で卒業して大蔵省(現財務省)に入るが、作家に転向、以後、数多くの作品を発表し、ノーベル賞候補にも挙げられる。

昭和19年には徴兵検査を受け、第2乙種で合格するも、結核の疑いと軍医が誤診したため、入営しないまま終戦を迎えた。軍隊に入らなかったことが、三島のトラウマになったとの指摘もある。

幼少、青年期は蒲柳の質であったが、昭和30年頃からボディービルを始め、肉体美を追及するようになり、二.二六事件に関心を示し、自衛隊に体験入隊したり、映画に出演したりした。この間、剣道、居合を学び、剣道5段になる。

昭和43年には共に自衛隊に体験入隊した大学生を中心に民兵組織である「楯の会」を結成、44年には早大生の森田必勝が学生長に就任した。同年には東大全共闘との討論会に参加すると、当時の左右の学生と積極的に関わった。

森田必勝は終戦直前の昭和20(1945)年7月25日、三重県四日市市に5人兄弟の末っ子の次男として生まれた。

2歳半で小学校長だった父と死別し、3歳で母とも死別した。以後、兄、姉が親代わりとなる。地元の三重海星高校では成績優秀で、2年前、生徒会長を務めた。2年の浪人の後、早大教育学部に入学した。

このころの大学は左翼運動真っ盛りで、安保反対、ベトナム戦争反対の嵐であった。天皇、君が代、日の丸などは敵視され、文化大革命が礼賛され、北朝鮮が賛美されるという異常な環境下にあった。

早大も例外ではなく、革マル派という新左翼の一派が自治会を牛耳り、まともな学生生活が送りにくい状況にあった。こうした中で森田はスト反対運動を行い、1年生の秋には、民族系の学生で組織する日本学生同盟の結成に参加するようになる。

さらに三島由紀夫の自衛隊体験入隊に参加するなどして三島と知り合うようになった。43年には早大国防部代表、日学同の国防会議議長などに就任、44年には日学同を脱退して「楯の会」に加わり、44年には学長となった。

昭和45年11月25日、三島、森田、それに楯の会のメンバー3人の計5人は乗用車で陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に乗りつけた。5人とも楯の会の制服姿であった。市ヶ谷に行く前に、四谷の学習院初等科の前を通ったという。

初等科には三島の子供が学んでいたのである。事前に連絡してあったため、一行はゲートをくぐって本館2階の方面総監室に入った。午前10時過ぎである。

総監は益田兼利。終戦時、晴気誠(はるけまこと)の切腹に立ち会った大本営参謀である。

三島は軍刀に作り直した日本刀、関孫六(せきのまごろく)を益田に見せた。

益田が日本刀に見入ったそのとき、益田を押さえつけて、日本手拭いでさるぐつわをかませ、いすに縛り付け、人質とした。

異変に気がついた幕僚が総監室に入ろうとしたが、三島らは日本刀や小刀で斬りつけ、けが人が出る。この時、負傷した中村薫正二佐は木村三郎の甥である。

さらにいすなどでドアを封鎖した。三島は隊員をバルコニー前に集めるよう要求し、バルコニー前に自衛官が集まってくると、日の丸鉢巻きをしめ、バルコニーに出て用意してきた檄文をまいた。

三島は自衛隊に蹶起を促す演説を行ったが、自衛官らは「総監を解放しろ」などとヤジを飛ばし、三島の声はかき消された。5分ほど演説をした後、三島は並んで立っていた森田とともに「天皇陛下万歳」と叫んで、総監室に戻り、上衣を脱いで関孫六で切腹した。

②につづく



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