過激なデモに傾倒する方へ【義・勇・仁・礼・誠・名誉】を | 中谷良子の落書き帳

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核武装・スパイ防止法の実現を

私は最近の新大久保のデモや日韓断交デモなどを観ていると今更ながら非常に嫌な気持ちになります。

完全に利敵行為です。

過激なデモに傾倒している方々は私たち日本人が誇るべき「武士道」という道徳観を、きちんと理解して行動に移しておられるのでしょうか。

とくにこのような輩については日本人ではないと思っています。
逆に日本を貶める組織だと思っています。

「右翼」という分類にも入りません。
私から見れば、あなたがたが口から出している「ゴキブリ」にしか見えません。↓
【島根】「ゴキブリのような韓国人はみんな死ね」「韓国人をみんな殺そう」 竹島の日式典は右翼の祭りの場となった

以下は「武士道」について。

五千円札の新渡部稲造(にとべいなぞう)

$Jellyの~日本のタブー~


が、語る武士道とは。

これから日本の道徳観の支柱「武士道」について紹介します。

新渡部稲造がなぜ武士道の研究を始めたのかその動機からお話します。
新渡部稲造がドイツ留学中ベルギーの法学者と互いの宗教について話した時のこと・・・

日本の学校には宗教教育がないことに驚いたベルギー法学者は、

「私たちの国では学校で子どもたちに善悪の基準を教育しますが、その道徳観の基礎にはキリスト教という宗教教育があります。宗教がないとは!いったい日本人は何をベースに子孫に道徳教育を授けるのですか?」

との問いに、新渡部稲造はがく然とした。

母国の道徳観・・・
そんなあたりまえの質問に新渡部稲造は即答できなかったのだ!
アメリカ出身の妻メアリーにもそのことだけはうまく説明できなかった。

なぜなら新渡部が幼いころ学んだ人の道たる教訓は、学校でうけたものではなかったのだ。

「きちんとあいさつするのよ」
「家族を大切にしなさい」
「弱い者いじめはいけませんよ!」


国教のない日本で「善悪」の観念を授けた宗教以外のものとはいったい何か?

その後もずっとこの問題を考えるのだが答えはでない。
新渡部は日本と世界の掛け橋になりたくて諸外国をめぐり勉強してきた。

だが日本人の道徳観、ものの考え方の基本を説明できずに真に世界の人たちと理解しあうことは不可能!

その解答を得たのは帰国してからのことである。
花見の時期、桜を愛する国民性、ヨーロッパ人とは完全に逆の感覚。
多くの日本人は本当に桜が好きである。

ヨーロッパ人の愛でるバラの花は甘美の陰にとげを隠している。
風に吹かれても散ることなく、枝についたまま朽ち果てることを好むかのようだ。

「生」への執着。

それに対して美しくはかなく風のままに潔く散ってしまう私たち日本人の美的感覚に訴える桜の花。

この花こそ大和魂の典型だ!

花は桜木、人は武士!
わが国には「武士道」という道徳教育があるじゃないか。


こうして新渡部は1900年『武士道』を英文で発表した。
圧倒的な情熱と祖国愛が前ページをつらぬく本作は世界的ベストセラーとなった。

$Jellyの~日本のタブー~


ヨーロッパ人はバラの花を愛するように「騎士道」を愛し、日本人は桜の花を愛するように

「武士道」を愛した。

「武士道」とはひとりの人物が決めた思想ではなく、武士社会の成長とともに口伝えされていった格言のようなもので、サムライだけでなく広く庶民にも浸透し、やがて「大和魂」となった。

それでは江戸時代のある武士の生活を描きながら、武士道を詳しく説明します。

当時の食事は一汁一菜が基本の質素なものだった。
貧しい浪人の家だけでなく多くの使用人をかかえる武家屋敷でも献立にさほど違いはなかったという。

武士たちにとって贅沢は人格に悪影響を与えるもっとも恐れるべきものだと考えられていた。


いくら貯金が底をついても金目になる刀だけは「武士の魂」として飢え死にしても売りませんでした。

武士道は刀をその力と武勇の象徴とした。
まずは木刀から始まり、15歳で元服すると真剣を携帯しての行動を許される。

その時彼が自覚するのは

自尊心と危険な凶器を持ち歩くことに対する責任感である!

大小2本の刀はそれぞれ大刀と小刀、または刀と脇差しと呼ばれ、どんな時でも腰から離れることはない。

屋敷の中では客間などの目につきやすい場所に置かれ、夜はその枕元を守る。

「伊達に刀は差さぬ」

刀はその持ち主のよき友であり、その親愛ぶりを表すにふさわしい愛称がつけられた。
その感情移入はほとんど崇拝の域である。

日本の寺社や名家では刀を尊崇の対象として収蔵するほどだ。
「床に置かれた刀を不注意にまたぐべからず!」すなわち刀に対する無礼は、その持ち主に対する侮辱とみなされた。

それでは武士道の道徳律を説明します。

まず、「義」から

「義」とは人間としての正しい道、つまり正義を指すものであり武士道でのもっとも厳格な徳目である。

義を貫く。

「正義」

武士道の基本はフェア・プレイの精神である。
時は戦国時代、越後の上杉謙信と甲斐の武田信玄は当時の有力な戦国大名であった。

武田信玄
$Jellyの~日本のタブー~


上杉謙信
$Jellyの~日本のタブー~


両社はともに天下統一を目指し、ぶつかり合うライバルである。

そしてもうひとり上杉謙信と同じく武田信玄と対立していた今川氏は武田領内へ商人が往来するルートを断った。

1567年の「塩留め」である。
塩が手に入らない領土に海のない甲斐国では死活問題である!

苦しむ信玄にある日謙信からの手紙が届いた。

「私が信玄殿と戦っているのは弓矢の上であって米や塩で戦っているわけではない。今後塩が必要ならわが国から供給しましょう」

たとえ敵でも困っている相手には手を差しのべるのが武士。
生きるか死ぬかの戦国時代、卑怯な手を使ってでも勝利にこだわる武将が多いなか、謙信はあえて「美学」にこだわったのだ!

「敵に塩を送る」

このことわざは「義」を重んじる上杉謙信のエピソードが元になったとされる。
ある武士は「義」についてこう語っている。

「義」は体で例えるならば骨である。
骨がなければ首も正しく胴体の上につかず手も足も動かない。

つまり、たとえ才能や学問があったとしても「義の精神」がなければ武士ではない!
寺子屋、小中学校のなかった当時は多くの武士が子どもたちに読み書きを教えていた。

ほとんど報酬などないボランティアである。
武士にとってお金などは二の次である。

打算や損得から離れ、自分が正しいと信じる道を貫くことが武士の正しい道とされた。
武士はとかく銭勘定を嫌った。

銭勘定はつまり損得を追及する行為だからである。
だから商売は商人たちにまかせて上位の身分である武士たちは人々の模範となる生きかたを追求した。

打算や損得を超越し、自分が正しいと信じる道を貫く武士道の中心となる良心の掟、

これが「義」の精神である!


つぎは「勇」について。

孔子は「論語」の中でこう言った。

「義をみてせざるは勇なきなり」

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勇気とは正しいことを実行することである!
勇気といってもわざと危険を冒し討ち死にすれば単なる「犬死に」である。

武士道ではこれを「匹夫の勇」と呼びさげすんだ。

「勇気とは恐れるべきこととそうでないことがわかることだ!」
古代ギリシャのプラトンも言っている。

$Jellyの~日本のタブー~


黄門様で有名な水戸藩二代目藩主徳川光圀もこう言った。

「本当の勇気とは生きるべきときに生き、死ぬべきときに死ぬことである!」

武士は幼少のころから「匹夫の勇」と真の勇気「大勇」の区別を学ぶのだ。

子どもが痛さにガマンできずに泣くと母は、

「このくらいで泣くなんて、なんという臆病者ですか!いくさで腕を切られたらどうする?切腹を命じられたりどうするのです?」と子を叱る。

ときには寒空の中で肉体をさらさせたり、処刑場の恐ろしい光景を見に行かせた。
武士の教育は結構スパルタ式だったようだ。

勇気の精神的側面は冷静さである。

武士にとって「犬死に」はつまらない行為だが、自分が間違いと思うことに対してはためらうことなく命をかけて戦わなければならなかった。

「勇」をまっとうするためには肉体的強さが不可欠なのだ。
「義」の精神をいくら机の上で学んでも自分より強い暴漢に怯えて実行できなければ無意味である。

武士たちは精神修行と同時に肉体を鍛え、剣や柔術などの武術の鍛錬を怠らなかった。
武士たちは文と武の両立、つまり、

「文武両道」を追及していた。

「義をみてせざるは勇なきなり」
「勇」とは勇気!
正義を敢然と貫く実行力である。

「武士の情け」には「仁」の精神が内在している。
「仁」とは人間としての思いやり、他者への憐みの心のことである。

弱き者や負けた者を見捨てない心、
高潔で厳格な「義」と「勇」を男性的な徳とするならば、

「仁」は女性的な優しさ、母のような徳である。
戦国大名の伊達政宗はこう言った。

「義に過ぐれば固くなる。仁に過ぐれば弱くなる」


「義」と「仁」のバランスが大事ということである。

義に偏ると厳しすぎる。
仁に偏ると甘すぎる。

優しさはときに裏切られることもある。

仁の力を疑う者は薪についた大火を茶碗一杯の水で消せなかったと言って、水で火は消せないと思うようなものである。

孟子はこう言った。

「難しいことだが他者への思いやりを忘れてはならない。「仁」の精神は人の上に立つ者の必須徳目である」

$Jellyの~日本のタブー~


人民の意向と君主の意志についてこんな格言がある。

「イギリスの国王をさして「悪魔の王」すなわち臣下が反乱してその王位を奪う」

「フランスの国王をさして「ロバの王」すなわち際限なく税や貢納を負わせる」

「スペインの国王をさして「人民の王なぜなら臣下がすすんで服従する」

一国の武士の名誉の基準が他国のそれとなんと一致していることか!


ヨーロッパにおいてはキリスト教が他者への憐みの心に貢献したが日本においては音楽や書に対するたしなみがそれをなした。

敗れた者を慈しみ、おごれる者を挫き、平和の道を立つること。
これが汝が業!


「仁」の精神を育て他者の気持ちを尊重することから生まれる謙虚さがつまり

「礼」の根源である。

「礼」とは他者に対するやさしさを型として表したものである。

日本では古来より、お辞儀のしかた、歩き方、座り方、など細かな規範がつくられかつ学ばれていた。

食事の作法は学問となり、茶の湯は儀式を超え芸術となった。

茶の湯の作法は初心者にとって退屈なものだが、この定められた方法が結局時間と手間を省く最上の方法であることを発見する。

礼儀作法はさまざまな流派が存在しているが、心で肉体をコントロールし、心を磨くという点において、目的の本質はひとつである。

伊達政宗はこう言っている。

「度をすぎた礼はもはやまやかしである」

礼の作法も気持ちがこもっていなければ型をなぞっただけのわざとらしいものになるということだ。



贈り物をするとき日本人が品物をの値打ちを軽く表現することに対してアメリカ人は強い違和感を感じるようだ。

こんな点でアメリカ人と日本人とでは慣習の違いがある。
贈り物をするときのアメリカ人の論理はこうである。

「この品物は素晴らしいものです。そうでなければあなたにあげません。粗末なものをあげるなんてあなたに対して失礼デスカラネ!」

これに対して日本人の論理はこうである。

「あなたは立派なかたです。私の気持ちを受け取ってください。この程度の品を最高のものだと言ったら立派なあなたに失礼ですが・・・」

ずいぶん違うようだがつまるところは同じである。
アメリカ人は贈り物そのものに心を向けているに対して、日本人は送る気持ちのほうに心を向けている。


相手を思う気持ちは共通しているのだ。

江戸時代のはじめのころは裕福だった武士の生活も時代が進むにつれて給料カットなどで貧窮していった。

収入が減っても武士はその権威を保つために屋敷を維持し、家来を雇い、通過儀礼の祝儀や親せきづきあいなど変わらず行わなければならなかった。

そのため借金に苦しむ武士も多かったといわれている。

つづく