“死の衝動”をどうするか①~三島由紀夫~ | 中谷良子の落書き帳

中谷良子の落書き帳

核武装・スパイ防止法の実現を

青年は際限もなく欲しがる。
正義を、完璧な自由を、人間性の十分な解放を・・・

それを認めたら市民社会が成り立ってゆかなくなること、前に述べたとおりだ。
人間には、フロイドが死の間際になって気がついたように、死の衝動がある。

これは無視できない衝動だということを、フロイドは癌になってから悟ったんだね。
ぼくは昭和30年頃、自民党のある政治家にいったことがある。

なるほど自民党の政治は、日本人の生の衝動をほぼ満足させてきた。
その意味で功績がある。

しかし日本人の死の衝動をどう処理するつもりだ。
それが処理できるかできないかが、政治の成否の岐れ目だとね。

それを処理できずにきた政治のミスが、ここへきて歴然と現れている。
死へおもむく衝動をどうすくいとり、エネルギーとして貯めておくか。

何のために死ぬのか、死を賭けて悔いないグローリー(栄光)とは何か。
それを政治は全く与えてこなかった。

未来のために革命のバリケード上に死ぬことをもってグローリーと信ずる青年。

たとえそれが幻想であっても、そのために死ぬことをグローリーと信ずる青年がある一方で、たとえば、自衛隊員にはどんなグローリーがあるかね。

国旗拝んで佐藤首相の閲兵式があるだけだよ。

青年は、革命のバリケードに向かえば機動隊につかまり、自衛隊にゆけば佐藤首相の閲兵式だ。
どこへいったらいいのかね。

日本という国は、そうした青年の死の衝動を充足させるものを、全く与えていないんだ。
青年だけじゃない。

市民にも与えていない。
緑の芝生に赤いお屋根、マイホームのために人間は死なんよ。

人間は目に見えるもののために死なない。
人間ってもっとスピリチュアル(精神的)なものだ。

ナショナリズムというのは民族の生の衝動であり、それと背中合わせに死の衝動でもあるだろう。
この死の衝動の方をうまく担保するものを政治が与え得るかどうか、それが今後とも政治の一番の問題になると思うね。

早い話が安保条約ないし国防の問題だ。

ぼくは自民党の福田赳夫にもいったんだが、マイホーム主義者・自民党支持者イコール安保条約支持者と考えるのは間違いだ。

両者の間には安保に対する大変な許容量の差がある、そこをよく考えないと自民党は必ず失敗するとね。

安保に対する国民の独立心、ナショナリズムの反動というものは、左右両翼を問わないんだ。

ナショナリズムというものは、もともとそういうふうに機能するものだからね。
だから安保は絶対に固定化しちゃいかん。

固定化したときにナショナリズムの反動は一挙に高まる。
固定化しないためにはどうするか。

自動延長か、再延長か、新しい軍事条約の締結か。
どれもこれも抵抗があるだろう。

そこでオレは考えているんだ。
ナショナリズムの要求も満たし、国防の実行も失わない方法としては、自衛隊を2つに分けるしかないと、はっきり考えている。

★【古屋圭司】少子高齢化社会、日本再生のための住宅政策を★


★【古屋圭司】NHK問題、受信料と公共放送としての責務★


★【中国】激増する武器輸出と、絶望的な人間性★

かつて世界中から武器を買い入れていた中国であるが、経済発展と軍事インフラの整備が進んだ今日では、世界有数の「武器輸出国」に変貌している。特にアジア各国への輸出が­著しく、日本にとっても新たな安全保障上の脅威となりつつある。その中国では、もはや絶望的な気持ちにさせられるような「人命軽視」の事件が報じられており、隣人としては­益々その動向に神経質にならざるを得ない。「倫理無き強者」が隣にいるという現実を、お伝えしておきます。