①のつづき
★南京城内は平穏★
「南京大虐殺」をあたかも事実の記録であるかに見せかけた文献といえば、1938年(昭和13年)にオーストラリア人のティンパーリがロンドンで出版した『これが戦争だ』が代表的で、戦後も欧米の出版物が「南京大虐殺」に触れるときは、これを典拠とすることが多かった。
ティンパーリは、英国の「マンチェスター・ガーディアン」の“特派員”を装い、客観的、中立的立場での報告の体制をとっていたから、「真実」と受け止める向きが内外を問わず多かった。
ところが、ティンパーリは特派員ではなく、記事一本ごとに仕事を請け負うストリンガーにすぎず、支那国民党の宣伝処の「顧問」だったとの指摘が1990年代に登場した。
その後、2007年に私が、ティンパーリは中央情報部の「職員」だったことを突き止め、本誌に発表した。
これによって、『これが戦争だ』は支那の一方的プロパガンダである疑いが濃厚になった。
この時、私は『これが戦争だ』に収載された「南京日記」の筆者が、宣教師で南京YMCAの専務理事だったジョージ・A・フィッチであることも指摘した。
フィッチ自身が回顧録で、原稿をティンパーリに渡したと語っているのを発見したのだ。
フィッチが支那国民党の頭目の蒋介石と親密だったことを示す写真も回顧録に掲載されている。
その後、支那政府がアメリカで展開した「対日屑鉄輸出禁止」運動に関する文献を入手した。
それによって、「南京大虐殺」をでっち上げた支那側の動機ないし直接の目的が「対日屑鉄輸出禁止」運動にあったことが判明した。
後述するが、これは無資源国の日本が鉄を入手する道を閉ざし、武器その他の製造を不可能にさせようとの思惑による運動である。
この運動の効果を高めるためにでっち上げたのが、「南京大虐殺」である。
フィッチがこの運動に関与していただけでなく、妻のジェラーディンは最も積極的な活動分子であったことも分かった。
私はこのことも以前、本誌で報告した。
しかし、これだけでは「支那側は真実を利用して宣伝に使っただけではないか」と念を押された場合、反論の手掛りがない。
なにしろ、日本軍が南京を占領した際、市内に居残っていた欧米人が口を揃えて「あった」と証言しているのだ。
そこで、かれらの発言を裏付ける文献の発掘に努力した。
しかし、それは出てこなかった。
かわりに、かれらの証言の嘘を暴露する英語の資料がいくつか見つかった。
①でっち上げが事前に計画されていたことを物語るポーランド人女性の書いた本。
②支那人が英文で書いた「南京大虐殺」の定義。
③南京市内は平穏であったことを物語るアメリカ人記者による新聞記事と写真。
一般に「なかった」を証明することはできない。
しかし、これらの資料の発見により、欧米人も納得せざるを得ないレベルで「なかった」を主張することが可能になった。
詳しくは次回以降で述べる。
③へつづく
★長江の生態系 危機に直面
★人民元レートの裏側
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