中国軍事スパイは台湾・香港に接触する総てに対し下工作をする | 中谷良子の落書き帳

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$Khloeの~日本のタブー~

★軍事スパイは台湾・香港に接触する総てに対し下工作をする★

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1985 年に中共は軍隊の再編整備を行い、熊光楷は総参謀部系統幹部の「隊機構」の名簿に入った。
職責は総参謀部第2部副部長、88年に正式に部長に昇格し、92年11月に総参謀長助理に任命され、総参謀部第2部長を兼任した。

そして総参謀部第3部の工作も彼の管轄となり、中共の軍事諜報系統は総て彼が統括することになった。
外国メディアが中共中央の「対台湾工作指導小組」メンバーの名簿を報道する時には、贾春旺が情報部門代表者であり、 熊光楷は軍事指導者として公表している。

誰もが、熊のことを単なる軍人としてみている。
海外の多数のメディアの分析では、中共の対台湾工作の人事配置は

「武官と文官の組み合わせ」になっていると判断している。

つまり、熊は「武力で台湾を攻撃する」責任者であるという面からだけ分析していたことになる。

中共軍事スパイ機構の責任者が台湾工作の最高指導者であることは、昔から中共では常識である。
1950年代の李克農も、中共台湾工作核心責任者の1人だった。
中共は香港・マカオ方面の工作も、軍事スパイ機構が担当することが少なくなかった。

アメリカは中共軍事スパイに冷淡ではない。
昔から、中共政権と米軍や米政府との交流は、軍事情報分野において密接であった。
50年代初旬に朝鮮の板門店で停戦協定を締結した時、中共側首席代表は軍事委員会情報系統総責任者の李克農だった。

そのために中共は彼に、解放軍第2副総参謀長の肩書きと中央政府外交部副部長の肩書きとを与えた。
70年代初旬、中共はアメリカ政府と交流することを決定し、毛沢東が直接、熊向暉に総参謀部第2部長の任命と中南海への居住を命令した。

72年にアメリカのニクソン大統領が北京入りする時の手配は総て彼が行った。
79年に鄧小平がアメリカ訪問前には、伍修権、孔原など軍事情報責任者が直接、鄧小平の絶対安全のための預警工作を行った。

アメリカは先般の熊光楷の訪問に対して、特別重大な関心を寄せた。
アメリカは中共軍事スパイの実力を、低く見積もることはないだろう。

ここ数年、中共は日本に対しての軍事交流を益々盛んにしているが、中国国際戦略学会の熊光楷会長は北京で昨年6月6日、先に書いた挨拶を行ったことが報じられているが、彼こそ、中共軍事最高スパイ指導者なのである。

★総参謀部第3部は法律事務所も内包する巨大権力★

解放軍報によれば、総参謀部第3部には法律事務所が置かれているという。
第3部は国内外のネットの監視を行っているが、国内の軍事ネットが解放軍に対してどのような評価をしているかについてもチェックしている。

また各地の監視所においては、各大軍区・省軍区・集団軍の動向についてもチェックしている。
そして活動を監視し、制御することもある。
各大軍区の戦略について監視する任務は、どこから直接命令を受けているのか。

これは北京の総参謀部であると言われている。
しかし公開されている資料の中には、これに関しての答えはない。

デズモンド・ボール氏によれば、信号情報の収集と処理を行うのは各大軍区の司令部第3局であり、命令もここから発令されるという。
つまり、北京・洛陽・成都・広州・蘭州・済南・南京の7大軍区の司令部第3局が統括していることになる。

総参謀部第3部が直接ではなく、大軍区の司令部第3局が個別の監視任務を命令しているのである。
蘭州軍区の第3局がロシア監視を強め、ミサイル攻撃を事前にキャッチしなければならない任務を持っているように。

面白いのは、大軍区の司令も参謀も、エリア内における第3部関連の活動には干渉する権限を持っていないと認めている点だ。
つまり、監視所の任務に関しては、総て総参謀部第3部が直接管理する機構だということだ。

人員・編成・予算など総て、総参謀部第3部が独占的支配をしており、各大軍区の現場には何の権限も与えられていないということだ。

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尖閣諸島が日本固有の領土であることを内外に明確に示すべく、12月10日、南小島へ­の上陸を敢行なさった石垣市議会議員の仲間均・箕底用一両議員をお迎えし、上陸時の模­様などを写真で御説明頂くと共に、今後も中国の覇権主義に屈することなく尖閣を守り抜­いて行くためには何が肝要なのか、水島総がお聞きしていきます。