暴力団とのツーショット写真
暴力団社会のあちこちで「ダライ・ラマ14世」のケツモチは山口組だ」という噂を耳にする。
「田岡一雄三代目の時代、チベット亡命政府に2億円の寄付をしたらしい。司忍六代目の時代になって関係は途絶えたそうだが、それまでは山口組がケツモチだったはず」(住吉会系暴力団幹部)
ケツモチとは用心棒の意味で、現状に即して言うなら
「チベット亡命政府のトップであり、チベット仏教の最高指導者であるダライ・ラマのバックには、日本最大の暴力団がついており、来日時のさまざまなトラブルを解決している」となろう。
もちろん、暴力団が無料奉仕するのではなく、その場合、山口組は充分な利益を手にしていると考えていい。
ノーベル平和賞を受賞した仏教会のカリスマと暴力団の間に接点などあるはずかない・・・と考えるのは短絡で、この噂には充分なリアリティがある。
ダライ・ラマを“有名な外タレ”と捉え、説法を“興行”と考えれば、これは暴力団の古典的なシノギの範癪だからだ。
加えて一部の宗教団体が、暴力団の資金源となっている現状がある。
昭和までさかのぼれば、その蜜月関係は大っぴらで、全国的な知名度を持つ宗教団体が公然と暴力団との交流を持っていた。
一例を挙げれば、山口組の直参組長が参議院選挙に出馬を表明、ちょっとした騒動になったときも、援助を約束し、本人に焚きつけたのは、日本3大新宗教の1つだった。
暴力団との交流がタブー視されるようになった現在では、カルト教団と共生関係を構築することが多い。
数年前に広域団体を引退した某幹部(カタギとはいえ、引退後も暴力団との交流は頻繁にある)は、こうした宗教法人を手に入れ、かなりの規模にまで拡大させている。
なにしろ私自身、ダライ・ラマ法王と暴力団員のツーショット写真をこの目で確認したことがある。
パーティー会場で撮影された写真だった。
ダライ・ラマは相手の素性などわかっていなかっただろうが、こうした物証もケツモチの噂に現実味を加えている。
一般的な宗教と暴力団の関係に比較し、ダライ・ラマとチベット仏教は、いっそう暴力団との交流を生み出しやすい。
その理由はいくつかあって、まず指摘したいのは、日本におけるチベット仏教の立ち位置である。
今でこそ多数の本が出版され、日本でもその権威が認められたチベット仏教だが、1950年、中国がチベットに侵攻し、抗中独立運動(チベット蜂起)によってダライ・ラマがインドに脱出(59年)、チベット亡命政府が生まれた当時は、専門家にすら偏見があった。
「つい最近まで、百科事典などもチベット仏教に関してひどい記述を載せていた。原始宗教のボン教やヒンズー教が入り混じった亜流みたいな扱いで、ラマ教という俗称で記述されていた。この言葉には仏教の亜流といった差別意識が込められている。“ラマ”を簡単に言うなら、偉いお坊さんのこと。チベットでは、お坊さんたちがあらゆる儀式を司っているため、それをチベット仏教の特徴と考えた英国の宣教師がラマ教という言葉を使った」(伝統仏教関係者)
チベット仏教はインドの大衆仏教直径で、チベット語で書かれた経典は仏教研究の貴重な文献ともいわれる。
しかし「師(ラマ)」と「弟子」の関係(弟子は師に絶対帰依)を重視する密教特徴がフレームアップされ、偏見が生まれることにもなった。
日本国内で偏見や誤解が払拭されたのは、ダライ・ラマ14世の書いた「大乗仏教入門」(80年邦訳)を、日本の管沼晃(東洋大学名誉教授)などが日本語に訳してからだったという。
「訳が見事なこともあって、多数の僧侶たちが読んだ。仏教関係の書籍とはまったく無縁な出版社が出してくれたこともあって、一般の人も手に取ったね」(同)
しかし、チベット仏教に対する誤解はその後も絶えなかった。
ダライ・ラマが観音菩薩の化身とされ、転生する「活仏」と考えられているように、チベット仏教には神秘的な要素が数多くある。
悪魔祓いや鳥葬、祈祷、独特の瞑想技術などがそうで、その部分を神秘主義(オカルト)に結び付けて捉える人々が絶えないのだ。
ダライ・ラマに群がる新興宗教
誤解を招きやすいチベット仏教。
それでもオカルト雑誌の類が誤解し、勝手に利用するだけならまだいい。
ダライ・ラマをはじめ、チベット亡命政府、その代表機関であるダライ・ラマ法王日本代表部事務所に直接の責任はないだろう。
しかし、彼らが日本で接触する人間たちの一部は、それ以上に怪しく、誤解をいっそう深刻なものとしているように感じる。
いっそう怪しい面々・・・・・
それはダライ・ラマに群がる宗教法人を見れば一目瞭然だ。
その代表が、地下鉄サリン事件などを起こしたオウム真理教(故・アーレフ)である。
現在、両者の間に交流はないが(アーレフのHPには、今もダライ・ラマに寄付をしたエピソードが掲載されている)、その教義はチベット仏教の要素を数多く取り入れているし、殺人を肯定したオウムの教義「タントラ・バジラヤーナ」(秘密金剛乗)など、教祖の麻原彰晃は、ダライ・ラマと2度も面談している。
当時、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所の代表だったのが、桐蔭横浜大学法学部教授のペマ・ギャルポ氏である。
ペマ氏は、ダライ・ラマと麻原を繋いだ張本人だ。
「自分のところに、石井(久子)さんから直接電話がきました。麻原さんを連れ、こちらの事務所に来てくれたのですが、そのとき初めて(麻原の)目が不自由だということもわかった。とても真面目に見えましたし、本当に瞑想者だと感じました。だから最後は、エレベーターまで彼を送ったんです。彼自身は最初“法王に会いたい”とは言ってなかった。しかし“今まで自己流で瞑想をやってきたが、そろそろちゃんとした先生が欲しい”と言うので、僕が宗教庁長官に紹介状を書いてあげ、彼はインドに行きました。法王の周りにいる(宗教分野の)指導者たちも、“この人はすぐ瞑想に入りやすい。瞑想の達人”と判断した。あの頃は、法王も比較的時間がありましたから、法王ご自身にご指導を、ということになりました」(ペマ氏)
しかしペマ氏はその後、オウムの怪しさを察知し、すぐさまダラムサラ(インド)のチベット亡命政府に麻原の危険性を警告した。
それはオウム糾弾の最前線にいたジャーナリスト江川紹子から「チベット仏教では血を飲ませる儀式はありますか?」と質問されたからだったという。
青ざめたペマ氏は、念のためダラムサラの亡命政府に連絡し、そんな儀式はないと確認したあと、自分が行ったオウムの推薦を撤回した。
が、ダラムサラの要人が、すでにオウムから1億円とも言われる多額の寄付をもらっていたこともあって、この訴えは退けられた。
これを察知した麻原はメディアをフルに活用し、ペマ批判を開始した。
「麻原さんに“ペマ・ギャルポの卑劣な妨害行為”なんて書かれましたけど、当時は(亡命政府の)役人だったから、最終的には“命令”という形を受け入れるしかありませんでした。けど、皮肉にもそう書かれたことで、僕は助かった。それでもやはり、僕には麻原さんを暴走させた責任はあります。だけど当時、日本のマスコミが“宗教の危険性”や“チベット仏教のタントラ・バジラヤーナに問題がある”と論じたことについては、“違います”と申し上げたい。ダライ・ラマ法王に謁見する人というのは、毎日100人単位です。もしチベット仏教が(オウムのように)凶暴なら、そうした人みんなが(暴走)するでしょう。そして宗教が麻原さんのような人間を育てるものだったら、とっくに消滅していたでしょう」
つづく