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外国人参政権「前向きに」=北朝鮮問題で連携-日韓首脳

【ソウル時事】鳩山由紀夫首相は9日午前、ソウル入りし、韓国の李明博大統領と青瓦台(大統領府)で会談し、北朝鮮問題での連携強化を確認した。

首相は会談後の共同記者会見で、韓国側の期待が大きい永住外国人への地方参政権付与について「私個人の意見は、前向きに結論を出していきたい」と述べ、実現に意欲を示した。

ただ、地方参政権付与には、民主党内にも慎重論がある。
首相は「国民の気持ちは必ずしも統一されていない。時間のファクターも理解してほしい」とも語った。

会談では、日韓の「未来志向」の関係を強化するため、経済や文化などの分野で協力を進めることで一致。歴史認識問題に関し、首相は「新政権は真っすぐに歴史を見つめる勇気を持っている」と大統領に伝えた。

北朝鮮核問題では、金正日総書記が中国の温家宝首相との会談で6カ国協議復帰の可能性に言及したことを踏まえ、北朝鮮に速やかな復帰を迫ることで合意。
大統領は会見で「北朝鮮の根本的な変化が必要との認識で一致した」と述べた。

また、首相は会談で「東アジア共同体」構想の実現に向けて協力を要請。
大統領も理解を示し、構想実現に向け両国が連携することを申し合わせた。 

首相の訪韓は初めて。幸夫人も同行した。
李大統領との首脳会談は9月のニューヨーク以来2回目。
首相は日韓会談後、直ちに北京に移り、10日に日中韓3カ国首脳会談や日中首脳会談に臨(2009/10/0913:34)

怒り韓日中「共通の教科書」、青瓦台高官が前向きな反応

10月8日11時42分配信 聯合ニュース

【ソウル8日聯合ニュース】
青瓦台(大統領府)高官は8日、記者団に対し、日本の岡田克也外相が韓日中での「共通の教科書」作成を将来的な検討課題にすべきとの考えを示したことについて、

「共通の教科書を作ることができるなら良いことだ」

と前向きな反応を示した。
ただ、これは簡単な問題ではなく、進めるとしても長期間のプロジェクトになるとの見方を示した。

この発言は、3カ国の間で常に争点となってきた歴史教科書問題をめぐり、韓日両国による新たな解決策模索の必要性に共感を示すものと解釈される。
中国政府の反応など、今後の行方が注目される。

これに関連し外交ラインの主要参謀も、民間ではすでに3カ国共通の教科書に対する研究が進んでいるものと承知しているとしながら、「各国の歴史的な特殊性を勘案すべきとはいえ、肯定的な試みとなるだろう」と述べた。

別の参謀は、アジア外交を特に重視する鳩山由紀夫首相の就任後、日本政府は北東アジアの歴史に対し前向きな態度を見せるおり、こうした提案が日本からなされたことは意味があると指摘した。

そうして、ある方の記事にて、私が最も言いたかった事をそのまま巧く言い表しておられましたので、ここに載せました。

中川昭一さんが死んだ。話題になった「もうろう会見」の政治家。
ベッドの上で亡くなっているのを奥様が発見したらしい。
何とも言えない気持ちになった。

彼についての日記を書こうかなと思っていたところだったんだけど…いろいろな見方があるだろうから躊躇していたら亡くなってしまった。
もういまさら遅いけど書こうと思う。
私が知っている限りの、「中川昭一」のことを。

1983年、中川昭一の父親、中川一郎は札幌パークホテルのバスルームで自殺した。
しかしその死に方から、本当に自殺だったのかと疑問の声もある。
「北海のヒグマ」と呼ばれた男の死。
息子の「中川昭一」は父のあとを継いで政治家になった。

1983年に衆議院議員初当選。2003年には小泉内閣で経済産業大臣、2005年には農林水産大臣、2006年には自民党政調会長、2008年には麻生内閣で財務・金融大臣などを務めた。

父親は「熊のような体で涙もろく愚直なまでに純朴な男」と呼ばれていたけれど、昭一氏にも似たようなところがあったのではないかと思う。

これは数年前のテレビで報道した「中川昭一の素顔」。


中川昭一を総理大臣にという声もあったようだ。
中川昭一は経済に明るい。

2008年、100年に一度の金融危機が世界を襲った。
リーマン・ブラザーズは経営破綻し、世界経済は戦後最大の危機に陥った。

アメリカのポールソン財務長官は「公的資金の投入を考えたことは一度もない」と発言した。
しかし、過去に日本は似たような経験をしていた。
バブル崩壊後の金融危機。

「アメリカは日本の教訓を生かし、一刻も早く大胆な公的資金投入を果たすべきだ」
これが日本の出した答えだった。

2008年10月10日。
財務・金融大臣だった中川昭一はG7でポールソン財務長官と会談し公的資金の投入を促した。
そしてIMFに

「日本がリーダーシップをとってIMFを通じて資金や機能強化で貢献する用意がある」

と発言した。

IMFとは、財政状況が悪くなった国にお金を貸している国連の機関だ。
当時IMFの資金も底をつき始めていた。

アイスランド、ウクライナ、ベラルーシ、ハンガリー、パキスタンが経済破綻を宣言しているというのに。そこで日本は、IMFにお金を貸すことを考えたのだ。

11月14日、G20金融サミット。
この日、麻生総理はIMFに「1000億ドル」貸し付けることを宣言した。

1000億ドルきらすごい金額だ。そんな金があったら日本国内に使えよ…と思う方もいるかもしれないが、それはちょっと違う。

この1000億ドルの財源は、「米国債」だ。
米国債を買うことで日本は円高を抑えてきた。
円高になると輸出企業が困るからだ。
しかしリスクが高いので売ることもできず、日本は大量の米国債を持て余している状況だった。

この「使えない金」米国債1000億ドルを日本がIMFに貸す→IMFが財政難に陥っている発展途上国などに貸す→その後IMFが利息つきで取り立てる(IMFの取り立ては本当に厳しい)→日本に返ってくるという流れ
どのみち日本は海外から援助を求められたはずだ。

日本のリスクを最小限にしながら他国を助ける、こんなに上手い方法が他にあるだろうか。

日本の提案に、世界は賛同した。
アメリカは公的資金の投入を決定し、中国やEUもIMFに貸し付けを行うことを決めた。
後にオバマ大統領も、「日本の失われた10年に学ぶ」と発言している。

緊急融資を受けることになったアイスランドでは、外相の政治顧問が「日本がG7で世界に先駆けてIMFを通じた融資に声を上げてくれたおかげだ」と地元テレビで謝意を表明した。

2月13日、G7での姿勢はイタリアのメディアに高い評価を受けた。
そして中川昭一はIMFへの融資に署名する。
その時IMFのストロスカーン専務理事は言った。

「人類の歴史上、最大の貢献だ」

これに勝るほめ言葉があるだろうか??
日本は評価されていた、かつてないほどに。
その日本を引っ張っていたのが、まぎれもなく中川昭一だった。

でも…翌日、「あの日」はやってきた。
午前、中川氏はしっかりと会議をこなしている。会議のあとのインタビューがこちらだ↓


しかしその後、中川氏は午後1時50分まで予定されていた食事会を途中退席し宿泊先のホテルに戻った。
そこにいたのは玉木林太郎国際局長。

玉木氏は昼食会を開き、読売新聞の越前谷知子という美人記者を連れてきた。
そして、玉木氏は赤のグラスワインを中川氏に注いだ…。

中川氏はここでの飲酒について「本当に口をつけた程度」と話している。
しかし中川氏は当日、風邪薬を飲んでいた。

そして、あの会見…。


玉木氏は後に「同席していたが中川氏が飲酒したかどうかは見ていない」と発言したが、他の同席者から「玉木氏が酒を注いでいた」と証言されている。

さらに越前谷知子記者は前日に「明日の会見は面白いことになるわよ…」とロイターの記者に予言していたとか。
思惑通りになったのだろうか?

玉木氏はなんと、かつて中川氏の同級生だった男だ。
ストロスカーンに絶賛されたばかりだったことも重なり、中川氏は油断してしまったのかもしれない。

中川氏は以前から腰痛の薬を飲んでいて、そのせいでもうろう状態になることもあったそうで、あの状態が果たして酒のせいだったのかは謎である。

しかし、一口でも飲んだ以上、中川氏はうかつだった。
大事なG7の会見直前だし、風邪薬を飲んでいたなら併用は尚更あぶない。

でもね。ここにいた玉木林太郎や女性記者はどうして止めなかったのか。
それどころかなぜ酒をすすめたのか。
他の関係者達は会見を延期することは考えなかったのか。色々思うところがある。

そしてマスコミ。待ってましたとばかりに中川氏をぶっ叩いた。
いや、ぶっ叩かれても仕方ない行動だったのかもしれないとは思う。
でもマスコミがG7について報道したのは、ほとんど酒について「だけ」じゃなかっただろうか。

日本が何をしてきたか、ストロスカーンやアイスランドの話等を公平に報道したメディアがいくつあったのだろうか?

中川氏への評価を下すのは「有権者」ではないのか。
メディアがネガティブな報道しかしないなら、国民も知るわけがない。

「できの悪い大臣が海外で何の成果も挙げられず恥だけをさらした」 ほとんどの国民はそう思ってしまったのではないのか。

前日まであれだけ評価されていた日本は、本当に国益を損ねたのだろうか?
ロシアは「小泉元首相も同じような振る舞いがあった」と報道、ドイツは「二年前のサルコジ大統領も酔っていたし、故人となったエリツィン大統領も常習犯だった」また「中川昭一が日本の基準金利を正しく伝えたことを彼の母国では誰も興味を持たない」と同情した。

あの日の会見さえ、幸運にも円高を阻止することに繋がり結果的に日本経済を救ったと、日経ビジネスと時事通信は擁護した。

しかしテレビ番組では度を超えたリンチ報道がなされていた。辛坊治郎は言った。
「お父さんも自殺されてるし、ああいうことを何度も何度もTVで放送すると、本人も自殺の恐れがあるからもうこのへんでやめといてやろうかという話になるじゃないですか。

とんでもない話だと思います。あんなもんはね、×××(放送自粛音)と思いますよ。

あんだけ国際社会に恥かいてね、オメオメ有権者の前にもういっぺん出るなと!出てきたら必ずあのVTRを流されますからね。
その意味では世の中にやってはいけないことがあるんだって」

……ジャーナリストにも「言ってはいけないこと」があるのではないかと私は思う。
放送自粛の部分で何を言ったか、私の想像が当たっているとするならば、彼は今喜んでいるのだろう。

中川昭一は辞任した。
8月30日、衆議院選挙で落選。
そして昨日、ついに命を落とした。
最近は眠れなくて、病院に処方された睡眠薬を飲んでいたのだという。
解剖では循環器系に異常が見つかった。

昨日、中川氏死亡の速報が流れた時、サンデージャポンの青木アナは「速報には注目しないでください」と冷たく言い放った。

全員とは言わないが、マスコミの神経を疑いたくなる時がある。
死人にはもう鞭を打つなと言いたい。

生きてるうちは、叩く時は叩く、それでいい。
でもそれなら政党問わず公平に叩くべきだろう。

つい先日、国民の血税をキャバクラや韓国パブで使っていたことが判明した議員たちや、虚偽記載で東京地検の捜査が始まった某総理のことは叩かないくせに、中川氏のことはまるで殺人犯のように叩いてきた。

全然報道されていないようだが、十勝で中川氏に代わって当選した議員には西松献金問題に関わっている疑いがあり、風俗店で遊んだ代金すら自費で払わないというのだから、あまりの不公平さに言葉を失う。

国民が誰を支持するも国民の自由だ。だけど報道機関は偏ってはいけない。なぜなら「情報源」だからだ。

中川昭一は、経済以外にもたくさんの功績を遺した。

「毎朝4時に起きて政策を勉強し、こちらが心配するほど休まなかった」

と秘書は言った。

官僚の書いたペーパーをそのまま読むことはなく、自分でしっかりメモをとって発言していた。
拉致議連会長を務めるなど、拉致被害者からの信頼も厚かった。

横田めぐみさんの父、滋さんは

「非常に活動に貢献してくれた。励ます会をしようと話していたのですが…」

と言った。

田口八重子さんの兄は、

「議員として一番はやく拉致問題に取り組んでいただいた。非常に強い力を失った」

と言った。

増本るみこさんの弟は

「涙を流す政治家に初めて会った」

と言った。
中川昭一氏が自宅の父の位牌の前で涙を流しながら拉致問題解決を誓った姿を目にしたのらしい。

「水」についての問題にも取り組んでいた。
日本の水資源を心配していた。
そこでチーム水を発足した。

外交・安全保障についても、他国に媚を売らず対等に発言できる数少ない政治家だった。
十勝を愛し、日本を愛していた。

私はつい最近、中川昭一のブログを読んだ。
まさかこれが、彼の遺書になるとは思わなかった。
こちら

「それでも負けた。活動してくれた人々、約9万人の支持を考えると誠にありがたい。かつ申し訳ない。悔しい。しかし、十勝の総意として私は否定された。敗因は逆風もあったが、やはり私自身の報道問題と、私が訴え続けたこのままでは十勝が危ない、日本が危ないが有権者に受け入れられなかったことだろう。」

土下座しろとか、泣けとか言われていたらしい。
さらに、経済対策のために麻生総理に解散の先送りを提案したことで自民党を敗北させてしまったのではないかと自分自身を責めていた。

数日前、自分の日記のコメント欄で私は中川さんに戻ってきてほしいと書いた。
四年後にまた、日本の、世界のド真ん中で活躍する中川昭一を見たかった。

でもそれも永遠に叶わなくなってしまった。

「がんばれがんばれ!大丈夫!日本一!」と支え続けた奥様は、冷たくなった彼を見て何を思っただろうか。




兄弟のように仲のよかった麻生太郎は「言葉にならないほどショック」と言い、安倍晋三は「あの件がなければ今頃、昭ちゃんが自民党総裁だった」と言った。

本当に日本は惜しい政治家を亡くした。永遠に。
いま日本は円高でボロボロ、日経平均もがた落ち、中川昭一がいなくてどうするんだと本気で思う。

北海のコグマ、中川昭一さん。
天国ではもう誰にも遠慮せず、大好きなお酒を飲んでください。

あなたの政治家としての考え方と、人間味の溢れた性格、クールビズの着こなし、時折見せる子供みたいな笑顔が好きでした。
本当にお疲れ様でした。
ゆっくり休んでください。

これはある方の記事です。
私ととても似たお気持ちで書いていらっしゃり思わず、私の記事に下さいと言いましたら、とても心よくいただけましたので記載しました。