青山繁晴氏の番組打ち切り | 中谷良子の落書き帳

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核武装・スパイ防止法の実現を

関西で毎週土曜やっていた「ぶったま」という番組に青山さんがレギュラーで出ていたのですが打ち切りになったようですあせる
これで青山氏が真実を伝えられる番組が1つ減ったということが悲しいけど圧力がかかっていなければ良いのだけれど。
はじめに「これは僕の死に装束です」みたいなこと言って、真っ白なスーツに、霊柩車柄のネクタイ。

15555関西テレビぶったまでの最後の出演で青山繁晴が反泣きで絶叫

「これが僕からの最後の遺言だ」

汗20090926 青山繁晴のNEWSフカヨミ 4/4


てれはてな外国人参政権なんて国民は望んでいない。
てんそん↓日本国民の利益がないのに外国である韓国の議員に約束しているのはおかしい。
汗マニフェストにも載っていない。

びっくり民主党と公明党の連携を画策した小沢の作戦=外国人参政権

日本の若者達に職を与えなければならない雇用機会の創出と経済を立て直す方が先。

これ本当に最後青山さん泣いてると思う。。
感動したよホントに。。。

青山繁晴著書『日中の興亡』より
$Jellyの~世界の裏側で起きている事~

したぁ中国は負け戦をしない

人口問題は日中関係を考える上でもキーポイントである。
この問題をきちんと踏まえたうえで、中国に新しく生まれた共産党政権は、建国の戦略を考えた。

1949年の当時に、中国の周りを見渡してみると、1ヵ国だけその人口でやがて中国を追い越す国があると考えたという。
どこか。インドである。

中国は、前述たように、もともと戦争に弱い。
弱いからこそ、負ける戦争はしない。
日本やドイツのように戦争が強いと、負けるに決まっている戦争に飛び込んでいってしまう愚かなことになる。

普段の生活を考えてもわかるように、喧嘩が弱い人は、わざわざ強い相手に向かっていかない。
反対に、自分が強いと思っていると、自分よりはるかに身体が大きな相手に喧嘩を吹っかけて、無残にやられたりする。

中国は、やがて人口で自分たちを追い越すインドを最も重大な脅威の1つとして考えたが、決してインドに攻め込むような愚かなことはしなかった。

中国は人口で世界をリードしたい。
同時に周辺諸国に脅かされない為に外へ出て行きたい。
しかし負け戦、無理な戦争はしない。
そこで、インドに攻め込むのではなく、インドの頭の上を押さえようとした。

インドの頭の上のその国は、まったく戦争に弱い。
ひとと戦う事を知らない。
かつてスペインに滅ぼされたインカ帝国と同じように。
それがチベットである。

だから、建国の翌年の1950年に、中国はチベットへの侵攻を始めた。
そして1959年、つまり建国から10年後にチベットを完全に併合した。
チベットはそれ以降、中国の「自治区」ということになった。

私には2人の息子がいる。
2人の息子たちは学校で、「チベットは中国の一部だ」と教わっている。

息子たちに、こういう話をちらっとすると、「えっ、お父さん、チベットは中国の自治区だよ」と言う。
これが戦後教育である。

中華人民共和国には、そういう「自治区」がある。
だから「人民共和国」なのだ、だからこそ五星紅旗は五族協和を示している、私も学校で、そう教わった。
だが、私の場合、たまたま仕事で世界を歩き、現場主義、当事者主義で取材したから、戦後教育とは
違う考え方をもつようになった。

たとえば、亡命チベット人がいる。
日本にも、数はとても少ないが、いる。

亡命チベット人に、アメリカで話を聞いたことがある。
そのとき、「チベットの人々は、自分たちは中国の一部だと思ったことはあるんですか?」と聞いた。
すると、複数の亡命チベット人は涙をこぼしてこう憤慨した。

「青山さん、あなたがもチベット人に、日本は中国の一部だと思ったことがありますか?と聞かれたらどうですか?
あり得ないことでしょう。我らはチベット民族だしチベット仏教という、中国仏教とは全然違う文化がある」私はその話を聞き、文化こそ祖国だという考えをもつ
原点になった。
彼らは、こうも語ってくれた。

「わがチベット仏教は、漢民族の文化とは全く違う。
だから全然違う国であり、中国の一部だと思ったことなど、まったくありません。
中華人民共和国ができて侵略戦争が始まった。
わたしたちは戦う術を知らなかったから、男は亡命し、女、子供は殺されて、中国に侵略された。
しかも同化政策によって、純粋なチベット人の子供はどんどん少なくなっている。
中国人と結婚させられて、チベット全体が大きな意味で民族抹殺のような状況になっている。
巨大な侵略だ」

私がこの言葉を聞いたのは、2008年3月にチベットで大規模な民衆蜂起がおきる7年以上も前のことだった。