おもさんの雑感
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Sun, February 10, 2019 11:19:53

身に気づくワークショップ3

テーマ:創造的日記

半年に一回ペースで開催させていただいてる「身に気づくワークショップ」。

来月24日に3回目となるワークショップを開催いたします。

 

https://presentsnpo.wixsite.com/presents-study-group/ws

 

NPO法人presents様にて受付開始になりましたので、以下に転載いたします。

 

これまでNPO法人presents様にて2度の「身に気づくワークショップ」を開催しました。

初回は主に「身体操作」2回目は「触れる」をテーマにワークを進めました。

これらテーマの違いは、取り扱うものが異なるということではなく、切り口の違いです。つまり「身」というものに対する理解を一つは「身体操作」、もう一つに「触れる」という具体的な切り口で行なった、ということです。ここでの理解は、学術的なことではなく、自身の体験によって気付いていく手立てで得られるものです。 

体験というのは様々です。自身の抱えている問題意識、それに費やした時間、各々の感性、経験、信条など数多の要素が「体験」に関与するからです。 

この「身に気づくワークショップ」も私の体験が根底にあります。 その「体験」を様々な観点で、そして手法で、考えて、時間をかけて検証してきた結果が現在である、ということになります。 

 

3回目となる「身に気づくワークショップ」では、得られた体験から何をどのように考え、あるいはどのように取り組んで現在に至ったか、という私自身の航跡にスポットライトを当ててみようかと思います。 「身体操作」や「触れる」というテーマは、理学療法士という職を選択しなければまともに考えもしなかったことかもしれません。また患者さんや利用者さん、そしてこの道での先輩や師との出会いがなければ、こうも問題意識が深くなることはありませんでした。

ただ面白いのは、理学療法という職を選択しなければ「身体操作」や「触れる」を考えるきっかけがなかっただけであり、理学療法士でなければ現在に至れなかったか、と問われれば、必ずしもそうではないということです。 なぜなら私が得た「身体操作」や「触れる」についての体験は、私の知り得ていた理学療法的見地からは説明できないことが多かったからです。もちろん、それは当時の私にとってです。他の方にとってどうかは知りません。 ですが、自身の体験は、自身の知りうる範疇を超えることに気づけたのは、体験から考えていくことの礎になりましたので、大変重大なものでした。 

 

物事の正しさを追求するのは怠ってはならない科学的態度だと思います。それはしかるべきでしょう。しかしながら、自身の体験は、科学的に解釈できるものばかりではないでしょう。ましてや正しさなど主張できるものではありません。 ですから、自身の体験には安易に解釈を与えずに、素直に向き合えば良いのです。自身の体験には、自身を成長させるきっかけが驚くほど多くあるものなのです。 

 

今回の「身に気づくワークショップ」は、これまでのテーマである「身体操作」や「触れる」に即しながら、私自身の体験や気づき、考えや行動の変遷をドキュメンタリーで紹介したいと思います。これは私自身にとっては初の試みになります。 このワークショップにご参加いただいた後は、きっと時間をかけて自分の道を進めば良いと思っていただけるはずです。

 

<取り組むワークの一例>

・関節を動かすためから始まった「身体操作」と「触れる」の変遷

・相手に作用する、を考え始めたきっかけと変遷

・PT以前の資質と、PTとして伸ばされた資質について

・「治療」と「方法」についての現在の思索

【日時】

 3月24日(日)

 10時30分〜15時30分

​​

【場所】

 SODA STYLE DANCE STUDIO

 〒224-0003 神奈川県横浜市都筑区中川中央1丁目34−15 N-SQUARE 2F

 横浜市営地下鉄 センター北駅より徒歩5分

【講師】

 尾森亮太 先生

 理学療法士

 直感想造研究会 主宰

【対象】

 興味のある方ならどなたでもご参加いただけます

【参加費】

 5,000円 

 

【申し込み】

NPO法presents様のホームページよりお願いいたします。

https://presentsnpo.wixsite.com/presents-study-group/ws

 

 

自身の体験を熟考していく作業というのは、自己否定の連続です。

自己否定の中身は、自身の認識や何気なく使用している言葉、無意識的な価値観、考え方など様々です。このプロセスの中で、「自己否定」と「自己批難」は明確に異なることが分かりました。

自身と関係のない言葉や考え、出来事に触れて「自分はダメだ」やらを自身に押し付けるといったものが自己批難に当たります。 情報化社会になりSNSが流行すると、それに拍車をかけるようですね。言葉や考えというのは、直接的に自分には関係ないでしょう。そこを明確に考えることなく、目に入ったものに振り回されるのは、あまり有益なことではありません。

 

自己否定と書くと、常用語で言えば「ネガティヴ」といった印象があるかも知れません。

しかし、それとて単に言葉尻を捕らえているに過ぎません。

例えば「こんなことにも気づかなかったのか」という体験は、自身に視点の広がりをもたらすとも言えます。それはいわゆる「ネガティヴ」なことでしょうか。「視点の広がりをもたらす」とすれば「ポジティヴ」なことでしょうか。「ネガティヴ」も「ポジティヴ」も単に捉え方の一面にそれぞれ名称をつけているだけに過ぎません。ですから、本来はネガティヴもポジティヴもありません。

自己否定とて同じです。

暗黙の自己肯定があるから、「自己否定」ということが際立って必要になる、と言うのです。そして、ここが最も重要なのですが、それは「私が言っている」ということです。つまり、私のプロセスにおいては自己否定が必要だった、ということです。それは自己肯定への道とも言えます。

ここいらのことを提言したいと思い、今回のワークショップでは、プロセスに焦点を当てることにしました。

 

これまでの「身体操作」や「触れる」は具体的なものです。

具体的にどんなことに気づき、どう考え、どうしたか。

そのプロセスを紹介することで、少なからず役に立つものがあるかと思います。

もちろん、これまで通りワークが中心です。

少し構成を変えて、進めていこうと思っています。

 

今回もよろしくお願いいたします。

 

 

Thu, January 31, 2019 21:03:31

何もしていない

テーマ:創造的日記
何も出来ない、ということ以上に何もしていないということに、気付くのは難しい。
何もしていない、にも関わらず経験値は増えていると思う。単に贅肉が増えているだけなのだが。
その不毛な幻に、一体どれだけの人を付き合わせたのだろう。
胸が痛くなりはしないだろうか。
いいや、きっと頭が痛くなるだけだろう。
何故ならその人の世界は頭の中にしか広がっていないのだから。

何もしていない、というのは現実から知るよりほかない。こんな言葉は無意味なものである。なぜなら、現実には言葉の入り込む余地がないからである。
Sun, January 27, 2019 11:05:10

未練の効用

テーマ:創造的日記
未練たらしさ、というのは悪いものではない。
「あの時、こうすればよかった」という後悔や反省、心残りは次の工夫につながる。
そういう意味で、未練は自身の体験の味わいのセンスを育てる。逆に何も振り返ることなく猛進するでは味わいのセンスは育たない。これは俗につまらない、という。
ただ未練というものを表面化し、その気分に自分や他人を巻き込むのは有益ではない。
「大切なのは今」ということから離れるのは、生の放棄である。

未練を自身の顔のシワとして刻むか、辛気臭く鬱陶しい他人を苛つかせるツラになるか。

未練たらしいが鬱陶しくない。
そこを目指すのはどうか。
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