田母神は善意に対して本当は見返りを求めていた、優里が恩を仇で返した、人間恐ろしい、という感情を誘導するような描かれ方であったと感じたが、穿った見方をすれば、以下のように考えられる。


この映画は、奉仕は存在するのか、というテーマであると解釈した。結論としては、見返りを要求するでもなく、無私の労働を行うこと、という意味での奉仕は存在しないのだと思った。


相手に迷惑をかけるような自己中心的な振る舞いも、相手の心情に寄り添って気を使う振る舞いも、全ては自分のためなのだと思う。相手にこうなって欲しい、という一見奉仕的な欲求も、根本的には自分の理想に基づいているという考え方である。自らの働きかけの動機を、相手への影響と切り離して思考することは不可能であり、結果的にどの行動を選択しようとも、それは自らの欲求に内包されたものに過ぎないのだと考えている。


では、奉仕でない人間の行動が全て不健全なものであるかと言えば、当然そうでない。


そもそもとして、人間が進化の過程(有力な進化論としては、進化は環境適応による結果的な生き残りだとされているが)により、このような欲求を獲得した背景には、社会的な生物としての合理的な要因があるのだと思うし、それが状況が目まぐるしく変化し得る現代社会において有効であるかはさておき、過程はどうであれ、感情や感覚に直接的に作用するそれらの欲求は、適切な制御によって、人々がより幸福になる方向へ用いられるべきであると考えている。


話が逸れかけたが、田母神は優里に対する善意の行動によって、優里が目先の利益や欲求に溺れずに、自らの表現の欲求や他人の幸福に対する欲求を満たすことに誠実であり続けて欲しいと感じており、それが田母神にとっての見返りであったのだと思った。

YAMAHA YBR125を描いた。


け〇すけ君の愛車であり、完成した絵は本人にプレゼントした。






エンジン周りから描き始めた。








 

うっすらと下書きを描き、全体のバランスを調整しながら描き進める。


果たしてバイクの絵になるのだろうか。




エンジンの細部に差し掛かる。


空冷の部分?で骨が折れる思いをした。


苦労を感じる点ほど、完成した時のリアリティに多く貢献する、はず。




シート、ボディ部分を描き進めていると、ようやくバイク感が出始める。



 

エンジン周りをほぼ描き終えた。


細かくて大変な場所だったが、マシンの複座さを良く再現できたのではないかと思う。







ハンドル周りと前輪部に差し掛かる






下書きをしっかり描く。


下書きさえバランスよくかければ、安心して細部を描き進めることが出来る。


エンジン周りが描けたら時点でだいぶ満足した。


(終わりにしてしまおうかな、、、)



自分に鞭を打って、ハンドル周りを描き進める。




ハンドル周りは部品の線が細くて難しかった。





スピードメーターのカバー部分や、ミラーのグラデーションが良く描けた。




ライトを描いた。


車や新幹線にも共通するが、ライトのような鏡面の映り込みは、形状を描こうとする意識は捨てて、ただただ見えたモノを描く。


映り込みは、歪んでいたり、別のものが混ざっていたりとカオスになっているため、映っているモノを概念として捉えてしまうと、描くことが困難になる。


Excelのセルに、ある数値を代入するかのように、ある場所に書いてあるものをただ認識して、紙に描く。


というわけで、最後の勢いで前輪周りを描いた。





ほぼ完成。


あとはフロント部分にYAMAHAのロゴを入れておわり。



完成した。


感想

「バイクってカッコイイ」


 

 

額縁に入れてみた。

 







最後まで読んでくれてありがとうございました。






もしも、描いて欲しい絵があったら申してください。


可能な範囲で描いて、額縁に入れ、ラッピングした上でプレゼント致します。(納期は無し)

 

 

Volkswagen のup!という車を描いた(2018年11月)。



映り込みの細かい所を描いている時は、カオスすぎて頭が狂いそうになるが、描き終わって遠目で見ると、ちゃんとそれっぽくなる。

鉛筆画において、リアリティを感じる大きな要素は、映り込みや影などの、サブ的なものだと思う。

車体全体のバランスが歪んでいるが、描いている当時は完全にゲシュタルト崩壊しているので気が付かない。


ボディ部分はおよそ描き終えた。

できるだけ元画に映っている全てを描こうと思って描いている。

注意深く見るとガラスだけでなく、ボディにも細かい映り込みがある。


ライトを片方描いた。

急にリアリティが出てビビった。

やっぱり、テカテカしてる所にリアリティが宿ってる。


フロント部分をほぼ描き終えた。

ナンバープレートはテキトーに「up!」にした。

フロントガラスに差し掛かる。

ダッシュボード、ハンドル座席部分を描いていく。






車内も描き終わり、タイヤを描く。

もう少し。

ホイールの形状を見て嫌な予感が。。。

だいぶ疲弊した中、ホイールのクソ細かい形状に苦しめられる。

グラデーションやカオスな映り込みより、細かい形状が苦しい。

なんとなくが通用ない。



ホイールの苦しみを乗り越え、完成。

車体左足部分の形状が歪んでいて納得がいかないが、まあいいや。


テキトーにカッコつけたサインを描いた。

サインの描き方は、中学の美術教師に教わった。


思い返せば、中学の美術教師に、絵の描き方を色々教わった。

授業だけでなく、週一回の課外活動で、美術を選択していたので、教わる機会が比較的多かった。

自画像の描き方、トレースを使った画法など、とても面白かった。


ある時、美術教師の絵を見せてもらう機会があったが、次元の違いを感じたこと記憶がある。

人間が描いたとは思えないリアリティに感銘を受けた。

それと同時に、やり方次第で、自分もこのような絵をかけるのではないかと感じた。

実際のところは、レベルの低い模写しか出来ないが、楽しみながらコツコツ描いていけば、少しづつ美術教師の描くような絵に近づけるのではないかという希望的観測をしている。まあ、近づけなくても何も困らないのでオールOK。




最近、絵を描いている時の感覚が研究している時の感覚と似ていることに気がついた。

細部の緻密さと全体のバランスのどちらを欠いても、いい絵にならない。

研究においても、どれだけ細部に着目しても、全体から見て、無意味なこともある。

それぞれの違いは、抽象的なイメージか理論的な構造かであって、本質的な構造が似ている。

皮肉なことに、1度没頭し始めると、それ以外のことがどうでも良くなってしまう、という点でも似ている。








最後まで読んでくれてありがとうございました。