嵐は

歩き始めた頃は、
20年続くなんて
思ってなかったんだよね。

15年の時にすでに
「こんなに続くと思ってましたか?」
って
おおちゃんは言ってた。

相葉くんが言った
「世界に嵐を巻き起こす」だって
具体的なイメージが
あったわけではないし


いつか頂点に立ちたい…って
それは思っていたかもしれない。
でもそれだって
具体的なイメージは
無かったと思うよ。

何が
「世界に嵐を巻き起こす」ことなのか
何が
「頂点に立つ」ということなのか

答えなんて無い…ってことに
だんだん気がついて

上っても上っても
まだ何か足りてない感じが
いつもあって

気がついたら
もう誰も想像していなかったところまで
来てしまっていて


そこで

数字が出ること
人気が出ること
ファンが求めていることだけを
繰り返す…っていう選択も
あっただろうけれど

彼らにとってそれは
“止まること”

止まってしまったら
落ちていくのは目に見えている。

現状維持するためには
彼らには上っていくしか道がない。


それがね。
すごくカッコ良くて。
誰にでもできることじゃない。
精神力とか体力とか…

そうやって頑張り続けられるのは
この5人だからなんだってことも
見続けるうちにわかってきて

だから私は

ずっとずっと
この5人を追いかけていくつもりでいた。


だから
あの発表の時は
すごく驚いたし
すごくショックだったし
このまま応援し続けられるか
自信がなくなった。

でも
「お互いを尊重する嵐」も
「進み続ける嵐」と
同じくらい好きだったから

だから
とにかく追いかけてみようって
思えた。


今、嵐が新しいことをする度に
なにかとザワザワするけど

私は
海外に挑戦する嵐の方が
SNSに挑戦する嵐の方が
「活動休止します」って言った嵐よりも
ずっとたやすく理解ができるんです。

これは5人の総意だって
理解できるんです。



最後だから
なんかやりたい…ってそういうことではなくて

むしろ
最後まで
“今までと同じように走り続ける”って
そういうことだと思うから。

2020で嵐は一旦休止になるけど
5人それぞれの人生が
なくなるわけではないし

嵐そのものも
なくなるわけではない。

明日の自分を作るのは
今日の自分でしかない。

そういうことなんだと思うから。



意外…というか、

私が思ってるよりも
もっと彼らはひとつなんだ…と
感じたのは


もし、なにか
良くないことが起こっても

それは
ファンの反応なのかもしれないし
それこそ
世界の反応なのかもしれないし
わからないけど

でも
それで受けた傷をも

この5人で乗り越えていけるなら
チャレンジできるって

そう考えていること。


同じ方向を向いて走っていけること
そのこと自体が嬉しくて

もしダメでも
それは嫌だけど
でももしもダメでも
やらないで後悔するよりいい

いつでも
チャレンジしてきた。
最後までチャレンジし続ける。

この5人だったら
何かあったら
そのときはそのとき。



まさに
“運命共同体”を
目の当たりにして

温かく
誇らしく

そしてやっぱり
私の信じていた嵐だったと
答え合わせすることができて

嬉しい気持ちです。



結果的に
SNSへの参画っていうのは
本当に救いになっている。

もしも、嵐が
最後の年に
「近くからのアプローチ」しか
計画していなかったとしたら

それはほとんど
実現できていなかったと思う。

実際のところ
国立も…
展覧会の一部も…





彼らが挑戦することを
やめなかったからこそ
私たちは今
嵐と過ごす時間を
ネットを通してではあるけれど
持てている。

神様が
嵐を、
そして私たちファンを
救ってくれたとしか思えない。