嵐を全うする…

あなたが
そう言葉にしなくても
それはもう、すごくすごく伝わっていて

表情もそうだし
熱量もそうだし
物理的な量だけみても

明らかに今までとは
違っている。


でもね、

おおちゃんから
自身の決断を聞かされた
その瞬間からなのか?といえば
きっとそうではなかったのだと思う。


目覚める度に
自分の置かれている状況が
夢ではなかろうかと、
夢であったらいいのにと、
そう思う日々が
きっとあったはず。


呆然としながらも
「ああそうですか」って訳にもいかない。

なるようにしかならない…だけど
放っておけるものでもない。

動けない。
でも動かなければならない。
でもでもどう動いていいのかわからない。

そんな日々が
私たちにあったように
きっとあなたにもあったに違いない。


それでも
いつもの翔ちゃんでいてくれて

私たちの知る
翔ちゃんでいてくれて

ありがとう。



私は


「終わらない嵐」が好きだったから
「頂点に立っても終わらない嵐」が好きだったから

だから
「終わる嵐」を
どう受け入れたらいいのか
わからなかった。

それはもう、
嵐を好きではない…ってことなのかと
問いただしたりした。

でも


もうすでに
私は嵐から多くのものを
もらっていて

それがなかったら
私は今の私ではなくて

もっとつまらなかっただろうし
もっと弱かっただろうし
もっと自分に甘かったと思う。
他人には厳しかったと思う。


嵐は終わるけど
嵐が変えてくれた私は終わらない。

今なお
ことあるごとに
彼らの“乗り越え方”を想像して
自分もいろんなことを
乗り越えている。


これは
好きじゃなきゃなんなのか

やっぱり好きってことじゃないかと
そう思った。




きっとあなたも
「終わる嵐」に
すごく戸惑っただろうと思う。

「終わる嵐は嵐なのか」
問いただしただろうと思う。

そして

やはり私と同じように
いやそれ以上に

「嵐が自分に与えてくれたもの」の大きさに
気づいただろうと思う。

そしてそれを
傷つけてしまうようなことは
絶対にしてはならないと
思ったはず…。



だからあなたは
動いた。

話を聞いて
話をして
話し合って
着地点を探すために
動いて、動いて、動いて、

それで
「2020年末をもって活動休止」に
たどり着いた。


この決断が
いいとか、悪いとか、
そんなことはわからない。

ただ、
この結論に至るまでに通った道のり
過程にこそ
「嵐らしさ」が
あるのだと思う。

翔ちゃんがいなかったら
こうはなっていなかったと思う。

だったらどうなっていたかなんて
全く想像できないけれど。






翔ちゃん

かつてあなたが
東日本大震災の後に言った言葉

いつも通りをいつも以上にやる

この言葉を聞いて
私は
あなたについていこうと
思いました。

そしてついこの間
またそれを思ったんです。


前を向くだけでは堪え切れず
上を向くことでしか進めない


あなたのモチベーションが
苦しみの中で
こんな風に保たれていたなんて。

この言葉を聞いたとき

あなたの苦しみを知り
すごく悲しく
でも、すごくたくましく
なんと凛として美しいのだろうと。

ついていこう。って
改めて思いました。

際の際まで走る嵐と
私も
際の際まで進化し続けたいから。


翔ちゃん
お誕生日おめでとう。

嵐の着地点を探してくれて
本当にありがとう。