24時間TVのなかで
かつて取材した少年の
11年後を追うコーナーがありました。

翔ちゃんが

上原投手が引退したとき
彼のことを思って
スタッフにその後を聞こうと思ったけど
できなかった

と、言っていました。
怖かった…って。

そうだよね。
病と闘うって
壮絶だと思うし、想像も難しい。

でもねきっと
その「怖さ」は
翔ちゃん自身も
この11年間を必死で頑張ってきたから

“これよりも大変なんだ”
という想像からくる「怖さ」だと
思うんだ。




この再会は

この11年間を
翔太くんが頑張ったからだけでなく

上原投手も頑張ったから

翔ちゃんも頑張ったから

みんな、みんなが頑張ったから
得られた最高の再会…ですよね。



翔太くんはこの11年間、
上原投手の背中を追い続けた。

憧れの人が
困難に立ち向かうから
自分も困難に立ち向かう。

憧れの人が
優しいから
自分も優しくなれる。

憧れの人が
絶対に諦めないから
自分も絶対に諦めない。

そうして11年間を生きて
これからも闘い続ける。


でも上原投手も
翔太くんの苦しみを思い、
自分の苦しみなんて大したことないと
勇気づけられ
頑張りつづけることができた。

支えているつもりが
支えられている。

心で繋がっていた。
ずっと、ずっと。

だから
実際に手が繋がれたとき
涙が流れる。

支えあって生きてきたことを
実感する…ということなのかと思います。



番組の中で
たくさんの人を支えたり
たくさんの人に寄り添ったりする嵐。

そのとき
一応の結末があり、
一応の充実感がある。

だけど本当は
「その後どうなったのか」が問題で

TVって
すごく影響が強いから

ものすごい勢いで
事態が好転していくこともあれば

いたずらに騒いで
その人の人生を台無しにしてしまうことも
ありえる。

かといって、
自分が関わった人が
その後もその人らしく
生きられているかどうかを
全部追っかけられるわけではない。

追いかけられない。
でも
頑張ってほしい。

そう考えて
自分がやれることは。

「とにかく自分が頑張ること」

なのかな。と
嵐を見ていると思うんです。




翔ちゃん。

私はあなたに憧れて

だから

あなたが
困難に怯まずに立ち向かうから
私も怯まずに行こうと思えるし

あなたが
優しく、あたたかいから
私もそうありたいと願うし

あなたが
丁寧に物事に向き合い努力するから
私も努力しようと思えるし

なんの準備もなしに
いろいろこなせる人の能力を
羨むことをやめました。

その能力もすごいけれど

自分の能力を受け止めながら
足りないなら努力するしかないと
頑張れることに

誇りを持つことが
できるようになりました。

あなたが
嵐が

私の生き方を変えたし

だから相変わらず
不器用だし、能力もさほどではないけれど

自分らしい生き方をしていくしかないと
勇気を持って生きています。


そのことを
直接伝えることができないから

それがもどかしい。


あなたを、嵐を
支えにしている人がいます。

本当にたくさんいます。

わかってはいると思う。
そうやって
自分達を支えに頑張ってる人がいる…って。

でも

ひとりひとりに会って
話を聞くことができないでしょ?

だから、その実感は
あまりないかもしれないって思う。

たぶんね、
翔ちゃんが、思っている以上に

支えられてる人はいるよ。