ARASHI Anniversary Tour 5×20
東京ドーム4/19の感想です。

レポではありません。
が、ネタバレあり…ありかなぁ?
それほどのものじゃないけど…








オープニング
泣きました…。

いつもの嵐がそこにいて
いつものファンがそこにいるのに

ふと「これでもう最後なのか」という
想いがよぎったとき

なんとも言えない悲しさが
ありました。

これは夢なんだ。
覚めないでと思うけど
覚めてしまうんだ。

その悲しさが
ありました。


でも
彼らのダンスの一体感と

「伝えたい」
その想いがあふれでる歌に
いつの間にか
引き込まれました。


MCの時間も
やり取りが
早くて
相変わらずで
距離を感じない楽しさで

個人の仕事の紹介もあって
会場もすごく盛り上がっていて

ふと




なんで嵐は
この生き方を一旦止めるんだろうと
思ってしまって。



才能が無いならともかく
それぞれがそれぞれの才能を持ち

成功していないならともかく
大成功している。

その上、仲も良いときた。


なんでおおちゃんは、
この状況に
疑問を持ったんだろう。

おおちゃんは、一体何に
気づいたんだろう…。







今回、
ずいぶんブリリアンスの高い
(高音がキツい)音質だなぁ。と感じて。

もちろん
ドームはそもそも音響うんぬんなんて
そういう話のできる会場ではないです。

広いし、
いろんな場所があるし、
お客さんの人数が半端無い。
静かになれば、
外の音も聞こえてくるような環境。

実際、前回は屋根のある席だったので
どちらかというと
くぐもって聞こえてたんです。

それが、今回の席は
だいぶ高音がキツくて。

もう少し抑えてくれれば
声が聞き取りやすいし
おおちゃんの声なんて
もっとまるく聞こえるだろうな…。
ま、それはお客さん目線なんだけど。




これが仕事と考えたとき
これに毎日さらされているというのは
うーん。キツい。
体がキツい。
耳もキツい。

人間として
これが毎日…っていうのは
キツいな…と。

ドーム演出ということでいえば
当たり前。
そうでなきゃいけない。
それはそうなんだけど。


私は音楽のことしかわからないけど

いろんな面で
「人間としてキツい」ということが
芸能界というところには
あるのかな。

守秘義務があったり

それにともなって
行動、発言が制限されるだけでなく
人間関係にも
神経質にならなければならなかったり

こんな風に具体的に書くと
「それは違う」って
言われちゃうかもしれないけど

要するに
彼らにとっては
当たり前のことなんだろうけど
外から見たら
やっぱりちょっと普通ではない…という

そういう事柄が
たくさんあるんだろうことは
予測できる。




ラブソーの時、
それまで
煽ったり、
上のほー!に手を降ったりしていた
翔ちゃんの手が

サッと空気を横に流すような仕草になって

ん?これなに?
と最初は思ったんだけど

あ、そうか、
「モニター見て」ってことか。と気づいて。(おそらく)


モニターに
この5×20を作る5人の姿が
映し出されて

悩む姿。
本当につらそうで。

真っ直ぐ取り組む姿。
本当にキラキラしていて。

そんな中に挟まれる
彼らのじゃれあいと笑顔。

それはね、以前も見たものでした。

だけどこの時彼らが
どういう気持ちだったかを

本当は、本当は、
どういう気持ちだったかを
知らなかった。


それを知って、想像して、

この映像を見たとき

もう涙がとまりませんでした。

記者会見の様子も流れました。



人間らしからぬ“常識”が
存在する世界に生きながら

この人たちは
人間であろうとする。

そのために
苦しみ、真っ直ぐに向き合い、
どんなことも楽しむ。



時間だけじゃない。
体力だけじゃない。

精神的にも
私が想像するよりもずっと
過酷なところで生きている。


休ませてあげたい…って言ったら
語弊があるけれど

感謝こそすれ、
責めることは絶対に出来ない。


「人間として生きる」

それが嵐の素晴らしさ。

人間として生きるために
「休止」を決断。

なぜそういう結論に至ったかは
もちろん私にはわからないけれど


ギンギンに
耳に鳴り響く高音の中にいながらも
温かさを感じるのは

間違いなく

嵐から人間らしさを感じ、
その嵐と一緒にいるからなんだと
感じました。

















つづく。