【原文】
「魏畧曰昔箕子之後朝鮮侯見周衰燕自尊爲王欲東略地朝鮮侯亦自稱爲王欲興兵逆擊燕以尊周室其大夫禮諫之乃止使禮西說燕燕止之不攻後子孫稍驕虐燕乃遣將秦開攻其西方取地二千餘里至滿番汗爲界朝鮮遂弱及秦并天下使蒙恬築長城到遼東時朝鮮王否立畏秦襲之略服屬秦不肯朝會否死其子準立二十餘年而陳項起天下亂燕齊趙民愁苦稍稍亡往準準乃置之於西方及漢以盧綰爲燕王朝鮮與燕界於溴水及綰反入匈奴燕人衛滿亡命爲胡服東度溴水詣準降說準求居西界故中國亡命爲朝鮮籓屏準信寵之拜爲博士賜以圭封之百里令守西邊滿誘亡黨衆稍多乃詐遣人告准言漢兵十道至求入宿衛遂還攻準準與滿戰不敵也。」將其左右宮人走入海居韓地自號韓王「魏略曰其子及親留在國者因冒姓韓氏準王海中不與朝鮮相往來」其後絶滅今韓人猶有奉其祭祀者漢時屬樂浪郡四時朝謁「魏略曰初右渠未破時朝鮮相曆谿卿以諫右渠不用東之辰國時民隨出居者二千餘戶亦與朝鮮貢蕃不相往來至王莽地皇時廉斯鑡爲辰韓右渠帥聞樂浪土地美人民饒樂亡欲來降出其邑落見田中驅雀男子一人其語非韓人問之男子曰我等漢人名戶來我等輩千五百人伐材木爲韓所擊得皆斷髪爲奴積三年矣鑡曰我當降漢樂浪汝欲去不戶來曰可辰鑡因將戶來來出詣含資縣縣言郡郡即以鑡爲譯從芩中乘大船入辰韓逆取戶來降伴輩尚得千人其五百人已死鑡時曉謂辰韓汝還五百人若不者樂浪當遣萬兵乘船來擊汝辰韓曰五百人已死我當出贖直耳乃出辰韓萬五千人弁韓布萬五千匹鑡收取直還郡表鑡功義賜冠幘田宅子孫數世至安帝延光四年時故受復除」
【書き下し文】
「魏畧曰う、昔箕子の後、朝鮮侯見、周衰え燕自尊し王と爲す。東の地を略すと欲し、朝鮮侯亦、自ら稱し王と爲す。兵を興そうと欲し、燕を逆擊し以て周室を尊ぶ。其の大夫禮、之を諫、乃ち止む。禮を西に使いし、燕に說す。燕之を止め攻めず。後に子孫稍に驕虐し、燕乃ち將・秦開を遣わし、其の西方を攻め、地二千餘里を取り、滿番汗に至り界と爲し、朝鮮遂に弱す。秦天下を并するに及び、蒙恬を使って長城を築き、遼東到った。時の朝鮮王は否が立つ。秦が之を襲略するを畏れ、服して秦に屬す。朝會肯せず。否死して其の子準立つ。二十餘年して陳、項が起ち天下亂す。燕、齊、趙の民愁苦し稍稍に亡し準に往く。準乃ち之を西方に於いて置いた。漢に及り盧綰を以て燕王と爲す。朝鮮と燕の界、溴水に於いて及る。綰反し、匈奴に入る。燕人衛滿亡命し胡服と爲す。東溴水度り、準に詣り降る。準に說し、西界に居すを求め、故の中國亡命、朝鮮の籓屏と爲す。準信じ、之を寵し、拜して博士と爲し、圭を以て之を封じ、百里を賜う。西邊の守りを令す。滿、亡黨衆を誘い、稍に多く乃ち詐り人を遣わし、准に告ぐ。漢兵言う、十道至り、求めて宿衛に入る。遂に還って準を攻む。準と滿戰い、敵わず也。其の左右宮人を將いて走り、海に入り、韓地に居し、自ら韓王を號す。「魏略曰く、其の子及び親留り國に在る者は、因りて姓を韓氏と冒りる。準、海中王となり朝鮮相い往來せず。」其の後絶滅、今韓人猶其の祭祀奉ず者有り。漢の時、樂浪郡に屬す。四時に朝謁す。「魏略曰く、初め右渠未だ破らず時、朝鮮の相・曆谿卿、諫むを以て右渠用いず。東の辰國に之く時、民隨って出る居者二千餘戶。亦朝鮮と貢ぐ蕃相往來せず。王莽地皇時に至り、廉斯鑡、辰韓の右渠帥と爲る。樂浪の土地美しく、人民饒樂と聞き、亡と欲し來降す。其の邑落出る、田中に雀驅る男子一人見る。其の語韓人非ず。之に問う、男子曰く、我等漢人、名は戶來。我等輩千五百人材木伐すを爲す、韓の擊つ所得て、皆斷髪、奴と爲り三年矣積む。鑡曰く我當に漢の樂浪に降る。汝去ろうと欲すか。戶來曰く可。辰、鑡が戶來將いるに因り、來出し含資縣に詣る。縣、郡に言し、郡即、鑡譯と爲すを以て、芩中從り大船に乘り、辰韓に入り逆取す。戶來と伴に降る輩尚千人を得る。其の五百人已に死す。鑡時に辰韓曉して謂う。汝五百人還す。若し不者ずんば、樂浪當に萬兵を遣わし、船に乘り來て汝を擊つ。辰韓曰く。五百人已に死す。我當に直に耳し贖を出す。乃ち辰韓萬五千人、弁韓布萬五千匹を出す。鑡、收取し直に還る。郡、鑡の功、義を表し、冠幘、田宅を賜う。子孫數世、安帝延光四年時に至り、故に復た除を受く。」
【日本語訳】
「魏略の引用。昔、箕子の後、朝鮮侯見の時、周が衰えて燕が自称して王となり、東の地を侵略しようとした。朝鮮侯もまた自称して王となった。兵を興して、燕を逆擊して周室を尊ぼうとした。朝鮮の大夫・禮はこれを諫めて、朝鮮王は止めた。禮を西に使いにし、燕に説明をした。燕は攻めるのを止めた。後に子孫は次第に驕り、燕は将・秦開を派遣し、朝鮮の西方を攻めて、二千里余の地を取り、満番汗を境界として、朝鮮は弱体した。秦が天下を取ると、蒙恬に長城を遼東まで築かせた。時の朝鮮王は否であった。秦が朝鮮を攻撃するのを畏れ、服して秦に属した。朝会では支持されなかった。否が死んでその子準が王となった。二十余年して陳勝、項羽が決起して、天下乱れた。燕、斉、趙の民は思い悩んで苦しみ次第に朝鮮王の準の所に亡命していった。準は亡命者を国の西方に置いた。漢になって、盧綰が燕王となった。朝鮮と燕の境界は溴水になる。盧綰は反乱を起こし、匈奴に入った。燕人の衛満は亡命し胡服となった。東の溴水を渡って、朝鮮王・準に詣り降った。準に、昔の中国人の亡命者を朝鮮国の藩屏とする為、西への居住の必要性を説明した。準は信じて、衛満を寵愛し、拝して博士として、圭を渡して侯に封じて百里を与え、西辺の守りを命令した。衛満は亡命者を誘って、次第に徒党が多くなっていった。これを詐る為、人を派遣して、准に告げた。漢兵が十道から来ると言い、宿衛に入ることを求めた。遂に還って準を攻めた。準と衛満は戦ったが、準は敵わなかった準は左右宮人を率いて逃走して、海を移動して、韓地に入って、韓王を自称した。「魏略の引用、準の子や親族で国に留まった者は、その事で姓を韓氏と変えた。準は海中王となってから、朝鮮と往来しなかった。」その後、準の後裔は絶えてしまったが、今でも韓人は猶その祭祀を奉じている者がいる。漢の時、楽浪郡に属した。四季折々に朝謁していた。「魏略の引用。初め右渠がまだ破られる前、朝鮮の相・曆谿卿は諫めたが、右渠は耳を貸さなかった。東の辰國に行く時、民で一緒に出た者は二千余戸あった。また朝鮮と貢ぐ蕃夷とは互いに往来しなかった。王莽の地皇時代に至って、廉斯鑡は辰韓の右渠帥となった。楽浪郡の土地が美しく、人民は豊かに暮らしていると聞き、亡命したいと思い降ることにした。邑落を出て、田の中に雀を駆っている男子を一人見た。彼の言葉は韓人と同じでは無かった。彼に問うと、男子は答えた。「我らは漢人で、名は戸来と言います。我ら千五百人は、材木を伐採している所、韓に捕らえられて、皆断髪され、奴碑となって三年ばかりになります。」廉斯鑡は言った「私はまさに漢の楽浪郡に降るところだ。おまえはここから去りたいか?」戸来は言う「はい」。辰韓から廉斯鑡が戸来を率いて、含資県に向かい詣った。県は郡に奏上し、郡は即、廉斯鑡を通訳として、芩中から大船に乗り、辰韓に入り漢人を取り返そうとした。戸来と伴に降った千人を取り戻したが、五百人はすでに死んでいた。廉斯鑡は時に辰韓を諭していった。「お前達は五百人を返せ。もしそうしなければ、楽浪郡はまさに万兵を遣わし、船に乗ってきて汝を擊つぞ。」辰韓は言う。「五百人はすでに死んでいる。私は言い値の贖いを出します。」辰韓は一万五千人、弁韓は布を一万五千匹を出した。廉斯鑡はそれらを受け取り帰った。郡は廉斯鑡の功績、義を表して、冠幘、田宅を与えた。子孫数世、安帝延光四年時に至って、故にまた除を受けた。」
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圭・・・古代中国の玉器の一。長方形板状で先はとがり、天子が諸侯を封じた際に印として与え、また、祭祀 に用いた。
地皇・・・新の最後の元号(20~23年)
安帝・・・後漢第6代皇帝・劉祜。在位106~125年
延光四年・・・125年
