【原文】

其國本亦以男子爲王住七八十年倭國亂相攻伐歷年乃共立一女子爲王名曰卑彌呼事鬼道能惑衆年已長大無夫婿有男弟佐治國自爲王以來少有見者以婢千人自侍唯有男子一人給飲食傳辭出入居處宮室樓觀城柵嚴設常有人持兵守衛女王國東渡海千餘里復有國皆倭種又有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千餘里又有裸國黑齒國復在其東南船行一年可至參問倭地絕在海中洲島之上或絕或連周旋可五千餘里景初二年六月倭女王遣大夫難升米等詣郡求詣天子朝獻太守劉夏遣吏將送詣京都其年十二月詔書報倭女王曰制詔親魏倭王卑彌呼帶方太守劉夏遣使送汝大夫難升米次使都巿牛利奉汝所獻男生口四人女生口六人班布二匹二丈以到汝所在逾踰遠乃遣使貢獻是汝之忠孝我甚哀汝今以汝爲親魏倭王假金印紫綬裝封付帶方太守假授汝其綏撫種人勉爲孝順汝來使難升米牛利涉遠道路勤勞今以難升米爲率善中郎將牛利爲率善校尉假銀印青綬引見勞賜遣還今以絳地交龍錦五匹「臣松之以爲地應爲綈漢文帝著皁衣謂之弋綈是也此字不體非魏朝之失則傳寫者誤也」絳地縐粟罽十張蒨絳五十匹紺青五十匹答汝所獻貢直又特賜汝紺地句文錦三匹細班華罽五張白絹五十匹金八兩五尺刀二口銅鏡百枚真珠鈆丹各五十斤皆裝封付難升米牛利還到錄受悉可以示汝國中人使知國家哀汝故鄭重賜汝好物也


【書き下し文】

其の國、本は亦男子を以て王と爲し、住まる七八十年。倭國亂れ、相攻伐し年を歷る。乃ち一女子を共立し王と爲す。名を卑彌呼と曰う。鬼道に事え、能く衆を惑わす。年已に長大、夫婿無し、男弟有り、國を佐治す。王に爲ってより以來、見ゆる者有る少なし。婢千人を以て、自ら侍り、唯男子一人有り、飲食を給し、辭を傳え出入す。宮室、樓觀に居處し、城柵嚴しく設け、常に人有り兵を持ち守衛す。女王國の東、海を渡り千餘里、復た國有り、皆倭種。又侏儒國有り、其の南に在り、人の長三四尺、女王去る四千餘里。又裸國、黑齒國有り。復其の東南在り、船行一年可で至る。倭地を參問し、海中の洲島の上に絕在し、或は絕え或は連なり、周旋五千餘里可。

景初二年六月、倭女王、大夫難升米等を遣わし郡に詣り、天子に詣り、朝獻を求む。太守劉夏、吏を遣わし、將いて送り、京都に詣る。其の年十二月、詔書で報せて倭女王に曰く、親魏倭王卑彌呼に制詔す、帶方太守劉夏、使を遣わし、汝の大夫難升米、次使都巿牛利を送り、汝の獻ずる所、男生口四人、女生口六人、班布二匹二丈を奉り、以て到る。汝の所在、踰遠を逾え、乃ち使を遣わし貢獻す。是、汝の忠孝我甚だ汝を哀しむ。今汝を以て、親魏倭王と爲し、金印、紫綬を假し、裝封し帶方太守に付して汝に假授す。其の種人を綏撫し、勉めて孝順爲せ。汝の來使、難升米、牛利遠きを涉り、道路に勤勞す。今、難升米を以て、率善中郎將と爲し、牛利を率善校尉と爲し、銀印、青綬を假し、引見勞賜し還し遣わす。今、絳地交龍錦五匹「臣松之、地を爲すを以て、綈と爲すと應する。漢の文帝が著た皁衣、之の謂う弋綈が是也。この字不體、魏朝の失非らずんば、則ち傳寫者の誤り也。」、絳地縐粟罽十張、蒨絳五十匹、紺青五十匹を以て、汝が獻貢する所直すに答える。又特に汝に紺地句文錦三匹、細班華罽五張、白絹五十匹、金八兩、五尺刀二口、銅鏡百枚、真珠鈆丹各五十斤を賜い、皆裝封し難升米、牛利に付す。還り到らば錄受し、悉く汝の國中の人に示すを以て、國家が汝を哀むを知らしむべし。故に鄭重に汝に好物を賜う也。


【日本語訳】

その国、元は男子を王として、七、八十年統治していた。倭国乱れ、互いに攻撃しあい年がたつ。そこで一人の女子を共立して王とした。名を卑彌呼という。鬼道に仕え、よく民を惑わす。年はすでに大人であるが、夫はおらず、弟がいて国の政治を補佐し治めている。王になってから、姿を見る者はいるが少なかった。婢が千人いて、自らの側で奉仕させた。ただ男子が一人いて、飲食を給仕し、言葉を伝えるため出入している。宮殿、楼観に居住し、城柵を厳重設けており、常に人がいて兵が守衛している。

女王国の東、海を渡って千余里の所にまた国がある、皆倭種である。又侏儒国がある、その南にあって、人の身長は三、四尺である。女王国を去ること四千余里の所にある。又裸國、黑齒国がある。またその東南にあり、船で行って一年ほどで着く。倭地を実地訪問すると、海中の島の上に遠く離れて存在し、途切れたり、連なっていたりして、巡り廻ると五千余里くらいである。

景初二年六月、倭女王、大夫・難升米等を遣わして帯方郡に詣る。天子に詣り、朝献を求めた。太守・劉夏は官吏を遣わして、彼らを率いて送り、洛陽に詣らせた。その年十二月、詔書で報いて倭女王に言った。「親魏倭王・卑彌呼に制詔する。帯方太守劉夏が使者を遣わして、汝の大夫・難升米、次使・都巿牛利を送り、汝の献じた、男の生口四人、女の生口六人、班布二匹二丈を奉って、到着した。汝の所在ははるか遠くにあるが、使者を遣わして貢献してきた。これは汝の忠孝であり、私は非常に汝をいつくしむ。今汝を親魏倭王として、金印と紫綬を仮し、裝封して帯方太守に付して汝に仮授する。その種人を綏撫して、孝順を為すように勉めよ。汝の使者、難升米、牛利遠くから来て、道中勤労している。今、難升米を率善中郎将に、牛利を率善校尉として、銀印と青綬を仮し、引見をねぎらって賜品を与え、還して遣わす。今、絳地交龍錦五匹「裴松之の注釈、地は綈とするのが当然だろう。漢の文帝が着た皁衣を弋綈と言うのがこれである。此の字は体をなしてない。魏朝の過ちで無ければ、書き写した者の誤りである」、絳地縐粟罽十張、蒨絳五十匹、紺青五十匹を、汝が献貢する所、正しいことに答える。又特に汝に紺地句文錦三匹、細班華罽五張、白絹五十匹、金八両、五尺刀二口、銅鏡百枚、真珠、鈆丹各五十斤を賜い、皆裝封して難升米、牛利に付す。還ってきたら目録を受領して、悉く汝の国中の人に示し、魏が汝をいつくしむのを知らしむべし。故に鄭重に汝に好物を賜うのである。」

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楼観・・・物見の高殿


景初二年・・・238年


絳地・・・赤い生地


文帝・・・漢の第5代皇帝劉恒。在位:紀元前180年~紀元前157年。


縐粟罽・・縮織りの毛織物


蒨絳・・・茜色の織物


句文・・・曲がりくねった紋


華罽・・・華やかな色の毛織物


鈆丹・・・赤色の顔料



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【原文】

出真珠青玉其山有丹其木有柟杼豫樟楺櫪投橿烏號楓香其竹篠簳桃支有薑橘椒蘘荷不知以爲滋味有獮猿黑雉其俗舉事行來有所云爲輒灼骨而卜以占吉凶先告所卜其辭如令龜法視火坼占兆其會同坐起父子男女無別人性嗜酒「魏略曰其俗不知正歲四時但記春耕秋收爲年紀」見大人所敬但搏手以當跪拜其人壽考或百年或八九十年其俗國大人皆四五婦下戶或二三婦婦人不淫不妬忌不盜竊少争訟其犯法輕者没其妻子重者滅其門戶及親族尊卑各有差序足相臣服收租賦有邸閤國國有市交易有無使大倭監之自女王國以北特置一大率檢察諸國諸國畏憚之常治伊都國於國中有如刺史王遣使詣京都帶方郡諸韓國及郡使倭國皆臨津搜露傳送文書賜遺之物詣女王不得差錯下戶與大人相逢道路逡巡入草傳辭說事或蹲或跪兩手據地爲之恭敬對應聲曰噫比如然諾


【書き下し文】

真珠、青玉を出し、其の山、丹有り。其の木柟、杼、豫樟、楺、櫪、投橿、烏號、楓香、其の竹、篠簳、桃支有り。薑、橘、椒、蘘荷有るも、以て滋味爲すを知らず。獮猿、黑雉有り。

其の俗、舉事、行來に云爲する所有り、輒ち骨を灼いて卜し、以て吉凶を占い、先に卜する所を告ぐ。其の辭、令龜の法の如く。火坼を視て、兆を占う。其の會同の坐起、父子男女の別無し。人性、酒を嗜む。「魏略曰く、其の俗正歲、四時を知らず。但し春耕秋收を記し、年紀と爲す。」大人敬う所見る、但手を搏ち、以て跪拜に當てる。其の人の壽考、或は百年、或は八九十年。

其の俗、國の大人皆四、五婦、下戶或は二、三婦。婦人は淫らず、妬忌せず。盜竊せず、争訟少ない。其の法を犯せば、輕き者、其の妻子没し、重き者、其の門戶及び親族を滅す。尊卑に各差序有り。相臣服すに足る。租賦を收め邸閤有り。國國に市有り、有無を交易し、大倭、之の監を使わす。

女王國より以北、特に一大率を置き、諸國檢察し、諸國之に畏憚す。常に伊都國で治め、國中に於いて刺史の如く有り。王の遣使が京都、帶方郡、諸韓國に詣り、及び郡が倭國に使いす、皆津に臨み搜露し、文書、賜遺の物を傳送し、女王に詣る。差錯を得ず。

下戶、大人と道路で相逢う、逡巡し草に入る。辭を傳え事を說く、或は蹲み、或は跪き、兩手地に據り、之を恭敬と說す。對應の聲、曰う「噫」。比如然諾。


【日本語訳】

真珠、青玉を出し、その山には丹が有る。その木には楠、どんぐりの木、タブノキ、楺、クヌギ、カシ、ヤマグワ、楓があり、竹には、しの竹、桃支がある。生姜、橘、山椒、茗荷があるが、それを料理に使って滋味になるのを知らない。猿や黒雉がいる。

その習俗、何かする時や、何処かに行き来する時に云為することがあると、すぐに骨を焼き卜して、吉凶を占う。先に卜することを告げる。その言葉は令亀の法のようである。焼いて生じる裂け目を見て、兆を占う。その集会の座ったり立ったりすることに、父子男女の区別は無い。人の性は酒を嗜む。「魏略の引用。その習俗は正月、四季を知らない。ただし春の耕作、秋の収穫を記録し、年紀としている。」大人を敬う所を見た。ただ手を打って、跪拜の代わりにしている。その人は長寿であり、百歳や八、九十歳がいる。

その習俗、国の大人は皆四、五人の妻、下戸は二、三人の妻がいる。婦人は淫らではなく、嫉妬しない。窃盗はせず、争訟は少ない。法を犯すと、軽い者は妻子没収され、重い者はその門戸及び親族を滅する。尊卑に各々順序に従った違いが有り、臣服することで足りている。租賦を収める邸閤が有る。国々に市が有って、有る物と無い物を交易する。大倭はこれを監督する者を使わしている。

女王国より北には、特に一人の大率を置き、諸国を検察する。諸国は大率に畏憚している。常に伊都国で治めており、国中で刺史のようなものである。王の遣使が洛陽、帯方郡、諸韓国に行く時、帯方郡からの使者が倭国に来た時は、皆港で点検、査察を受けて、文書、賜遺の物を伝送し、女王に届けられる。間違ってはならない。

下戸が大人と道路で出逢うと、後ろに下がって道路脇の草むらに入る。言葉を伝えたり、事柄を説明する時は、しゃがんだり、ひざまずいたりして、両手を地につける、これは恭敬を表している。対応の声は「噫」と言う。例えば承諾することである。


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青玉・・・翡翠だと思われる


桃支・・・竹の一種類だが詳細不明


楺・・・不明。柳?



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【原文】

男子無大小皆黥面文身自古以來其使詣中國皆自稱大夫夏后少康之子封於會稽斷髪文身以避蛟龍之害今倭水人好沈没捕魚蛤文身亦以厭大魚水禽後稍以爲飾諸國文身各異或左或右或大或小尊卑有差計其道里當在會稽東治之東其風俗不淫男子皆露紒以木緜招頭其衣橫幅但結束相連略無縫婦人被髪屈紒作衣如單被穿其中央貫頭衣之種禾稻紵麻蠶桑緝績出細紵縑緜其地無牛馬虎豹羊鵲兵用矛楯木弓木弓短下長上竹箭或鐵鏃或骨鏃所有無與儋耳朱崖同倭地溫暖冬夏食生菜皆徒跣有屋室父母兄弟臥息異處以朱丹塗其身體如中國用粉也食飲用籩豆手食其死有棺無槨封土作冢始死停喪十餘日當時不食肉喪主哭泣他人就歌舞飲酒已葬舉家詣水中澡浴以如練沐其行來渡海詣中國恒使一人不梳頭不去蟣蝨衣服垢汚不食肉不近婦人如喪人名之爲持衰若行者吉善共顧其生口財物若有疾病遭暴害便欲殺之謂其持衰不謹

【書き下し文】

男子大小無く、皆黥面、文身す。古より以來、其の使中國に詣り、皆自ら大夫と稱す。夏后少康の子會稽に於いて封じ、斷髪、文身し以て蛟龍の害を避く。今倭の水人、好んで沈没し魚、蛤を捕る。文身亦以て大魚、水禽を厭い、後に稍以て飾と爲す。諸國の文身、各異なり、或は左、或は右、或は大、或は小、尊卑に差有り。其の道里計るに當に會稽東治の東に在り。

其の風俗、淫ならず。男子皆露紒、木緜を以て頭を招る。其の衣橫幅、但結束し相連ね、略縫う無し。婦人被髪屈紒、衣を作ること單被の如く、其の中央を穿ち、頭を貫き之を衣る。

禾稻、紵麻を種し、蠶桑、緝績し、細紵、縑緜を出す。其の地牛、馬、虎、豹、羊、鵲無し。兵は矛、楯、木弓を用いる。木弓は下短く、上長い。竹箭に或は鐵鏃、或は骨鏃。有無す所儋耳、朱崖と同じ。

倭地、溫暖で冬夏生菜を食す。皆徒跣。屋室有り、父母、兄弟處異して臥息す。朱丹を以て其の身體に塗り、中國で粉を用いる如く也。食飲に籩豆を用い手食す。其の死、棺有り、槨無し。封土し、冢を作る。始め死して、喪を停する十餘日、當時肉を食さず、喪主哭泣す。他人就き、歌舞飲酒す。已に葬むる、家舉げて詣で、水中で澡浴し、以て練沐の如し。

其の行來、海を渡り、中國に詣るに、恒に一人の使がいる。頭を梳らず、蟣蝨を去らず、衣服垢で汚れ、肉を食さず、婦人を近づけず、喪人の如く、之の名を持衰と爲す。若し行者の吉善なれば、共に其の生口、財物に顧い、若し疾病有ったり、暴害に遭えば、便ち之を殺さんと欲す。其の持衰の謹まずと謂う。


【日本語訳】

男子大小関係無く、皆黥面、文身している。古来より、倭の使者が中国に詣ると、皆自らを大夫と称した。夏后少康の子が会稽に封じられて、断髪し、文身して蛟龍の害を避けた。今、倭の水人は好んで海に潜り魚や蛤を捕っている。文身は大魚や水禽を寄せ付けないためだったが、後に次第に飾りとなった。諸国の文身は各々異なっていて、左にあったり、右にあったり、大きかったり、小さかったり、身分による差もあった。その道里を計るとまさに会稽東治の東にある。

その風俗は淫らではない。男子は皆冠などを被らずそのままで、木綿で頭を縛る。その衣は橫幅で、ただ結束して相連ねており、ほぼ縫っていない。婦人は自然に伸ばした髪を曲げて結び、衣はひとえの衣のように作り、その中央に穴を開けて、そこに頭を通して衣を着る。

稲、からむし、麻を植え、養蚕や布を織ったりし、目の細かい麻布や絹織物を出す。その地に牛、馬、虎、豹、羊、鵲はいない。兵は矛、楯、木弓を用いる。木弓は下が短く、上が長い。竹の矢に鉄鏃、骨鏃を付ける。有ったり無かったりする物は儋耳や朱崖と同じである。

倭地は温暖で冬や夏も生野菜を食べている。皆裸足で歩く。屋根と部屋があり、父母、兄弟は臥して休むところは別である。朱丹を体に塗り、中国で粉を用いるようである。飲食には籩豆を用いて、手で食べる。死ぬと棺に収められるが、槨はない。封土して、冢を作る。始め死んでから喪を停めて十余日の間には、肉を食べず、喪主は哭泣する。他人は歌舞飲酒している。埋葬後、一家総出で、水中で水あみや髪を洗う、これは行法としての水浴びのようである。

その往来は、海を渡って中国に詣る、その時に常に一人の男がいる。頭を櫛でとかさず、しらみを取らず、衣服は垢で汚れ、肉を食べず、婦人を近づけず、喪に服している人のようにする、この名を持衰という。もし持衰のおかげで無事着いたなら、皆で彼に生口や財物を与え報いるが、もし疾病になったり、自然災害に遭えば、便ち彼を殺そうとする。その持衰が謹まなかったからという。


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黥面・・・顔の入れ墨


文身・・・体の入れ墨


夏后・・・国名・夏のこと


少康・・・夏の第6代王


会稽・・・現代の浙江省紹興市


蛟龍・・・中国の竜の一種


露紒・・・冠などを被らずに、頭を出していること


儋耳、朱崖・・・海南島に置かれていた郡



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【原文】

倭人在帶方東南大海之中依山島爲國邑舊百餘國漢時有朝見者今使譯所通三十國從郡至倭循海岸水行曆韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千餘里始度一海千餘里至對馬國其大官曰卑狗副曰卑奴母離所居絕島方可四百餘里土地山險多深林道路如禽鹿徑有千餘戶無良田食海物自活乖船南北巿糴又南渡一海千餘里名曰瀚海至一大國官亦曰卑狗副曰卑奴母離方可三百里多竹木叢林有三千許家差有田地耕田猶不足食亦南北巿糴又渡一海千餘里至末盧國有四千餘戶濱山海居草木茂盛行不見前人好捕魚鰒水無深淺皆沈沒取之東南陸行五百里到伊都國官曰爾支副曰泄謨觚柄渠觚有千餘戶世有王皆統屬女王國郡使往來常所駐東南至奴國百里官曰兕馬觚副曰卑奴母離有二萬餘戶東行至不彌國百里官曰多模副曰卑奴母離有千餘家南至投馬國水行二十日官曰彌彌副曰彌彌那利可五萬餘戶南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月官有伊支馬次曰彌馬升次曰彌馬獲支次曰奴佳鞮可七萬餘戶自女王國以北其戶數道里可略載其餘旁國遠絕不可得詳次有斯馬國次有已百支國次有伊邪國次有都支國次有彌奴國次有好古都國次有不呼國次有姐奴國次有對蘇國次有蘇奴國次有呼邑國次有華奴蘇奴國次有鬼國次有爲吾國次有鬼奴國次有邪馬國次有躬臣國次有巴利國次有支惟國次有烏奴國次有奴國此女王境界所盡其南有狗奴國男子爲王其官有狗古智卑狗不屬女王自郡至女王國萬二千餘里


【書き下し文】

倭人帶方の東南大海の中に在り。山島依り、國邑と爲す。舊百餘國、漢時に朝見する者有り。今使譯通ずる所三十國。郡從り倭至る、海岸に循い水行、韓國曆て、乍ち南し乍ち東し、其の北岸狗邪韓國に到り、七千餘里。

始めて一海を度り千餘里、對馬國に至る。其大官卑狗と曰い、副は卑奴母離と曰う。居する所絕島、方四百餘里可。土地山險しく、深林多く、道路は禽鹿の徑の如し。千餘戶有り、良田無し。海物食し自活し、船に乖り南北に巿糴す。

又南に一海を渡り千餘里、名を瀚海と曰い、一大國に至る。官亦卑狗と曰い、副は卑奴母離と曰う。方三百里可。竹木、叢林多く、三千許の家有り。差田地有り、田を耕やすも猶食には足らず、亦南北に巿糴す。

又一海を渡り千餘里、末盧國に至る。四千餘戶有り、山海に濱って居す。草木茂盛し、行くに前の人見えず。魚鰒を捕るに好く、水に深淺無く、皆沈沒し取る。

之の東南陸行五百里、伊都國に到る。官爾支と曰い、副は泄謨觚、柄渠觚と曰う。千餘戶有り、世王有り、皆女王國に統屬し、郡使の往來常に駐まる所。

東南奴國に至り百里。官兕馬觚と曰い、副は卑奴母離と曰う。二萬餘戶有り。

東行不彌國に至り、百里。官多模と曰い、副は卑奴母離と曰う。千餘家有り。

南投馬國至り、水行二十日。官彌彌と曰い、副は彌彌那利と曰う。五萬餘戶可。

南邪馬壹國至り、女王の都する所、水行十日陸行一月。官伊支馬有り、次彌馬升と曰い、次彌馬獲支と曰い、次奴佳鞮と曰う。七萬餘戶可。女王國より以北、其の戶數、道里、略載すべき。其の餘の旁國遠絕で詳しく得べからず。次斯馬國有り、次已百支國有り、次伊邪國有り、次都支國有り、次彌奴國有り、次好古都國有り、次不呼國有り、次姐奴國有り、次對蘇國有り、次蘇奴國有り、次呼邑國有り、次華奴蘇奴國有り、次鬼國有り、次爲吾國有り、次鬼奴國有り、次邪馬國有り、次躬臣國有り、次巴利國有り、次支惟國有り、次烏奴國有り、次奴國有り。此れ女王の境界盡くる所。

其の南狗奴國有り。男子王と爲り、其の官狗古智卑狗有り。女王に屬さず。郡より女王國に至る、萬二千餘里。


【日本語訳】

倭人は帯方郡の東南の大海の中に在る。山や島で国や邑を作っている。旧は百余国、漢の時代に朝見する者があった。今通訳で交流する所は三十国ある。郡から倭に至るには、海岸に沿って水行し、韓国を経由して、南行したかと思うと東行し、倭の北岸の狗邪韓國に到る。ここまで七千余里。

始めて海を渡って千余里すると對馬国に至る。其の大官は卑狗といい、副は卑奴母離という。住む所は絶島で、広さはおよそ四百余里四方である。土地は山が険しく、深い林が多く、道路は獣道のようである。千余戸有り、良田は無い。海産物を食べて自活しており、船に乗って南北に穀物を買い入れている。

又南に名を瀚海という海を渡って、千余里すると一大国に至る。ここの官もまた卑狗といい、副は卑奴母離という。広さはおよそ三百里四方。竹木や叢林が多く、三千ばかりの家がある。少し田地は有るが、田を耕やしても島民を養うには足らないので、ここもまた南北に穀物を買い入れている。

又海を渡って千余里すると末盧国に至る。四千余戸有り、山や海に沿って住んでいる。草木が覆い繁り、進む時に前の人が見えない。魚、鰒を捕るのによく、水に深浅は無く、皆潜って取っている。

末盧国の東南を陸行すること五百里、伊都国に到る。官は爾支といい、副は泄謨觚、柄渠觚という。千余戸有って、世々王がいる。皆女王国に統属しており、郡使の往来で常に駐まる所である。

東南に百里行くと奴国に至る。官は兕馬觚といい、副は卑奴母離という。二万余戸ある。

東行百里すると不彌国に至る。官は多模といい、副は卑奴母離という。千余家ある。

南投馬国に至り、水行二十日。官は彌彌といい、副は彌彌那利という。およそ五万余戸。

南邪馬壹国に至り、女王が都する所で、水行十日陸行一月。官に伊支馬があり、次からは順に彌馬升、彌馬獲支、奴佳鞮がある。およそ七万余戸。女王国より北は、その戸数、道里、ほぼ載せることができる。その他の旁国は遠絶で詳しく情報が得られない。次斯馬国有り、次已百支国有り、次伊邪国有り、次都支国有り、次彌奴国有り、次好古都国有り、次不呼国有り、次姐奴国有り、次對蘇国有り、次蘇奴国有り、次呼邑国有り、次華奴蘇奴国有り、次鬼国有り、次爲吾国有り、次鬼奴国有り、次邪馬国有り、次躬臣国有り、次巴利国有り、次支惟国有り、次烏奴国有り、次奴国有り。これ女王の境界が尽くす所である。

その南に狗奴国がある。男子が王となっており、その官に狗古智卑狗がある。女王に属していない。帯方郡より女王国に至るまで、一万二千余里。


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叢林・・・樹木が群がって生えている林


鰒・・・鮑。河豚を指す場合もある。



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・弁辰は十二国。小別邑に渠帥がいて、その中で力を持つ者から、臣智、險側、樊濊、殺奚、次邑借と名乗っている。


臣智は馬韓と一緒である。他は弁辰独自だと思われる。


・弁辰韓は合わせて二十四国、大国は四~五千家、小国は六~七百家あり、全て合わせて四~五万戸ある。


この前に国名が書かれているが、26カ国である。また、馬延国が二つある。書き間違いか写し間違いかわかりません。弁辰がつくものと分けてみると、以下の通り。


已柢国、不斯国、勤耆国、難彌離彌凍国、冉奚国、弁楽奴国、軍彌国、弁軍彌国、如湛国、戸路国、州鮮国、馬延国、斯盧国、優中国・・・14カ国


弁辰彌離彌凍國国、弁辰接塗国、弁辰古資彌凍国、弁辰古淳是国、弁辰半路国、弁辰彌烏邪馬国、弁辰甘路国、弁辰狗邪国、弁辰走漕馬国、弁辰安邪国、弁辰瀆盧国・・・11カ国


弁辰がつく国が弁辰ならば、一つ足らない。この国々は馬韓人の辰王に属している。魏略には、弁辰に住んでいるのは、流民の人達なので馬韓が制しているとある。辰韓と同じである。


・弁辰と辰韓は雑居していて、城郭がある。


国の羅列が、北から順に書かれているとすれば、弁辰や辰韓に所属している国々は記述通りバラバラに接している。韓には城郭は無いが、弁辰と辰韓にはある。


・弁辰の瀆盧国は倭と境界を接している。


弁辰瀆盧国は弁辰と辰韓領域の南にあって、倭と接している。狗邪韓国とだろうか。また別の朝鮮半島南岸にあった倭国の国々かもしれない。


・十二国に王がいる。王の身長は、皆高い。

弁辰十二国には王がいて、辰王に属している。


農業、産業

・土地は肥沃で五穀や稲を育てるのに良い

・養蚕を知っていて、縑布を作る。


葬儀

・大鳥の羽を使って、死を送っている(死者が空高く飛んでいけるように)


これは弁辰以外のところには記載がなく、独自の物である


産物

・鉄を出し、韓、濊、倭は皆鉄を取るのに従事している。

・諸々の市場の売買には皆鉄を用いており、中国の銭を用いるようなものである。

・鉄を二郡(楽浪郡、帯方郡)にも供給している。


韓人、濊人、倭人は隣接している国々の人達で、鉄を貨幣のように使っているとある。弁辰人は鉄の採取に従事していなかったのであろうか?この三民族だけで無く、楽浪郡、帯方郡にも供給しているので、かなりの量が流通していたのだろう。


習俗

・歌舞、飲酒を喜んでいる。

・瑟が有り、その形は筑弾に似ていて、この音曲が有る。

・子供が生まれると、すぐに石で子供の頭を押さえ、狭くすることを望んでいる。今辰韓人は皆褊頭である。

・男女は倭人に似ており、文身している。

・歩戦に慣れていて、兵器は馬韓と同じである。

・道を歩いている者達が互いに逢った場合、皆止まって道を讓っている。

・衣服、住居は辰韓と同じで、言語や法俗は似ている。鬼神の祠や祭は異なっているところがある。

・竈は皆、戸の西にある。

・衣服は清潔で、長髪である。また広い幅の細布を作る。

・法俗は特に厳峻である。


歌舞、飲酒は東夷傳にある国々と同様である。辰韓人は褊頭にする風習があり、東夷ではここだけの風習である。倭人に似ていて、文身しているとあり、倭人と共通の先祖を持つと思われる。




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