【原文】
大伯初奔荊蠻荊蠻歸之號曰句呉「師古曰句音鉤夷俗語之發聲也亦猶越爲於越也」大伯卒仲雍立至曾孫周章而武王克殷因而封之又封周章弟中於河北是爲北呉「師古曰中讀曰仲」後世謂之虞十二世爲晉所滅後二世而荊蠻之呉子壽夢盛大稱王其少子則季札有賢材兄弟欲傳國札讓而不受自壽夢稱王六世闔廬舉伍子胥孫武爲將戰勝攻取興伯名於諸侯「師古曰伯讀曰霸」至子夫差誅子胥用宰嚭「師古曰嚭音披美反」爲粤王句踐所滅呉粤之君皆好勇故其民至今好用劍輕死易發粤既并呉後六世爲楚所滅後秦又撃楚徙壽春至子爲秦所滅壽春合肥受南北湖皮革鮑木之輸「師古曰皮革犀兕之屬也鮑鮑魚也木楓柟豫章之屬」亦一都會也始楚賢臣屈原被讒放流作離騷諸賦以自傷悼「師古曰諸賦謂九歌天問九章之屬」後有宋玉唐勒之屬慕而述之皆以顯名漢興高祖王兄子濞於呉招致天下之娯游子弟枚乘鄒陽嚴夫子之徒興於文景之際而淮南王安亦都壽春招賓客著書而呉有嚴助朱買臣貴顯漢朝文辭並發故世傳楚辭其失巧而少信初淮南王異國中民家有女者「晉灼曰有女者見優異」以待游士而妻之故至今多女而少男「如淳曰得女寵或去男也臣瓉曰周官職方云揚州之民二男而五女此風氣由淮南王安能使多女也師古曰二説皆非也志亦言土地風氣既足女矣因淮南之化又更聚焉○劉敞曰班氏作史雑采異説亦安能無失瓉舉揚州之説是矣」本呉粤與楚接比數相并兼「師古曰比近也音頻寐反」故民俗略同呉東有海鹽章山之銅三江五湖之利亦江東之一都會也豫章出黄金然菫菫物之所有取之不足以更費「慶劭曰菫菫少也更償也言金少耳取不足用顧費用也師古曰慶説非也此言所出之金既以少矣自外物蓋亦不多故總言取之不足償直也菫讀曰僅更音庚」江南卑濕丈夫多夭會稽海外有東鯷人「孟康曰音題晉灼曰音鞮師古曰孟音是也」分爲二十餘國以歳時來獻見云
【書き下し文】
大伯初めて荊蠻に奔り、荊蠻之に歸し、號して句呉と曰う。「師古曰く、句の音は鉤。夷俗語の發聲也。亦猶越爲すに於いて越也。」大伯卒し、仲雍立つ。曾孫の周章に至りて、武王は殷に克ち、因って、之を封ず。又、周章の弟の中を河北に封ず。是を北呉と爲し、「師古曰く、中の讀み仲と曰う。」後世之を虞と謂い、十二世で晉に滅する所に爲る。二世後に荊蠻の呉子壽夢盛大にして王を稱す。其の少子則ち季札は賢材有り。兄弟は傳國を欲するも、札は讓りて受けず。壽夢自ら王を稱して六世、闔廬は伍子胥を舉げ、孫武を將と爲し、戰勝攻取して諸侯に伯名を興すも、「師古曰く、伯の讀み霸と曰う」子の夫差に至り、子胥を誅し、宰嚭を用いて「師古曰く、嚭の音美の反すと披ぶる」粤王句踐に滅す所と爲る。
呉粤の君は皆を勇を好む。故に其の民は今に至るも劍を用いるを好み、死を輕んじ發し易し。粤は既に呉を并わせ、後六世にして楚の滅す所と爲る。後に秦は又楚を撃つ。壽春に徙り、子に至り秦の滅す所と爲る。壽春、合肥は南北の湖で皮革、鮑、木の輸を受け「師古曰く、皮革は犀や兕の屬す也。鮑、鮑魚、木は楓や柟、豫章の屬す也。」亦一都會也。始め楚の賢臣屈原は讒せられ放流し、離騷諸賦を作り、以って自ら傷悼す。「師古曰く、諸賦は九歌天に問い九章之に屬すと謂う」後に宋玉、唐勒の屬有り。慕いて之を述べ、以って皆名を顯わす。漢興り、高祖は王兄の子濞を呉の王とし、天下の娯游の子弟を招致し、枚乘、鄒陽、嚴夫子の徒、景の際に文興る。而して淮南王安も亦壽春を都とし、賓客招いて書を著す。而して呉に嚴助、朱買臣有り、漢朝に貴顯して、文辭並び發ち、故に世も楚辭を傳う。其の失は巧にして信少し。初め淮南王は國中民家の女有る者を異とし、「晉灼曰く、女有る者優れて異なると見る。」以って游士を待しこれを妻とす。故に今に至りて女多く男少なし。「如淳曰く、女は寵を得、或は男は去る也。臣瓉曰く、周の官職方、揚州の民二男や五女は此の氣風由と云う。淮南王安、能く多く女を使う也。師古曰く、二説は皆非ず也。志亦言う。土地の氣風は既に女足るかな。淮南の化に因る又は更に聚まっている。劉敞曰く、班氏作の史、雑な異説采る。亦安は能く、揚州の瓉失う無く是の説舉げる。」もと呉、粤と楚は接比し數相并兼し、「師古曰く、比の近く也。音は頻や寐と反す。」故に民俗は略呉と同じ。東に海鹽、章山の銅、三江五湖の利有り。また江東の一都會也。豫章は黄金を出す。然して物の所有は菫菫たり。これを取るも以って更に費に足らず。「慶劭曰く菫菫少ない也。金少ないと言うを耳にし、更に償う也。不足を取るに用いる費用を顧みる也。師古曰く、慶説非ざる也。此の言、金の出る所既に以って少ない。自ら外の物を蓋い、亦多からず。故に總ての言取って、これ不足し直に償う也。菫讀曰く、僅かに更の音は庚。」江南は卑濕にして、丈夫多く夭す。會稽の海外に東鯷人「孟康曰く、音は題。晉灼曰く、音は鞮。師古曰く、孟の音是也」の分有り。二十餘國を爲し、歳時を以って來たり獻見すと云う。
【日本語訳】
太伯が初めて荊蛮に逃れると、荊蛮は太伯に帰属し、句呉と号した。「顔師古の注釈。句の音は鉤である。現地語の発声である。また越は今だ越である。」太伯が亡くなって、仲雍が跡を継いだ。曽孫の周章の代になった時に、武王が殷に勝利し、周章を呉に封じた。又、周章の弟、中を河北に封じ、これを北呉とした。「顔師古の注釈。中の読みは仲である。」後世はこれを虞と言った。十二世の代に晋に滅ぼされた。
虞が滅びた後、二世で荊蛮の呉子、寿夢が盛大になり王を称した。その末子の季札は有能な人物だったので、兄弟は季札に王位を嗣がせたいと思ったが、譲って受けなかった。寿夢が王を称して六代、闔廬は伍子胥を登用し、孫武を将軍とした。戦に勝ち、領土を攻め取り、諸侯の長として名を馳せたが、「顔師古の注釈。伯の読みは霸である」、子の夫差の代では、伍子胥を誅して宰相伯嚭を用い、「顔師古の注釈。嚭の音は美の反対と被る」越王句踐に滅ぼされることになった。
呉越の君主は皆勇を好んだ。故にその民は今に至っても剣を用いるのを好み、死を軽んじて動きやすい。越は既に呉を併呑した後、六世で楚に滅ぼされる。後に秦は楚を撃ち、寿春に移り、その子に至り秦に滅ぼされた。寿春、合肥は南北の湖で皮革、鮑、木材の輸送を受け「顔師古の注釈。皮革は犀や兕のものである。鮑、鮑魚、木は楓や楠、豫章に有るものである。」また一都会である。始め楚の賢臣屈原は讒言を受けて放逐され、離騷の諸賦を作って自らを傷を悼んだ。「顔師古の注釈。諸賦は九歌を天に問い、九章はこれに属していると言う。」後世に宋玉、唐勒らのグループが思慕して之を述べて、それで皆で名をあらわした。漢が興り、高祖は兄の子濞を呉の王として、天下の遊興の子弟を招致した。枚乘、鄒陽、嚴夫子達は、景帝の際に文学集団を興した。淮南王劉安もまた寿春を都とし、賓客を招いて書を著した。呉には厳助、朱買臣がいて、漢朝に貴顕して、文辭並びたったため、世にも楚辭を伝えられた。その欠点は巧みだが信が少ないことである。初め淮南王は国中の民家で娘有る者を区別し、「晉灼の注釈。女有る者は優れていて異なると見る。」遊士を歓待させ、その妻とした。それで今に至っても女が多く男が少ない。「如淳の注釈。女は寵愛を得て、或は男は去っている。臣瓉の注釈。周の官職側では揚州の民の二男五女はこの土地の気風であるという。淮南王劉安は多くの女を使っていた。顔師古の注釈。二説は皆ありえない。志はまた言う。土地の気風は既に女が足りている。淮南の化に因るものか、又は更に集まっている。劉敞の注釈。班氏作の史書は雑な異説を採用している。また劉安は優れた人物で有り、揚州の瓉失う事なくこの説を挙げる。」もと呉、越と楚は接しており、しばしば領土争いをしている。「顔師古の注釈。比は近くである。音は頻や寐の反対である。」だから民俗はほとんど呉と同じである。東に海の塩、章山の銅、三江五湖の利が有る。また江東の一都会である。豫章は黄金を出す。しかし含有量は少なく、これを取っても採算が取れない。「慶劭の注釈。菫菫は少ないと言う意味である。金が少ないと言うのを耳にして、更に償う。不足を取り戻すのに用いる費用を顧みる。顔師古の注釈。慶劭説は違う。この言葉は、金の出る所は既に少ない。自ら外の物で覆い、また多くはない。故に総ての言葉を取って、これが不足して直に償っている。菫讀の注釈。僅かに更の音は庚である。」江南は土地が低く湿地帯なので、若死にする男が多い。
会稽の海外に東鯷人「孟康の注釈。音は題である。晉灼の注釈。音は鞮である。顔師古の注釈。孟康の音がこれである。」の分野が有り、二十余りの国がある。歳時ごとに来て、献見すると伝わる。
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伍子胥・・・楚の人。政争に巻き込まれ、呉に亡命する。公子光(即位後は闔廬)に仕え、側近となる。夫差の代には越の離間工作により、王と不仲になり自害した。
孫武・・・兵法書孫子の作者と言われる。伍子胥の推挙により呉に仕え、将軍となる。呉の勢力拡大に寄与する。後半生については記録が残っていない。
伯嚭・・・楚の人。伍子胥を頼って、呉に亡命する。賄賂に負けて越と密通したといわれ、彼の讒言に振り回された呉王夫差は、伍子胥を殺してしまったという言い伝えがある。
寿春・・・現在の安徽省六安市寿県
合肥・・・現在の安徽省合肥市
屈原・・・楚の政治家で詩人。頃襄王の時に江南へ左遷された。秦により楚の首都郢が陥落したことで楚の将来に絶望して、石を抱いて入水自殺した。
離騷・・・「楚辞」の巻頭の編名。屈原作。三七二句からなり、楚の非運を嘆く憂国の情と讒言に遭って追われる憂愁を幻想的にうたったもの。
宋玉・・・楚の大夫で文学者。賦の作者で、屈原に次ぐ者として「屈宋」と並称される。
唐勒・・・楚の人。賦の作者で宋玉、景差と共に楚の宮廷文壇に参加する。
淮南王劉安・・・劉邦の七男・淮南厲王劉長の子。「淮南子」の主著者。武帝の時に反乱を企て、密告により露見し、自害。一族はことごとく処刑された。
枚乘・・・賦や文章を得意とした遊説の徒。呉王劉濞、梁王劉武に仕える。
鄒陽・・・斉の人。遊説の徒。梁王劉武に仕える。
嚴夫子・・・荘忌。姓の「荘」が後漢明帝の名であるため、漢書では諱を避けて「嚴」になっている。遊説の徒。呉王劉濞、梁王劉武に仕える。
景帝・・・前漢の第6代皇帝劉啓。在位:前156年~ 前141年。呉楚七国の乱が起こり、鎮圧する。
厳助・・・荘助。武帝の側近。淮南王安の謀反が発覚すると、係わりが発覚し処刑される。
朱買臣・・・荘助の推挙で武帝に仕える。東越を破り、功績があった。張湯との諍いにより武帝より誅殺される。
晉灼、慶劭、菫読、孟康・・・いつの時代の人か不明。事績も不明。