愛媛県大洲市は、伊予の小京都とも呼ばれています。
大洲市にある臥龍山荘です。
文禄年間、藤堂高虎の重臣・渡辺勘兵衛が広大な屋敷を構えていたところで、「勘兵衛屋敷」と呼ばれていました。
対岸の山は冨士山「とみすやま」
大洲市中心部のすぐ東側に位置する、標高320mの里山です。
山頂部の「冨士山公園」はツツジの名所として知られています。
臥龍山荘は肱川流域随一の景勝地「臥龍淵」にある三千坪の山荘です。
大洲藩3代藩主加藤泰恒が「蓬莢山が龍の臥す姿に似ている」ことから「臥龍」と命名したと言われています。
現在の臥龍山荘は明治の貿易商・河内寅次郎が十年余りをかけて築いたものです。
すぐ横を肱川が流れています。
臥龍山荘の門をくぐると右側に「乱れ積み」「末広積み」「流れ積み」と変化のある石積みがありました。
臥龍院(がりゅういん)
母屋・臥龍院は河内寅次郎がその情熱を最もそそいだと言われる建物です。
数寄屋建築は、日本の建築様式の中でも特に風流で繊細な美しさを持つものとなっています。
清吹の間(せいすいのま)
この部屋は夏向きに造られています。
北向きで風通しがよく、天井は他よりも高く、水をあしらった欄間彫刻が四季を彩っています。
壱是の間(いっしのま)
この部屋は格調高い書院座敷です。
丸窓、濡縁、障子戸、天井板などに桂離宮様式が取り入れられています。
霞月の間(かげつのま)
京都大徳寺玉林院の霞床の席を参考にしています。
違い棚を霞に見たて、掛け軸には富士山が描かれています。
丸窓の奥には仏間があり、蝋燭の明かりが灯されると月明かりのようになり、月と霞で霞月の間と言われます。
板張りは仙台松の一枚板です。
縁側廊下は、一枚板にわざと筋を入れて廊下を表しています。
庭側からです。
不老庵
庭を進んで行った先にありました。
臥龍淵を眼下に見る崖の上に建てられた数寄屋造りで、庵そのものを船に見立てて作られています。
対岸の冨士山(とみすやま)右端から月が昇り、天井に反射して部屋を明るくする巧妙な趣向が施されています。
天井は竹網代一枚張りを船底の形のような形にしてあります。
この日も天井に川の水の揺らめきが映っていました。
西日本豪雨で対岸が氾濫した肱川は、治水対策の河岸工事をしていました。