臨済宗大徳寺派の大本山
1315年の創建で、勅使門から山門、仏殿、法堂、方丈と一列に並びます。
境内には24の塔頭寺院があります。
ここでは外観だけ見てきた場所の紹介です。
総門
勅使門
山門(三門)「金毛閣」
1529年、連歌師宗長が一階部分を寄進。
1589年に千利休によって二階部分が増築され金毛閣と名付けられました。
この楼上に利休の木造を安置したことが秀吉の逆鱗に触れ、利休自刃の原因になったという説もあります。
他にも、石田三成と対立していた為謀られたとか、
利休が自分の娘を秀吉の側室にすることを拒んだとか、
価値観が違った等、諸説ありますが・・・
法堂
1636年建立、
天井の「雲龍図」は狩野探幽35歳の時の作。
龍の真下で手をたたくと反響音が龍の鳴き声に聞こえることから、「鳴き龍」と呼ばれています。
・高桐院
1601年、細川忠興(三斎)が父・細川藤孝(幽斎)の菩提寺として創建。
コロナ禍のため拝観休止となっていましたが、
山門が開いていて、中の竹林が凛とした空間を作っているのを見ることができました。
三斎は茶人としては古田織部や蒲生氏郷らと並び、利休七哲の一人に数えられました。
境内には、利休の邸宅を移築したものと伝わる書院や、
細川忠興(三斎)と明智光秀の娘・細川ガラシャ夫人の墓所があります。
三斎の墓標の石灯籠は、利休が秀吉の望みを断って三斎に贈ったものと伝わります。
・龍源院
総門を入ってすぐの左側にあります。
こちらは常時拝観可能です。
1502年の都の畠山義元、周防の大内義興、豊後の大友義親の三氏で創建。
方丈は大徳寺山内最古の建物と言われ、方丈(本堂)、方丈玄関、表門は創建当初のもの。
4つの庭園が楽しめます。
方丈前庭「一枝坦」(いっしだん)
北庭「龍吟庭」(りょうぎんてい)
方丈東側「東滴壺」(とうてきこ)・・わが国で最も小さい石庭と言われる
書院南庭「滹沱底」(こだてい)
・黄梅院
1562年織田信長が初めて上洛した際に、父・信秀の追善菩提のために「黄梅庵」を創建、
本能寺の変後、秀吉が増築し黄梅院と改めたと言われます。