こんばんは。片山遼です。

 

今日は18日の名古屋SPADE BOXでのライブ出演をキャンセルさせて頂いた経緯について、きちんとお話します。

状況が落ち着くまで、そしてツアーが始まるまでは伏せておくべきかなと思ったんですが

やっぱり、ライブを出演キャンセルしてしまった事で沢山の人から心配の声や問い合わせが届いていて、このままではみんなも自分も、何とも言えないモヤモヤを抱えたままツアーを迎えてしまうよなと思い、山形に出発する前にしっかりとお伝えするべきと思って話す事を決めました。

 

 

ちょっとずっしりしたお話にはなる。なので、ライブに関して余計な事は考えたくない!という方もいらっしゃるかなと思うし、何も知らなくて自分は大丈夫!という方はここでこの記事を閉じて頂けたらと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

以下、経緯です。

 

 

17日の深夜、自宅にて母が脳出血で倒れ、緊急搬送されました。幸い、早い段階で父が母の異変に気が付いて救急車を呼ぶ事が出来たため、緊急手術で一命を取り留めました。

 

3:42、名古屋遠征中だったのですが、父から連絡を受け、帰り仕度をして、ひとまず車は置いて始発の新幹線に飛び乗りました。

駅まではクレビの亮二くんが車で送ってくれました。

移動中に出来る事なんて無いのに脳、脳、とぼんやりしながら事の重大さと今いち実感できない状況の中で良く分からない感覚のまま駅まで辿り着きました。事情を説明するために送ったLINEにくれたSHAKEチームの励ましの返事が少し気持ちを立て直してくれてた。

駅には兄が迎えに来てくれていて、共に病院へ。

 

病室はいわゆるICU的な場所だったのかな、とりあえず面会時間もすごく限られていて、一瞬顔を見る程度ならという事で病室へ行きました。

母は、身体はもぞもぞと動いているんですが、意識がない状態で。

 

面会時間は一日一時間ずつを二回に分けられていて

母のいとこ、父、兄、自分とで代わる代わる耳元で声をかけるものの、意識は戻らず。

(たまに反応したかな?っていう時があった気がしている。)

 

一日があっという間でした。

正直一日の流れをよく覚えていませんし、途中、その日出演予定だったライブハウスにスタッフさんが現場に入る時間になったので出演キャンセルさせて頂きたい、という連絡をしたのは覚えています。前後はどうだったかな、時間と日付けの感覚が今もちょっとおかしい感じがしています。

 

発症から4日目の今日は変わらず意識は戻らずでしたが、今は術後の経過は急変等も無い様で、病室を移動しています。

東北から帰って来る頃には目が覚めてて『何だよー、起きる瞬間見れなかった!』とか言って笑ってられると良いななんて希望を抱いてます。

 

今日までの時点でこの様な状況です。

 

 

 

ちなみに、発症初日・手術後の夕方の面会では祐也さんも駆けつけてくれて、母に声をかけてくれました。

これは気のせいじゃなくて、父や親戚が色々と声をかけた時、俺と兄がそれぞれ『来たよー!わかるー?』と聞いた時、祐也さんが『ユーヤマン、また来ます!』って言った時、相槌打ってたと思うんだ。

ていうか相槌打ってた絶対!声聞こえてる!絶対聞こえてるし、その内パチッと目を開けてくれるはず!正直、最初に病室で母の姿を見た時はめちゃくちゃショックだったし、てかショックなのは今もそうではあるけど、この先目が覚めなかったらどうしようとか一時は思ったりもしたんだけど、それでも今は絶対大丈夫だって信じてます。

 

父が一生懸命側にいて声かけたり身体さすったり俺のCD聴かせたりしてくれているし。

 

 

改めてですが、名古屋SPADE BOXの皆さん。

共演予定だったSHAKE、いけだ一紗さん。

当日急遽片山不在により残念な気持ちにさせてしまった、ライブ参戦組の皆さん。

SNS等で励ましの言葉をかけて下さった皆さん。

心配して連絡をくれた関係者の皆さん。

 

ご迷惑・ご心配をおかけして本当にすみませんでした。

そして、お心遣い、本当にありがとうございました。

 

普通ならここまで家族の事情を話したりしないのですが、両親がライブ会場に良く来てくれるので、ファンの方とも会う機会・お話する機会が多く、何より遠征先でのライブ出演をキャンセルした事で多大な心配をおかけしてしまったので、今回こういった方法での報告をさせて頂きました。

 

どうか一秒でも早く母が目を覚まします様に、少しでも後遺症が残りません様に、なるべく元どおりの身体に戻れる様に、祈っていて頂けたら幸いです。

 

 

 

 

 

そして。

 

この先、自分はどうするべきなのかをこの数日めちゃくちゃ考えました。

 

兄貴には家庭があり、父には母を支えていく覚悟があり、それはずっと変わらないもので。自分には何が出来るんだろう。

 そして出した自分なりの結論ですが、夏からしばらく佐野に戻り、家族の為に自分の時間と音楽を使いたいなと思います。

 

具体的に言うと、ワンマンツアー含めて今決まっているライブに関しては基本的にはそのまま出演し、7月後半にライブの本数が落ち着いて来るので、そのタイミングで帰郷する予定です。

 

これまでの活動は『武道館のステージに立つ』『でかいツアーも出来る様になる』『関わってくれた誰もが誇れるアーティストになる』

そんな夢を、目標として自分の中に置いていました。

そしてもちろんそれは、これから先の人生においても一生無くなりません。絶対に。

 

でも今、自身的にも家族的にも、間違いなく今までで最大のピンチに陥っていて

ただ一人分の人生を自分中心に生きていられる状況ではないなと思うんです。

 

例えば家族がいなくなるって事は、俺にとっては自分の夢を叶える為の大切な意味合いが一つ無くなると言う事。ライブを観てもらえなくなるって言う事もそれと同意で。

 

 

 

でも!!

 

もちろんライブ活動は止めません!ただ、夢への順路を少しの間変えていく、と言う事。

 

本当はこんな話もするべきじゃないと思うんですが、今はプライドや体裁より大事な物があるからお話しします。包み隠さず言えば経済面のお話が大きくて。うちは決して裕福ではなく、父も未だがっつりお仕事をしている現状です。

父が働いている時間を少しでも俺が負担していければ、その分母の側にいてもらえるかなと思う。まして退院後なんて働いている時間なくなると思うし…なので、とりあえず佐野に戻ったら俺もがっつり働きます。


そしてライブですが、カフェやバーでのライブは出演料も多めに頂ける場合が多く、そういった場所での弾き語りワンマンを数本と、その中で夢・目標に繋がる音楽に出逢う為の日を一本か二本できたら、という感じでイメージしています。

 

なので、見方を変えれば長めにライブを観てもらえる弾き語りワンマンを確実に毎月する予定だし、その中で、毎月佐野でのライブもしっかり行いたいと思っています。


地元にいる間、俺が大好きな仲間を定期的に佐野に招いて音楽で地元を盛り上げる活動をやっていきたいなと思ってます!

全ての努力は決して無駄にならないし、帰って来たなら帰って来たでその間にしか出来ない事を全力でやります。色々認識できる様になった頃に母をびっくりさせるくらいでないと。

 

なので、今まで月に15本から20本くらいやっていたライブが3本から5本くらいに減ってしまうとは思うんですが

その分色濃く片山遼の音楽をよりしっかり届けられる様なライブを。毎回毎回『来てよかったなー、今回はそう来たか!!』って驚いてもらえる様なライブを約束するので、決まった時は毎回マストで駆けつけて欲しいです!!

本当に、本当に、宜しくお願いします!!

 


そういう意味での『夢への順路が少し変わってしまう』かなと思うんですが


経済面を考慮した動きも、少ないライブ本数も


全ては今を乗り切る為。温かく見守っていて欲しいし、どうか理解して欲しいです。

 

そしてそして何よりも忘れないで信じていて欲しいのは、また必ず、全身全霊全速力で、片山遼はまた最短距離で夢を追っかける為に東京に出て来ますよ!って事。

 

いつかこんな日々が家族だけじゃなくみんなとの笑い話・想い出話になる様に、今は辛かろうが苦しかろうが精一杯生きます!!し、生きてもらいます!!

 

 

そんな訳で俺は今めちゃくちゃ前向きです。

いやそりゃ時には弱い所も見せてしまう事はあるかも知れないけど!

でもまずはね、今週末からいよいよ始まるナイトスターリリーのワンマンツアーを大成功させるんじゃ!

ブログは結構ずっしりした内容だったと思うけど、俺がこんな感じなのでね、みんなもライブでは全て跳ね返すくらいの気合いで一緒に全力で弾けてくれたら最高に嬉しいです!笑う時には笑っててほしい!暗い顔してちゃもったいないエブリデイです!!

 

俺はこうして全部伝えたから、みんなもそれまで詳細がわからなくて溜まってたモヤモヤを吹き飛ばす様に、一緒になってツアー盛り上げてね!(p`・ω・´q)♪母も多分それが一番嬉しい光景だと思う!なのでツアーもそれ以外のライブもいつも通り、それ以上に、楽しんでくださいっ!( •̀ᄇ• ́)ﻭ✧

 

 

 

俺は一生唄っていくから

 

これからも何卒、熱い応援、期待、宜しくお願い致します。

 

以上、ご報告とこれからのお話でした。超長文、読んでくれてありがとうございました!!!

 

 

片山遼