【夫へ】愛することの苦しみは何であれ同じではないの?? | 迷い猫の見聞録

迷い猫の見聞録

「しなやかに美しく」をモットーにジャンルにこだわらず、
いろんなことに興味をもって、一日一日を大切に生きています。

 

 

 

 

幸せになりたい
という人は
多い
と申しますが、
多分
大多数の人が
そう願っている
のだと思います。

けれど、
幸せになりたい
という人の多くが、
幸せにしてもらいたい
と願っている
のだろうなぁ
と。

この本で
なるほどな~
と思ったのは、
愛する技術

知らない
身につけていない
人が多い
という
指摘です。

誰か

何か

愛する
というのは
何もしなくても
できるようになる
ことではない

アドラー

考えていた
ようです。

確かに
私たちは
仕事などを
通して
仲間と取り組む課題

一人で取り組む課題
というものには
慣れていますが、
二人で取り組む課題
と言われると
なんだか
ピンとこない
という人も
多いのではないでしょうか。

その
二人で取り組む課題
というのが
まさに
愛すること
なのだと
というのが
おそらく
この本の主張
なのだろうと
思います。

けれど、
これは
ときに
よろこびをもたらし得る
のかもしれませんが、
大変なことだろう
とも思います。

向き合う
というのは
一種の
窒息状態
になること
ですから
本当に
苦しい
ことだろう
と思うのです。

個人的には
向き合う
より、
共通の
目標
とか
理想
といった
幻想ともいえるものを
一緒に見ているほうが
風の通り道がある分
散漫でいられて
はるかに
楽だ
と思います。

相手のまなざし

そらす
ために、
わざわざ
概念
といったものを
人は作り上げた
のではないかしら?
とさえ思います。

そう思うと
言語の発明
というのは
一種の
救済策だった
のかもしれないなぁ
なんて
思い至りました。



恩師

子どもを作らないで
二人でい続ける夫婦

すごいと思いますよ
といったことを
何かの席で
おっしゃっていた
のですが、
もしかすると


切に
子どもがほしい
と願ったのも
私とずっと向き合い続ける
のが
苦しかった
のかもしれないなぁ
と。

けれど、
結局
私と向き合わずに
済んでも
我が子と向き合う
(しかも、そこに
自分がいる!)
ことになるのですから、
子育てする身としては
夫婦二人
より
親子
のほうが
はるかに
大変じゃないの?
とも思います。



ああ
だから、
カブトムシ
やら
ゲーム

浮気するのね。
あなたは
伴走し続けることを
選んだのね。


もしかすると
より深く
愛する
ためには
散漫をうまく使いこなす
必要がある
のかもしれないなぁ
なんて
ふと思いました。

 



去年のクワガタ

まだ

生きてます!

地味に世話好き

なのかもしれません。