この本
では
マルクス
の
思想
を
生産様式
からではなく、
A:互酬(贈与と返礼)
B:服従と保護(略取と再分配)
C:商品交換(貨幣と商品)
D:Aの高次元での回復
という
交換様式
で捉え直し、
共産主義
は
Cの段階に至った社会が
D
を
回復する力
によって
起こるものではないか
という
考察をされている
のだと思います。
交換
によって
生じる
力
は
共同体
を作り
王権国家
を作り、
資本社会
を作り、
さらに
宗教のあり方をも
変えていく
何かであると。
それは、
時には
霊的なものとして
捉えられ、
時には
神的なものとして
捉えられ、
時には
希望として
捉えられる
けれど、
人が意思したところから
生まれる
のではなく、
常に
向こうからやってくる
もののようです。
思えば、
資本社会では
資本
が
まるで
神のような
役割を果たしていますよね。
お金をたくさん稼いでいる
と偉くなった
あるいは
豊かになった
ような気持ちになる
とか
たくさんお金がある
と
安心する
というのは
多くの人が抱く
感情
ではないでしょうか?
現代では
お金
は
物質的な生活
だけでなく、
精神的な生活
の拠り所になっていますよね。
けれど、
それは
私たちから
独立
を
自由
を
奪ってもいますよね。
会社
だけでなく、
世論
にも
私たちは
喜んで阿る
ようなところがありますが、
それは
それらが
お金の出所
で
そこから
配給される
お金がないと
生きていけない
と感じるから
ではないでしょうか?
資本
というのも
独立した精神、
精神の自由
を
放棄して
安定をもとめる
人間の
未熟な精神
が作り出した
神
なのでしょうね。
なんだか
ヘルマン・ヘッセ
の
「幸福論」
を思い出します。
画像はpinterestよりお借りしています。
それにしても
私たちの
精神の充足
は
どこから来る
のでしょうね。
窓辺に指す光
リズミカルな包丁の音
目覚めた時の
ほんのり冷たい頬
に
ハッとする瞬間
が
何かを告げている
気がします。