スタジオ・ジブリ
の
「紅の豚」
は
子どもには
難しいところ
がありますが、
魔女宅に次ぎ
私が
好き
な
作品
です。
車の中で
かいつまんで
再び観ている
のですが、
今まで
なぜ、
ポルコ
は
豚
なのだろう?
と思っていました。
今回、
ファシスト
になるくらいなら、
ただの豚
のほうがいい
という
ポルコ
に対して、
ファシズム
についた
仲間
が、
国家などの責任
を
負わずに
いくら飛んでも
ただの豚だ
といったこと
言う
シーンが
印象に残りました。
さらに、
国家は
お前を
裁判
には
かけないぞ
とも。
けれど、
別のシーン
で
確か、
ポルコ
は
飛べない豚
は
ただの豚
とも言う
のですよね。
ポルコ
にとって
肩書きで飛ぶ
のではなく、
自分の意思
に沿って
自分の稼ぎ
で
空を飛ぶ豚
は
家畜
ではなく、
神の裁き
しか
受けない
究極に自由
で
神聖な存在
なのでしょうね。
だからこそ、
きっと
人々の記憶
には、
一匹の豚
ではなく、
ポルコ
が
残る
のでしょう。