初夏には不似合いな冷たい空気を切りつつ帰る秀太の脳裏には、未だにあの光景が色濃く残っていた。
不思議なほど憶えているのは、あのあってないような風である。
あれだけリアルな世界にいながら、それだけが定かでないのである。
その奇妙さも相まって、秀太の記憶に残っていた。
あの光景を振り返っているうちに、秀太は自宅に帰り着いた。
地上8階建てのマンションである。
1階は住居と駐車場が併設してある。
秀太はエントランスで画面が付いたテンキーの前に立ち、自宅の室号を入力し、インターホンを鳴らす。
すると、聞こえたのは母親の翔子の声だった。
「はい」
「ただいま。開けて」
「はいはい」
その短い会話の後まもなく、秀太の右側の自動ドアが開く。