銀行強盗に遭って妻が縮んでしまった事件
@日本青年館
 
銀行強盗が、居合わせた13人のそれぞれの思い入れのあるものを差し出させて「魂の51%」を奪う、という話。
(なんのこっちゃ!!!)
 
魂の51%を奪われた13人にはそれぞれ「不思議な現象」が起こり・・・???
という
すごく抽象的で、ありえない意味不明なことの起こる、絵本のようなファンタジー。
 
魂の51%を取り戻せなかった者には死が待っている。
本当に死んでしまう人もいる・・・
という、ファンタジーにしては、なかなか重い設定。

51%ってナニ???
なんとなく『大体半分だけど、半分よりは多い』っていう絶妙なライン突いてくる、よくわかんない怖さ。

 
不思議な出来事というのは、その人の人生において、重要な判断とか、価値観とか、間違ってたこととか、なぁなぁにしてたこととかに、ちゃんと気づいて向き合って前に進めるか、という試練なのだと思う。
 
主人公である『妻』(ステイシー/花總まり)はその中の一人なわけだけど、たまたまそれを語っているのが主人公夫妻なだけで、不思議な出来事は13人それぞれに起こる。
 
13人と案件が多いのもあるし、多くを具体的に詳しく語らず、絵本のような描写で想像に委ねるファンタジー要素が強いというのもあって、一つ一つの案件の背景がわからないものも多くて、正直いって全くわからない案件もあったし、わかりやすくこういう問題を提示しているんだなと思える案件もあったし。
 
もしかしたら、どれがわかってどれがわからないかとかも、観た人それぞれ違うかもしれない。
それでその人の立場や、価値観や、問題への気付きの有無がバレるやもしれない。
そんな、自分を映す鏡になっちゃうかもしれない恐怖感のある作品かも。
具体的に何か言われるわけではないけど、何かモヤモヤっとしたものを突きつけられる感じがあるのよね。
え、これ何のこと示してるかわからない?あなたも気づいてないのね…って思わされるような、良い意味でイヤ~な感じある。
 

 
印象に残ったものを順不同で。
 
 
一番わかりやすかったのは、
『おしゃぶり』を差し出した男性の案件。
その人には赤ちゃんがいて、赤ちゃんが金のウンコをするようになるという不思議現象が起こる。
貧しかった夫婦はこれでお金に困らないと大喜び。
しかし、赤ちゃんは手術をしないと死んでしまう、だが手術をすると金のウンコはもうしなくなる、と医者に告げられる。
夫婦は迷わず手術を選び、戻ってきた赤ちゃんが普通のウンチをしたのを見て、抱き合って大喜び!!
 
彼らには、お金に困ってでも赤ちゃんの命を大切にできるかという試練が課されていたのだと思う。
2人とも迷わず手術を選んだところと、普通のウンチを見て大喜びしたところがステキだった。
2人は、お金よりも大切な、普通のウンチをする赤ちゃんを取り戻した。
 
 
解釈あってるかわからないけど印象に残ったのは、
お母さんからもらった時計を差し出して、年老いたお母さんが分裂してしまった男性。
最初は9人だったお母さん、次は30人くらいになって、最後は90人くらいになって、でも一人一人はどんどん小さくなっていく。
この男性には同居と思われる妻がいて、姑が増えて妻は激怒。どうやって世話するんだ、布団も数がないとか。1枚でいいじゃないかという息子、鬼嫁と言われるのは私だと怒る嫁。
お母さん一人一人の話を聞いたり抱き上げたり、お母さん一人一人必死にと丁寧に接しようとする男性に、お母さんはいいんだよいいんだよと言う。
小さすぎるお母さんの手を握れなくなってしまった男性は、かわりに(?)妻の手を取る。
やがて紙人形のように小さく軽くなってしまった90人余のお母さんは、紙吹雪のように飛んで行ってしまう(死んでしまったと思われる)
 
この夫婦の背景とか多くが語られないから想像だけど、この男性は、お母さんを大切にしてはきただろうし、お母さんをなんとかしようと必死だったけど…
おそらくは昼間ずっと実務的なお母さんの世話をしてきたであろう奥さんをねぎらってきたのだろうか?感謝して大切にしてきたのだろうか?
お母さんと話はしたかもしれないけど、食事の世話やお風呂の介助みたいなしんどい実務的なことはやっていたんだろうか?
今、今後、手を握るべきなのは、お母さんではなくて、奥さんなんじゃないのか。
最後はそれに気づいたんじゃないかなと思わせる(妻の手を取る)描写だったから、お母さんは失ってしまったけど、今後に救いはあるのかな。
お母さんはそれを教え諭して優しく旅立ったようにも見えて、悲劇感はあまりなかった。
 
 
和也さんが演じた、渡せなかった婚約指輪(ふられたんだっけ?)を差し出したバス運転手。
バスを運転してたら、婚約指輪を渡そうとしていた相手の女性が車で寄せてきて、運転手の心臓を奪っていった!!
(でも生きてる!笑)
それから心臓を奪い返すべく、彼女の車とチェイスし、最後は彼女の車が運転手目がけて突進してきたところで、彼女の車から心臓が飛び出て急に戻ったんだけど!
・・・よくわからなかった!
心臓が戻ったってことは、問題に打ち勝ったってことだとは思うんだけど。
彼女に奪われた心臓を奪い返そうとしたということ=彼女に置いたままの自分の気持ちや未練を取り戻そうと戦ったということだと思うんだけど。
心臓を取り戻そうと彼女と戦うことが、彼女への未練と戦うこととイコールになるのかな?っていうところが、ちょっと腑に落ちなかったかな。
ファンタジーで暗喩だからいいのかな。
 
 
2人の子供の写真を差し出して、飴になって消えちゃったお母さんの話は怖かった。
自分の体が飴になるという不思議現象が起こる。
二人の息子に、飴になった自分の指を折っておやつ代わりに渡したり。。
旦那さんになめつくされてついには消えてしまう。。。
 
本当に、他に背景とか情報がなくて推測というか直感でしかないんだけど。
自分を犠牲にするばかりで、自分の中身がなかった人なのかな…みたいな感じがした。
自分を差し出すという手っ取り早く一番簡単な方法で、本質的じゃないうわべだけの部分で、子供たちや旦那さんを満足させているような。
子どもたちや旦那さんは、本当は、飴を与えられて安易に機嫌を取らされるんじゃなくて、ほんと背景わからないから推測だけど例えば、話を聞いて欲しいとか、もっとよく見て欲しいとか、叱って欲しいとか、一緒に考えて欲しいとか、そういうのがあったかもしれない。
それと、彼女自身の問題だけでなくて、母が、妻が、飴になってしまったことに気づかない、もしくは、飴になってラッキー♪食べちゃえ、って食べてしまう、夫と息子にも問題があったのかなと。
妻や母への無関心、あるいは、与えてくれて当たり前、いくら利用しても大丈夫という搾取。
飴になって消えてしまって、初めて、気づくのかもしれない。ああ、自分たちが食べつくしてしまったのだと。
なんかそういう、家族への愛情の手抜きさみたいなのが表現されてたのかなって。
 
 
鍵を差し出して、家の歴史に押しつぶされそうになった男性
歴史の一つ一つを見て、先祖たちが、意外と平凡で似たような人たちだったことを知ることで、助かった。
きっと(例によって詳しく語られないので想像だけど)、家の歴史とか立派な先祖とか、よく知りもしないものに縛られていたのかもしれない、いやあるいは、歴史ある立派な家だと奢っていたのかもしれない。
ありのままの歴史、平凡な真実を受け入れたのかも。
 
 
栞を差し出して、夫が雪だるまになってしまった女性
これが一番わからなくて、一番怖かった。
まず、栞のエピソードがわからなかったし。
 
夫が雪だるまになってしまったので、なんとかしないとと思い、溶けないように冷凍庫に入れようとするが、入らないので、切り刻んで小さくして入れる。
数日後、夫は冷凍庫の中で切り刻まれて死んでいた・・・という話。
 
いや・・・どうしたら正解だったんだよ!!
ほっといても溶けてなくなってただろうし、他に冷やす方法ないよ!!
 
ほんと情報なさすぎだけど、少ない情報量の中で唯一ヒントになるかもしれないと思ったのが、夫の母からの電話。
夫の母からの食事の誘い?の電話に、夫が雪だるまになっていることを隠し、誤魔化して切って、数日後、連絡がつかないことを心配した夫の母からの捜索願で警察に冷凍庫が露見するのね。
 
ほんとに推測でしかないけど・・・もしこの時、夫の母に本当のことを話していたら、助けを求めていたら、もしかしたらファンタジーな方法で解決してもらえていたかもしれない。少なくとも捜索願は出さなかったろうし、殺人犯と通報する側にはならず、同じ立場で一緒に悩めただろう。
もしかしたら、日頃からコミュニケーションが不足していて、困りごとは隠したり、疎ましく電話を切ったり誤魔化したり、夫の母が息子夫婦の様子がわからず不安になるようなことがあったのかもしれない。
もしくは、そもそも嫁は、嫁姑とかに限らず、何かやばいことがあると、隠さなきゃ!隠さなきゃ!自分でなんとかしなきゃ!こんなこと言えない!って人に助けを求めたり本当のことを言うのが苦手で一人で抱え込んで間違った方向に行ってしまうこともあるタイプで、人に助けを求める、本当のことを言う、相談する、そういうスキルを試されていたのかもしれない。
 
 
 
封筒を差し出して、彼氏と別れた時にいれた(んだったっけ?)足のタトゥーのライオンが抜け出して追われ続けることになった女性。
この人の場合は、立ち向かう勇気、戦う勇気を出して、銀行強盗と戦ったことで虎が消えていって解決したのかな。
 
部屋に神様が現れて、神様を洗濯したけど、ティッシュの入った服と一緒に洗濯してしまって、神様が去って行ってしまった話は、本当にわからなかった!!
何!?なんの比喩なの!?
 
事務所が水の中になってしまった人とか。
描写として、舞台として、すっごくファンタジーで素敵だったんだけど、意味はよくわからなかった。
水の底にある書類?を取りに行ったら栓があって、栓を抜いたら水が抜けたんだったと思うけど。
 
嵐にあう人とか、靴紐がゴムになっちゃう人とか、体が爆発する!って騒ぎだす人とか、他にも色々エピソードはあった。

全部はちょっと、わかんなかったです。
色んな人の解釈きいてみたい。
 
 
 
で、主人公のステイシーは、人生における計算をたくさんしてきた電卓を差し出し、自分の体が毎日少しずつ縮んでいくようになる。
そんな妻と、語り手でもある夫がこの舞台の主人公。
パッと見問題なく生活している夫婦と小さい子供。
だけど夫は、妻の「縮んでいる」という問題、不安に、寄り添えていない、向き合えていない。
喧嘩してるわけじゃないし、話は聞いてるし、協力してるけど、だけど、どこか他人事で事務的。
ステイシーは、どんどん小さくなってやがては自分が消えてなくなるのではと大きな不安を抱えているけど、夫には言えないし、それってめちゃくちゃ一大事なのに、夫は事の重大さに気づいていない。
どんどん小さくなっていくステイシーが必死で自分より大きな子供と遊んだり、夫のジャケットに入ってスーパーに買い物に行ってあれこれ指示したり、一見して平和で楽しいファンタジー。
なのに、そこはかとなく漂うすれ違い感というか、真摯に向き合ってない感。
小さな演出かもしれないけど、普段買っているシリアルすら見つけられない夫、っていうのがすごく象徴的だと思った。
子どもにはすごく愛情注ぐのに、夫や妻に対してはどうだろう?っていうところとか…身につまされるわ。
 
この一見平和で仲良さそうな普通の夫婦、というのが絶妙にリアルでね。
別に離婚の危機ってほどじゃないし、この程度のすれ違いなんて、きっとどこの夫婦にもあり得るのが、ドキッとした。
 
計算上明日には消えてなくなるっていう割とギリギリまですれ違いっぱなしが続いた末に、最後は、手のひらサイズになったステイシーが、スポンジに乗って夫と一緒にお風呂に入ることを機に、彼女の体は大きくなり始めた(らしい)…というところで終わり。
 
え!!!
そこでいきなり終わり!!!
 
ほんとに、そこでぶった切られても!!!
っていうところで終わったんだけども。
 
でも、考えてみたら、他の案件だって、なんでそれをして助かったんだ?とか、どうすれば良かったんだよ!とか、背景わからん!想像するしかない!!のオンパレードだったから、これも、多くを語りませんというそういうことだろう。
 
一緒にお風呂に入れば、夫婦仲は良くなるのか???っていう単純な話でもないけど…
でも意外とそういうのって大事かもしれないというか、そういうことができるかどうかに現れてくるものかもしれない。
お風呂に入ったから解決したのではなくて、一緒にお風呂に入ろうと思える、そういう関係性になってきた、ということを象徴してるんだろう。
 
 
 
内容としては、そういう、色んな人の人生における大切な気づきを試されて、気づかないまま失敗した人もいるし、気づけて前に進めた人もいるし…っていう話でした。

魂の51%の話に戻るんだけど、
魂の51%を奪われたってことは、残された49%の魂で上述の色んな試練に立ち向かうってことだよね。
だから、残った49%に、試練に立ち向かう力がどれだけ残されているかだと思うんよね。
これまで大事なことに魂の半分程度でしか向き合ってなかったら、もうそこには大切なことと真摯に向き合う力はないわけで。
もし魂の全てをかけていたら、49%でも十分戦えるし、少しでもあれば頑張って回復する望みはあるのかも。
…とか考えた。


 
 
舞台としても、こんな不思議現象のオンパレードをどうやって表現するのかと思ったけど、うまくできてたな~
縮んでいくステイシー目線の、大きな椅子とか子供とか出てきたり。
夫と買い物したり車に乗ったりする時も、夫の姿の横に『虫眼鏡で見るとこうです!』みたいな感じでステイシーがいるんだけど、実際に花ちゃん自身が縮むわけなくて元の大きさのまま芝居してるんだけど、ちゃんと小さいんだなって伝わるんよね。
演出もお芝居もすごく良かった。
 
舞台ならではの、基本的には人力を多用した表現もすごく良かったし、ダンサーさんたちの表現もすごく良かった。
おばあちゃんが増えていくの、みんながモブで大勢のおばあちゃんやってるの愛おしかったし。
水の中の表現とかもすごく素敵だったし、水の中の動きができる役者さんたちも凄かったし。
和也さんのバスとか、バスの枠?をいくつかのパーツに分けてみんなで持って動いてて、揺れたり、広がったり、無くなったり、すごく表現広がって面白い!って思ったり。
子どもを人形で操ってたのも面白かったし。
並んで座って話していて、心の距離が離れたら椅子も離れて行ったりとかも面白いなと思ったし。
 
不思議感がアートのようで面白い舞台でした。
 
 
梅棒より和也氏、本役の指輪差し出すバス運転手さん以外に、分裂したおばあちゃんの一人とか、金のウンコの赤ちゃんのお医者さんとか、ダンサーとしてもたくさんの場面に出ていて、めっちゃめちゃ頑張って働いてました!!
 
 
わかんないこともいっぱいあったし、解釈した部分も合ってるかわからないけど、不思議感、ファンタジー感を味わったり、言葉にならない感覚や感情を色々感じたり、解釈を考えたりして、面白かったです。