思想・良心の自由
憲法十九条「思想・良心の自由は、これを侵してはならない」と日本国憲法には記述されている。思想・良心の自由は、“内心の自由”あるいは“信条の自由”として心の内面だけを保護するものであり、心の内面が具体的な行動として現れたら、それは法律による規制の対象となるのが当然であり、外部的行為の領域には憲法十九条の保障は及ばないと一般的に解釈されている。そのために、法と良心が衝突してしまうケースが多い。
例えば、21世紀に入っていから日本で問題となっているのが、国旗・国歌である。東京都では2000年から石原都知事により「心の東京革命」が推進されてきた。「心の東京革命」とは、一人ひとりが本当の自分を自覚し、自分らしい考え方を身につける教育を目標にかかげたプログラムだ。だが、2003年10月23日に東京教育委員会が発した「一〇・二十三通達」によりこのプログラムは矛盾することになった。「一〇・二十三通達」は各学校の卒業式・入学式における国旗・国歌の扱い方を細かく定めたものであり、子どもと教師と親の自分たちらしさを奪うものであった。2004年春に行われた都立学校の卒業式・入学式で、子供たちに国歌斉唱を強制することは正しくないと考えた教師たち200人以上が、国歌斉唱の時に立ち上がらないことを選択し、結果として懲戒処分をうけた。このように法と良心がぶつかっているのが、現状である。
しかし、私には国旗・国歌の問題がクローズアップされるあまりに、本質である子供たちの思想・良心の自由が忘れられているように思われる。上記のような教師の行動は大変大事なことであるが、一番大事なことは子供たちが自分で思想・良心を取捨選択する力をつけることである。つまり、教師は子供たちが自分で考えることまたは自律を促す教育を提供するのが好ましいのではないだろうか。もちろん、知識がなければ子供たちは思想・良心を取捨選択できない。そこで、必要になるのが「国語」や「総合的な学習」の時間だ。どちらも子供たちの思想・良心に大きくかかわってくる分野である。国語では物を書くこと、自分を表現することは自ずといろいろなことを考えなければならない。また、総合的な学習ではいろいろと調べているうちに多様な思想にふれることができる。こうしたことを通して、子供たちが思想・良心を取捨選択できるように促すことが教育の現場で必要だと私は思う。非常に難しいことを私は言っているのかもしれないが、子供たちの思想・良心の自由を守るためにはこういった取り組みをするのが適切だと思う。卒業式・入学式で国歌斉唱している中、断固として椅子に座り自分の考えを表明しても、子供たちにその行動が何を意味しているのか考える力がなければ、全く無意味なものである。
なかなか難しい問題だよなぁ~\(゜ロ\)(/ロ゜)/
おいらの考えだから授業でかぶっている人はコピペしないでね(;一_一)
憲法十九条「思想・良心の自由は、これを侵してはならない」と日本国憲法には記述されている。思想・良心の自由は、“内心の自由”あるいは“信条の自由”として心の内面だけを保護するものであり、心の内面が具体的な行動として現れたら、それは法律による規制の対象となるのが当然であり、外部的行為の領域には憲法十九条の保障は及ばないと一般的に解釈されている。そのために、法と良心が衝突してしまうケースが多い。
例えば、21世紀に入っていから日本で問題となっているのが、国旗・国歌である。東京都では2000年から石原都知事により「心の東京革命」が推進されてきた。「心の東京革命」とは、一人ひとりが本当の自分を自覚し、自分らしい考え方を身につける教育を目標にかかげたプログラムだ。だが、2003年10月23日に東京教育委員会が発した「一〇・二十三通達」によりこのプログラムは矛盾することになった。「一〇・二十三通達」は各学校の卒業式・入学式における国旗・国歌の扱い方を細かく定めたものであり、子どもと教師と親の自分たちらしさを奪うものであった。2004年春に行われた都立学校の卒業式・入学式で、子供たちに国歌斉唱を強制することは正しくないと考えた教師たち200人以上が、国歌斉唱の時に立ち上がらないことを選択し、結果として懲戒処分をうけた。このように法と良心がぶつかっているのが、現状である。
しかし、私には国旗・国歌の問題がクローズアップされるあまりに、本質である子供たちの思想・良心の自由が忘れられているように思われる。上記のような教師の行動は大変大事なことであるが、一番大事なことは子供たちが自分で思想・良心を取捨選択する力をつけることである。つまり、教師は子供たちが自分で考えることまたは自律を促す教育を提供するのが好ましいのではないだろうか。もちろん、知識がなければ子供たちは思想・良心を取捨選択できない。そこで、必要になるのが「国語」や「総合的な学習」の時間だ。どちらも子供たちの思想・良心に大きくかかわってくる分野である。国語では物を書くこと、自分を表現することは自ずといろいろなことを考えなければならない。また、総合的な学習ではいろいろと調べているうちに多様な思想にふれることができる。こうしたことを通して、子供たちが思想・良心を取捨選択できるように促すことが教育の現場で必要だと私は思う。非常に難しいことを私は言っているのかもしれないが、子供たちの思想・良心の自由を守るためにはこういった取り組みをするのが適切だと思う。卒業式・入学式で国歌斉唱している中、断固として椅子に座り自分の考えを表明しても、子供たちにその行動が何を意味しているのか考える力がなければ、全く無意味なものである。
なかなか難しい問題だよなぁ~\(゜ロ\)(/ロ゜)/
おいらの考えだから授業でかぶっている人はコピペしないでね(;一_一)
天は自ら助くるものを助く(Heaven helps those who help themselves)ということわざがある。
意味は「独立独行、依頼心なく、奮闘努力するものを、天は助けて幸福を与える。」というものであるが、疲れている人間は自ら動くことさえ嫌になってしまう。
この頃サークル活動(幹部の仕事)が忙しい。
ライブがあれば、僕たち幹部はめちゃくちゃ重たいスピーカーや機材をステージまで搬入したり、撤去しなければならない。
もちろん一回生や三回生が協力してくれるが、人それぞれ協力のしかたが異なる。
積極的に手伝いをしてくれる一回生もいれば、突っ立ってくっちゃべっている二回生(幹部)もいる。
僕は一回生たちに指示したり、自ら重たいスピーカーを運んだりしているのに、そういう堕落した二回生を見ているといらいらしてしまう。
「一回生も一生懸命手伝っているのに、先輩として恥ずかしくないのか!!」と言いたくなるけど、いつも心の中にしまってしまう。
「情けは人のためならず」という言葉を僕はいつも心に言い聞かせ、自ら進んでイヤなことにも取り組んでいる。
その分だけ、いつか自分に益があることを信じている。
しかしサークル内で一生懸命働いても、実際のところ何も得した気分を味わったことがない。
ただ一人頑張っても身も心もくたくたになるだけで、損をしてばかりである。
「幸せは歩いてこない、だから歩いていくんだよ♪」とひばりさんは「天は自ら助くるものを助く」と同じ意味のことを言うけれど、進んで歩いても報いがなければ進むことをやめたくなるよ。
何もしないでも、救われたいよ。
我慢するのは疲れたよ。
意味は「独立独行、依頼心なく、奮闘努力するものを、天は助けて幸福を与える。」というものであるが、疲れている人間は自ら動くことさえ嫌になってしまう。
この頃サークル活動(幹部の仕事)が忙しい。
ライブがあれば、僕たち幹部はめちゃくちゃ重たいスピーカーや機材をステージまで搬入したり、撤去しなければならない。
もちろん一回生や三回生が協力してくれるが、人それぞれ協力のしかたが異なる。
積極的に手伝いをしてくれる一回生もいれば、突っ立ってくっちゃべっている二回生(幹部)もいる。
僕は一回生たちに指示したり、自ら重たいスピーカーを運んだりしているのに、そういう堕落した二回生を見ているといらいらしてしまう。
「一回生も一生懸命手伝っているのに、先輩として恥ずかしくないのか!!」と言いたくなるけど、いつも心の中にしまってしまう。
「情けは人のためならず」という言葉を僕はいつも心に言い聞かせ、自ら進んでイヤなことにも取り組んでいる。
その分だけ、いつか自分に益があることを信じている。
しかしサークル内で一生懸命働いても、実際のところ何も得した気分を味わったことがない。
ただ一人頑張っても身も心もくたくたになるだけで、損をしてばかりである。
「幸せは歩いてこない、だから歩いていくんだよ♪」とひばりさんは「天は自ら助くるものを助く」と同じ意味のことを言うけれど、進んで歩いても報いがなければ進むことをやめたくなるよ。
何もしないでも、救われたいよ。
我慢するのは疲れたよ。
