今日のドトールの珈琲のお供は、
湊かなえ著「ブロードキャスト」
ミステリーかと思ったら、
高校生の部活動(放送部)の物語のようだ。
※※
60年以上生きているわけだが、
「何で自分はこの世に生まれ落ちて来たのか?」
という素朴な疑問に悩まされている。
よく「お母さん、産んでくれてありがとう」
なんてセリフを聞くことがある。
でも私は母親に対して、
産んでくれたことに感謝する気持ちを持ったことがない。
最初からこの世に出現していなければ、
生きる苦しみ・辛さ・悩み・病気・怪我…はなかった。
それらの苦しみは、生きる楽しさの数倍もあるように思う。
どうせ死ぬのになんで生まれたのか?
種族保存のため?
一応その義務は果たした。
でも孫に巡り合えるかどうかわからない。
となると生まれてきた意味がなくなりそう。
しかしだ。
悠々自適の生活に入ったとたん、
死ぬことが怖くてしょうがなくなった。
せっかく生まれたのだから、この優雅な生活、
今後もずっと永遠に生きていたい。
けど、そんなの絶対に無理。
となると今後、
死ぬまで死の恐怖と対峙しなくてはならない。
神様はなぜ私をこの世に出現させたのか?
うらめしく思う毎日である。
まさかドトールで珈琲と読書をさせるためか?
でも、それでもいいかな。
皆さんは、生まれてきた意味をどう思いますか?