今日のドトールの珈琲のお供は、
柚月裕子著「慈雨」
定年退職した刑事が、
妻と四国のお遍路をしながら、
16年前と現在進行の2件の少女誘拐殺人事件に向き合っていく。
というストーリーである。
ところで全行程徒歩でのお遍路って、
自分が過去犯してきた過ちの贖罪のイメージがある。
各寺で手を合わせることで、
気持ちが軽くなるならば、
宗教も意味あるかなと思う。
私はどこの宗教にも所属していない。
でも、
結婚式はキリスト教で、
お宮参り・七五三は神道で、
葬式・お墓は仏教で、
初詣・願掛けは仏教・神道、
各々ありがたく利用させてもらっている。
信者になるのを避けるのは、次の理由がある。
*戒律に縛られるのは窮屈だ。
*多額のお布施や寄付や献金を強制されたくない。
*様々な奉仕活動がおっくうである。
*壺を買いたくない。
*他人を入信の勧誘がとてもできない。
*宗教法人が関わっている政党に投票したくない。
*他人に上記政党に投票するように勧誘したくない。
*教祖とその取り巻きだけが裕福になるのは納得できない。
*悩みの解決やストレスの解消に役に立つとは、思えない。
世の中には上記のことがあっても、
入信して活動している人たちがたくさんいる。
何が良くて活動しているのだろうか?
困っているときに、本当に助けてくれるの?
気分が落ち込んでいるときに、心の拠り所になっているの?
なんで宗教法人のために、犠牲にならないといけないの?
教祖と幹部だけが裕福になるのはいいの?
私は宗教とは、
悩み事があるときだけ、
気分が落ち込んでいるときだけ、
願いごとがあるときだけ、
気持ちを聞いてくれたらいいと思う。
その時は、自発的に自分の納得のいく金額を寄付する。
殺人まで誘発してしまう宗教って何?
信者の幸せを第一義に考える宗教ならば、
献金も奉仕も絶対に強要できないはずだ。
とはいえ、
皆さんは、宗教に助けられてますか?