試写会で観た『セッション』のレビューを、
人間性を超えた極みは、芸術も戦争も同じか」のレビュータイトルで、

今年の米国アカデミー賞で3部門受賞の『セッション』、早々に試写会で鑑賞しました。
受賞したのは、助演男優賞(J・K・シモンズ)、編集賞音響賞
なるほど、と思わせます。
さて、映画。

全米屈指の名門・シェイファー音楽院に入学したニーマン(マイルズ・テラー)。
ジャズ・ドラマーを目指す彼は、単独練習している姿が、学内一の教授・フレッチャー(J・K・シモンズ)の眼に止まり、教授のクラスにスカウトされる。
完璧なバンドを目指すフレッチャーの指導は常軌を逸するほど恐ろしく、わずかなテンポのズレも赦さない。

それまで彼女のひとりも出来ず、家族うちでの評価も低かったニーマン。
映画館の売店に勤める少女と付き合い始めた彼であったが、クラスでのレッスンが進むうちに、レッスンを優先させたいからと一方的に彼女に別れを告げる。

そして、レッスンにのめり込んでいくのであったが・・・

というストーリー。

いやはや凄まじい映画でした。
映画が終わると(エンドクレジットが出る直前に)、館内から多くの拍手が起こりました。

謳い文句にもあるとおり、ラスト10分近いセッションは鬼気迫る迫力、なにかを超えた極みのような陶酔感が呼び起こされます。
編集賞、音響賞を受賞したのも、なるほど、です。

しかし、同時に、背筋も寒くなるのです。

観終わって(というか、観はじめてすぐにかも)思い出したのは、スタンリー・キューブリック監督の『フルメタル・ジャケット』。
ニーマンとフレッチャーの関係は、あの映画の新兵と鬼軍曹との関係に酷似しています。
J・K・シモンズ演じるフレッチャーが、『フルメタル・ジャケット』で鬼軍曹を演じたR・リー・アーメイに似ていること!
あの映画では、人間性を削ぎ落として殺人マシーンとしての兵士をつくる訓練の末、ヴィンセント・ドノフリオ演じる新兵が自殺してしまいますが、こちらはそうではありません。

映画中盤、コンペティション会場に駆けつける途中で自動車事故に遭うニーマン。
この映画では、不意の事故か!と思わせますが、その後、ニーマンは無謀にも演奏をするのです。

なんという狂気。
妄執に囚われているといっても過言ではありません。
ですが、当然、完奏などできるはずはありません。

ここまで「人間らしさがなく」鬼軍曹と新兵との関係であったふたりの関係は、このあと変化し、映画は転調します。

放校になったニーマンとフレッチャーの間で、「人間臭い」確執がはじまります。
この後半部分は、常人の感覚です。
なので、それまでの息が詰まるような「非人間的」緊迫感が薄れ、「人間的」な雰囲気となります。

しかし、最後の最後、10分近いセッションで、ふたたびその「人間性」を超えていくのです。

フレッチャーの意趣返しをものともせず、ドラムソロを続けるニーマン。
そのソロ演奏に魅入られ、人間臭いなにかをどんどんと削ぎ落としていくフレッチャー。
終盤3分あまりのふたりだけで繰り広げられる「セッション」は、人間性を超えた極みの陶酔感。

素晴らしい、素晴らしい!

しかし、同時に、芸術は人間性をも削ぎ落とさなければ到達できないのかと思うと、背筋も凍りつきました。

なんと恐ろしい映画か・・・

評価は★4つとしておきます。

<追記>
劇中、頻繁にチャーリー・パーカーのエピソードが出てきます。
以前にクリント・イーストウッド監督が撮った『バード』を再鑑賞したくなりました。

<追記2>
原題の「WHIPLASH」は劇中演奏される重要な曲のタイトルですが、「しなやかな鞭先」「鞭でぴしゃりと打つこと」の意味だそうです。
なるほど。