サンドラの週末』のレビューを、
映画に結末があるのは監督も衰えたからかしらん」のレビュータイトルで、

お気に入り監督のひとり(兄弟なので、ふたりか)、ジャン=ピエールとリュックのダルデンヌ兄弟の新作『サンドラの週末』、ひと足もふた足も早く試写会で鑑賞しました。
それも試写会後に、監督登壇のシンポジウム付というもの。
社会的なテーマを持った作品を撮ることが多い監督ですが、活動家の側面は少なく、兄のジャン=ピエールは「わたしは映画監督に過ぎない」と断言し、映画の内容(というよりもショット)についてのみ熱心に語っていました。
さて、映画。

ベルギー国内のフランス語圏の地方都市。
太陽光パネルを製造する小企業に勤めるサンドラ(マリオン・コティヤール)は、鬱病からしばらく休職していた。
病も癒え、職場復帰をしようとしたところ、会社側から、経営不振を理由に、社員たちのボーナス原資を確保するために解雇する、と告げられる。
それも、職場の社員18人による、サンドラの復帰か、ボーナス支給かの二者択一の職場投票で決まった、という。

しかし、同僚女性の助けもあり、再度、職場投票を行ってもよい、との約束を社長から取り付けたサンドラは、週末の土曜日と日曜日に、職場の面々のもとを回って、復帰の理解を求めようとする・・・

シンポジウムは「格差社会における連帯」というテーマだったので、観終わってから、この映画をそういう視点でとらえてしまいました。
たしかに、そのようなテーマ性がないわけではないのですが、これまでのダルデンヌ兄弟のフィルモグラフィから鑑みると、そこが狙いではないでしょう。

この映画は、鬱病で周囲を拒絶し、孤立していたサンドラが、週末の2日間と日曜の夜に同僚たちを説得するなかで、もういちど自律・自立する「瞬間」を描いたのだと思います。
ダルデンヌ兄弟の映画は、常に「瞬間」、それも「ひとが変化する瞬間」を描いてきたからです。

サンドラの自律、これがこの映画の「瞬間」です。

前半、鬱病は完治したといいつつも、ちょっと不安になると薬物に頼ってしまうサンドラ。
それが、同僚女性の転機とともに、『ロゼッタ』と同じような、どんづまりのどうしようもない破目になって、それが「変化する瞬間」になります。
自分自身のことだけを考えていたサンドラから、もうひとりの同僚女性のことに思いを馳せるサンドラへと変わる・・・

かつてのダルデンヌ兄弟の映画ならば、「もうここで終わるなぁ」と思うところが、映画の3分の2ぐらいのところできます。

が、監督も衰えたのかどうか・・・
このあとに週明けの再投票が描かれ、投票結果も描かれます。
投票結果うんぬんではなく、そこまで描くことで、これまでのダルデンヌ兄弟の映画が持っていた「潔さ」というか、「厳しさ」というかが薄れてしまったように感じました。

まぁ、この結末があるから、シンポジウムでも「格差社会における連帯」というテーマになったのでしょうが、ダルデンヌ監督の映画に結末があるのはふたりも衰えたからかしらん、なんて寂しい思いがします。

評価は★3つ半としておきます。

<追記>
ベルギーでは会社ごとの労働組合はなく、業界ごとに大きな組合組織があり、会社ごとの労働組合組織はそこに参加するとのこと。
で、業界ごとの労働組合の力は強く、労働条件を会社側に遵守させる力も強い。
ただし、労働者が50名以下の会社では、社内での労働組合組織をつくる必要はなく、サンドラの会社も労働組合というものがありません。

と、シンポジウムの席で、弟のリュック・ダルデンヌ監督がいっていました。

また、本作はプジョー社で実際に会った不当解雇問題に着想を得た、とのことでした。