訪問ありがとうございます。
ネタが尽きてきたので(早すぎ)書いてみた詩の発表会になります。
その前に議論したいのが、「正しさ」とは何か。
皆様も、一度はこういった経験をされたでしょう。
「なんで人を殺しちゃいけないの?」
と、小さな子供に聞かれたこと。私はこのことから、正しさの意味を深く考えるようになりました。この子供の質問に対する答えは、人が悲しむことをしてはいけない、だとか、秩序を保つためには人の行動に対する枷をかけなければならない、だとかが挙げられます。しかし、これらは先人が作ってきた「正しさ」であり、本当に正しいのかは誰も知りません。実際、過激派組織のISILが人を殺すことが良いことだと説いています。ですが彼らは世界で共有された殺人は「悪」というものを「善」だと説いたことで異端視され、倫理に反するとして憎まれています。私たちの常識からは当然ですね。(殺人を推奨しているわけではありません。極端な例を挙げました。)
世の中に本当に正しいものはない。仮の正しさ(法律)を作ることによって社会はかろうじて成り立っている、と僕は考えています。
正しいとは何かを考えていくきっかけに慣れたら幸いです。これも批判的思考力の応用ですね。
議論とは離れますが、人間の在り方についての正しさについて考えました。現在、環境保全に精を出す方がいる中で、どの国も「国民の生活が優先、環境保全はできる範囲で」という政府があります。(当然ですが)自然との共存における打開案は?ということで、以下の詩を私の意見として述べます。
l 始まり
町は五色の想いに溢れ
風はそれらを優しく乗せる
過去の雷はさよならではなく、
進むための色になる
森は笑い、川は微笑む
日は柔らかく全てを見守る
人は静かに目をつむり、
壊れた世界は進みだす
冒険家が町へと跳ねる
新たな世界を拓くため
拓いた世界は光のみ
闇は一切見られない
住民たちはのびのびと
苦しむことをしらないで
青い空は初々しくも
元ある姿に戻りゆく
壊れた世界は消えてゆき、
新たな世界が訪れる
ちっちゃな葉っぱが目を覚まし、
心地よさげに揺れていた
l 怒り
沈む体は戻らずに、
削がれて掘られて無くなりそう
仲間たちとの決別は、
いつものように悲壮です
少ない緑は戻らずに、
静かに消えて、夢を見る
侵略された自分の体は
いつものように痛いです
ケガした自分は戻らずに、
どんどんどんどん消えてゆく
熱気は自分を熱くした
私は怒りを吐き出した
なぜ自分はこうなった?
―奴らのせいか。
なぜ自分を気にかけない?
―奴らのせいだ。
ならば奴らに悪夢を見せよう、
奴らの終わりを祝ってやろう
私はディストピアこそが正しい地球の在り方だと思います。
まあ、これも一つの意見ですね。皆さんはどう思いますか?