解離性障害と共に生きる

解離性障害と共に生きる

エッセイ、日記集。
21歳の時に解離性障害を発症。
主に健忘、離人、コミュ障、不眠。
以来、九年間病気と共に生きる。
現在、回復に向かい社会復帰を目指す。

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今日は母に、キレられました。
くだらないことで。
私が母を無視していることに腹をたてている模様。
なぜ無視をするか、考えないのかが私には不思議でしょうがない。
これだから金魚は嫌だ。
悲しみと怒りが一気に襲う。
私が何故、無視をするのか。
彼女たちは私に散々な仕打ちをしてきた。
それでも私は回復しようとしてきた。
おそらく、それに関しても何の罪悪感もないことだろうと思う。
つい先日、事件があった。
私が進路を決め、これからもう一度高校の単位をとりなおすことになったとき
願書を出すにあたり、前に居た学校の書類が必要だったのだが
一番始めに入学した高校から届いたのは、転学の記載であった。
うる覚えで面接にいったことは思い出した。
だが、一度も登校した覚えはない。
それもそのはず私は、鬱病だったのだからいけるはずもない。
学費も滞納していたので願書に関する書類を発行できない、とのこと。
親に問いただすと、
知らん。勝手にやったことだろ?勝手にしろ。
と返ってきた。
私は怒りを覚えた。
例え忘れていたとしても、それは親の言葉ではない。
いま身ごもってそれがよく分かる。
自分が親になることで、尚更この親の未熟さ人間としての低さを倍増して感じる。
結局、自分で支払うことにした。
教頭先生と話をしたところ、親の同意はもちろん督促状も送っているとのこと。
お金の問題ではなく、心の問題が残った。
いままで、許そうとしてきた私の気持ち。
家族が心地よく過ごせるようにしてきた努力。
いつもニコニコして穏やかに過ごすように意識してやってきた。
イライラすることも我慢して耐えて、笑って冷静にかわしてきた。
それもすべて自分が変わるためであり、関係の修復のためだった。
五年経った。
でも彼らは何一つ読み取ってはいないし、変わっていなかった。
理解できない人間に話すことはない。馬鹿につける薬はないのだ。
わたしは諦める他なかった。
できるだけ距離を置いて付き合わなければ、私が侵される。
そうしなければ、再発の可能性も免れない。
そういう訳で、いちいち親を大切に扱うのをやめたので
それを無視と捉えてキレているらしい。
何の背景も理解しようとしないのに、自分がされたことには目くじらをたてる。
勝手な感覚である。
話をする機会があれば、聞いてみたい。
どうして私が無視するか分かるか。
そして言いたい、私の愛を踏みつけたからだよって。
仕返しをするのなら、老いて病気になったとき死んだときだろう。
お金の管理ももう辞めようと思う。
好きに生きて自分の責任はとっていただく。
親は私にそれをいつも言い続けてきた。
それをいつか丁寧に返すときがくるだろう、、