私がこのブログを作ったのは、解離性障害の情報が少な過ぎると感じたからです。
実際に私自身、同じ病気の方にお会いしたことはありません。
記憶が曖昧になって日常で困ることは、自分に何があったのか分からないときで
気付いたら物の位置が変わっていたり、はたまた会話したことを忘れていたり。
内容を覚えているときもあるのですが、そういったときは目は私の目で。体を動かしているのは違う人という感じです。
だいたい暴れているときなんかは、そんな感じが多いです。
また、あまりにも酷い言動を受けたタイミングで離人症がキツくなったり記憶が曖昧になることもしばしば。
辛い気持ちを味合わない分、ラクと言えばラクなのかもしれませんが皺寄せが来るようです。
他人から見れば不可解な行動も、私には説明ができませんでした。
言葉にするのが難しいので拙くて申し訳ありません。
また、睡眠障害が厄介で
眠剤を飲むと更に記憶力が低下します。
眠剤のあとの記憶がないことは、しょっちゅうでした。そのあと、なにか書いていたり電話をかけまくって話したことは覚えていなかったり。
なので、昨日電話で私は何を話してた?とよく人に聞いていました。
また時々、電車に乗ったりデパートへ行くと緊張のあまりか離人症になることもよくありました。
コミュ障は、人の話はニコニコして聞くことは可能でしたが声が詰まって話せない状況が続きました。
話すことができなくて、また頭が真っ白になって困りました。
先生曰く、それはパソコンのフリーズ状態だそうです。容量オーバーで固まってしまうそうです。確かに思い当たりました。
人と話していて、感じることが沢山ありすぎて頭がパニックになって、それを超えると何も感じなくなって声がでなくなる。
そのとき、話したかったことが一時間後や一週間後、一ヶ月後にポンと出てくる。
でも過ぎた時間は戻らないので、後からその話をしたとしても粘着扱いされることがあったりする。
いやいや、何も考えてなくて急にフリーズが溶けただけなのですが。
勘違いの連続です。
説明しても解ってはもらえません。
また、昔から人と違い大人になってそれを認識したときは、とても辛かった。
普通が羨ましくもあり妬ましくもあり、個性など要らないから友達が欲しかった。理解してくれる人は私にはいなかった。
いまは、そんな自分を受け入れています。そうしたら友達というものがどんなものか少しずつ解ってきました。
へんてこりんな自分自身を同じように享受している人。そういう人たちは他人を受け入れる器も凄くあり、私は心置きなく何でも話したり聞いたりすることができるようになりました。
そして、こういう人たちとの付き合いが深く広くなっていきました。
あとの、普通の人たちとは適当に距離を置いて付き合う程度にしました。すると心が軽く、また今までより自分のことがわかったり、色んな考えに触れて楽しい世界を経験することが出来るようになってきました。
私が一番苦手なのが、受動的になることだということも最近分かりました。能動的でなければ何も意味がない。そんな自分がいることが分かりました。
一日一膳、発見を重ねて生きたいと思います。