どうも!りたです。

 

『アウトプット大全』のことを書こうかなとも思ったんですが、

 

最近パートナーと話している中で、"自分が大切にしている価値観"

 

に気づくきっかけがあったので、今日は価値観の話を。

 

【パートナーとのケンカ】

つい先日、パートナーの運転でドライブしました。

 

免許を取ってまだ2日しか経っていないということもあり、

 

かなり不慣れな運転。

 

その隣でピリピリしながら教官ばりにコメントをしていく私。

 

自分では気づきませんでしたが、かなり怖かったようで。。。

 

パートナーは車を降りた後、

 

『もう運転したくない』と不機嫌になってしまいました。

 

まぁよくあるカップルのケンカみたいなことが発生したわけです。

 

さて、このイヤーな雰囲気が発生したのは誰のせいでしょうか?

 

パートナーはパートナーで、不機嫌になりつつも、

 

『事故ったら危ないから、ピリピリするのもわかる』

 

『でも、これくらいでそんな不機嫌になるのも小さいかな』

 

という大人なコメント。

(19歳とは思えない。)

 

さて、このカップルのケンカは一体誰が悪いのでしょうか?

(おそらく私が悪いという声が9割9分くらいだと思いますが。笑)

 

 

【原因は誰にある?】

ケンカの例はちょっとわかりづらいんですが、

 

問題が発生したのは、一体何が原因なのか。

 

問題が発生した原因を、

 

自分や他者にある、とするのはとても簡単です。

 

個人の性格や人間としての未熟さ

 

という理由で片付けることができるから。

 

でも、それだとちょっと息苦しい。

 

自分のせいだ、自分が努力すれば、我慢すれば、とにかく頑張れば!!

 

とか、

 

あいつが悪い、あいつはダメだ、嫌なやつだ、相容れない!!

 

ということになってしまう。

 

これが行き過ぎてしまうと極端な自己責任論になってしまう。

 

不登校なのは、働かないのは、貧乏なのは、病気になるのは、

 

レイプされるのは、いじめられるのは、

 

全部自分のせいだ!!自分でどうにかしろ!!

 

なんて言われたらすごく生きづらい。。。

 

 

問題の大小に関わらず、

 

自分にしろ他者にしろ、

 

問題の原因を"人"にすると、

 

心が疲弊してしまう。

 

 

【原因は環境にある】

原因は誰にある?ということを考えていた時に、

 

自分が大切にしている考え方に気づくことができました。

 

それは、

 

大小に関わらず何か問題が発生するのは、

 

自分や他者という個人に原因があるのではなく、

 

環境や状態に原因がある。

 

という考え方。

 

でもこれは、"自分が悪くない"という意味ではない。

 

環境や状態を作っているのは自分や他者だから、

 

"環境を作っている構成要素として"責任がある、ということ。

 

 

最初のケンカの例でいくと、イヤーな雰囲気になってしまったのは、

 

免許をとったばかりの人が運転をして、

 

運転経験が長い人が助手席に座っている

 

という状態/環境そのものに原因がある、と考えます。

 

そしてその状態を作っている構成要素である自分や他者の責任を考える。

 

 

この"環境のせい"というワンクッションがあることで、

 

感情的にならずに、自分と問題を切り離して、

 

客観的に問題の原因を探ることができる。

 

でも環境を作っているのは自分だから、

 

ジブンゴトとして考えることができる。

 

環境の構成員として、自分が環境のどの部分に、

 

どんな影響を与えられるかを考えれば、

 

問題の解決策が見つけやすくなります。

 

 

【つまりまとめると?】

ごちゃごちゃ書いてみたんですが、

 

うまく伝わるように書くのが難しい。。。

 

でもまとめてみると、

 

「問題の原因は個人ではなく環境にある」

 

「環境を作っているのは自分だから、環境の構成要素としての責任はある」

 

「1構成要素として、環境のどの部分にどうやって介入すればいいかを考える」

 

という感じ。

 

これができれば、問題が解決しやすくなるし、

 

何より生きやすい。

 

もう少しわかりやすい例があれば。。。

 

いい例が見つかったらまた書きます。

 

では。