•  京都北野と道真公

 京都の春は梅を愛でることに始まる。梅の名所、北野天満宮は京都の北西、上京区に鎮座し、「天神さん」「北野さん」と親しみを込めて呼ばれている。学問の神様として菅原道真すがわらのみちざねを祀り、多くの受験生の信仰の対象となってきた。道真は平安時代中期の忠臣で、宇多うだ天皇てんのうに重用されて醍醐天皇だいごてんのうの時代には右大臣まで上り詰めた。

 

  そこで、謀反を疑われて、太宰府に流され現地で没したのである(しょうたいへん)。彼が都を去る際に植えられていた梅の木に、「東風こち吹かば匂いをこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」と詠んだことで知られる。主人を慕って、その梅は一夜にして太宰府へと飛んできたと言う。松の木も同じく飛び立ったものの、途中で力尽きて摂津・須磨すまうらいた宿やどに落ちたとも言われる。桜の木は主人が去ると知ると、悲しみのあまり枯れてしまったのである。

 

  死後、清涼せいりょう殿でん落雷らくらい事件じけんなど異変が頻発したため、道真が怨霊となったと恐れられて、北野神社に祀られたのであった。北野天満宮のHPによると、その創建は、平安時代中頃の天暦元年(947)に当所に神殿を建て、菅原道真公をお祀りしたのが始まりとされる。その後、藤原氏により大規模な社殿の造営があり、永延元年(987)に一條天皇の勅使が派遣され、国家の平安が祈念された。

 

  この時から「北野天満天神」の神号が認められ、寛弘元年(1004)の一條天皇の行幸をはじめ、代々皇室のご崇敬をうけ、国家国民を守護する霊験あらたかな神として崇められてきた。江戸時代には、各地に読み書き算盤を教える寺子屋が普及し、その教室に天神さまがお祀りされたり、道真公のお姿を描いた「御神影」が掲げられて、学業成就や武芸上達が祈られてきた。このことがのちに「学問の神さま」、「芸能の神さま」として皆さまに広く知られるようになったようである。

 毎月25日、北野天満宮では「天神てんじんいち」と呼ばれる縁日が開かれる。東寺の「弘法こうぼういち」とともに、京都の2大縁日として知られている。道真公の生まれた日も命日も、どちらも25日だったことに由来すると伝わる。骨董などの露店や屋台が集まり、とくに12月は「しま天神てんじん」として多くの人で賑わう。

 

  数年前のNHKの朝ドラ『カムカムエブリバディ』の京都編ではこの界隈が舞台となっていた。主人公の大月るい(深津絵里さん)はここで回転焼きに出会って、北野商店街でこれを販売することを始めたのである。娘のひなた(川栄李奈さん)は、これを五十嵐文四郎(本郷奏多さん)に焼いてあげて、「あったかくて生き返った」と言わせたのだった。物語の終盤にひなたが差し入れた回転焼きを、アニー・ヒラカワ(森山良子さん)が小豆を摘まみながら味をかみしめるシーンも印象的であった。この辺りからは花街として名高いかみ七軒しちけんや西陣、うずまさ映画えいがむらも近いのである。

 

•  幻の酢と匠の技の継承

 北野天満宮の近く、一条通り、大将軍の商店街にも近いところに、京町家の小さなお酢屋さんがある。これこそ、昔ながらの製法で「たまひめ」を造る「斎藤造さいとうぞう酢店すてん」である。量産できないため市場に出回らず、入手困難なため「幻の酢」とも呼ばれていた。この店が3年ほど前に一般販売を終了してしまったのである。

 

  廃業ではなかったが、このコロナ禍や後継者難などで一般販売の継続を断念したのだろう。実は私もこの酢の大ファンだった。900mlサイズでもお値段は手頃で十分に手に届く。酢は普通はとてもそのままでは飲めないものだが、この酢は飲むこともできるのである。何ともまろやかで、甘味すら感じてしまう。こんなすばらしい酢が味わえなくなってしまうのは残念でならない。

 

 大手量販店のヤマダ電機が大塚家具を吸収合併するとの記事が報じられて久しい。家具・インテリア業界は新築住宅の着工件数が少子高齢化とコロナ禍で停滞して、大型家具の需要は減少傾向にある。このため、この分野を得意としてきた町の小さな家具屋さんは窮地に陥ったのだった。優れた品質の家具を丁寧な接客で販売するスタイルはすでに過去のものになろうとしている。

 

  この業界で伸びているニトリは、すでに家具から雑貨などの小物にその軸足を移している。先日、我が家の木製の棚を処分した。板をひとつひとつ外してゆくと、何と小さく名前と印鑑が押されてあった。この家具を製作した職人が自分の成した仕事に対する責任を表したものだったのであろう。家具職人としての矜持がそこにはある。

 

  世の中の流れとしては、標準化、見える化などと言って、個人の技術よりもマニュアル化されて、誰にでも再現可能な全体の最適性を重視する方向にあるといってもよい。人や、人が長い修行で培った技術を大切にすることが、だんだんとなくなってゆくことは、何とも寂しい限りである。