#最近の学びは:偉人・素顔の履歴書第33回 安寧の世を夢見た犬公方・徳川綱吉編 | 食事処 御来欧音おらいおーね(福岡県筑紫野市阿志岐1521‐1/ゼロ戦/鉄道模型/ガンプラ)







徳川綱吉というと、生類憐みの令に代表される独善的、独裁的なイメージ。
忠臣蔵の浅野内匠頭への厳しい処分や、儒学押し付け、徳川幕府の財政を悪化させたなど、悪政、悪口を挙げたらキリがない。

もっとも、私自身は浅野内匠頭(浅野長矩)が刃傷沙汰を起こしたのは、心の病か癇癪持ちだったという説(今日でも「自分の悪口を言ってるような気がするから隣人を刺した」・・・・ようなニュースがありますね)を信じており、吉良上野介(吉良義央)がいじめた、賄賂を要求した(もともと吉良や今川、大友といった高家は、名門だが石高・領地は少なく、有職故実・礼儀作法の教授料で生活していたので、報酬請求は当たり前だった)のが原因というのは信じてない。
また、浅野長矩の切腹・改易は「天皇の勅使の前で刀を抜いた」為であり、徳川綱吉としては座視できなくて当然のことと思う。
※依然、どなたかが本に書かれていたが、「仮に本当に吉良義央に遺恨があったとしても、江戸城外で斬りかかれば、処分はずいぶん違っていた」というのに賛成だ。

脱線したが、徳川家康・徳川秀忠・徳川家光と、創業から親政を敷いた将軍が三代続き、名君と呼ばれた暴れん坊将軍・徳川吉宗(八代)との間に徳川綱吉が目立っている。彼を挟む四代・徳川家綱、六代・徳川家宣、七代・徳川家継は全然目立たないが、良くも悪くも目立つ綱吉は、現代風にいうと「レッテルを貼られやすい」人物なのは間違いない。

でも、U-NEXTで徳川綱吉を観たら、彼が非常に勤勉で政治思想に私利私欲がない清廉な人物だったことがよく分かった。
惜しむらくは、長兄達の相次ぐ死で急に将軍になった為、きちんとした帝王学を受ける暇がなかったこと。この為、為政者の思いが庶民に伝わるか!?ということが最後まで理解できなかったし、庶民も理解できなかったそう。

そういえば、NHK知恵泉でも山本博文先生が「綱吉としては、国のトップである自分が良いことをしようとしているのに、何故庶民が従えないのか分からない」「良いことをしようとした綱吉が庶民から犬公方と呼ばれたこと自体、理解されていなかった証拠」と言ってたなあ(笑)


当時は江戸時代といっても、まだ戦国の遺風が残る殺伐とした時代で、捨て子や病人がいてもほったらかし、作業に使っていた馬が倒れてもそこに棄てていくモラルもへったくれもない時代だったのだ。
綱吉がやりたかったことは社会全体の倫理観・モラルの向上。
でも、信頼していた大老・堀田正俊は暗殺されるし、綱吉時代に天災地変が相次いだことで庶民からは「これは将軍の政治が悪いからだ(綱吉の嫡男も早世している)」と陰口を叩かれる始末。綱吉は次第に心折れ、孤独になり、生類憐みの令だけがエスカレートしていき、亡くなった。
トドメは次代の将軍・徳川家宣が重用した著名な学者、新井白石が「綱吉時代の政治は間違っていた」と批判したこと。
死人に口なし。新政権の政策の正しさをアピールする為、徳川綱吉は死後、様々な批判を一身に背負わされることになった。

でも、今回1番大きな学びは、そんな徳川綱吉が徐々に再評価され、「悪政で混乱を招いた独裁者」から「戦国の遺風を排除し、文治政治へ移行した将軍」として扱われているということだった。綱吉もきっと溜飲が下がる思いだろう・・・・。



最近の学びは

 

 

 

 

 

同じネタで投稿する

 

他の投稿ネタを確認する