本日5-4Day!②DD54形ディーゼル機関車33号機(寝台特急出雲/京都鉄道博物 | 食事処 御来欧音おらいおーね(福岡県筑紫野市阿志岐1521‐1/ゼロ戦/鉄道模型/ガンプラ)
イメージ 1
イメージ 2
イメージ 3
 
本日は5-4Dayですので、NゲージのC54に続いて、DD54形ディーゼル機関車です。
 
無煙化が進む昭和40年代、地方幹線では未だに蒸気機関車が就役しており、電化
されていない区間の無煙化についてはDF50形ディーゼル機関車が昭和30年代に
投入されていたものの、DF50はD51形蒸気機関車などに比べれば出力不足でした。
更に、1000馬力級エンジン2基を積み、液体式変速機を備えた国産の本線用
ディーゼル機関車DD51形の開発が済んでいましたが、山陰本線の福知山機関区・
米子機関区にはドイツ・マイバッハ製のディーゼルエンジン・変速機(ライセンス
生産)を搭載したDD54形が配置されます。
 
イメージ 4
イメージ 5
イメージ 6
 
当初の予定通り、蒸気機関車の置き換え・無煙化を推進したDD54形は東京~
浜田間の寝台特急出雲の牽引機に充当され、この33号機を含む米子機関区の6両
が20系客車牽引対応改造とヘッドマーク取付金具が設けられました。
しかし、C54・EF54と同様の「54」という数字のジンクスからか、故障の頻発
に悩まされ、しかも心臓部分が海外からのライセンス生産品であることから抜本
的な解決に至らず、僅か10年足らずでDD51形に置き換えられるという悲運の
新型機として歴史に名を残すことになりました。
 
イメージ 7
イメージ 8
 
C54同様、福知山機関区に配備されたという経緯や、期待の新型機でありながら、
故障頻発に悩まされて早期淘汰されたという結末から、機番54は大成できない
、54ジンクスという都市伝説まで生まれました。
しかし、その一方でDF50やDD51といった車種に比べれば少ないものの、C54の
2.5倍が製造され、しかも明確な計画に基づいて福知山機関区・米子機関区に
集中配備されて当初は一定の評価を得た(C54は2~3両ずつ分散配置され、傑作
C51と共通比較の後、低い評価が定着した戦後に福知山機関区に集中配備)こと、
そして、最後に残った33号機が鉄道博物館に保存されたことはまだ幸運だったと
思います。
 
イメージ 9
イメージ 10
イメージ 11
イメージ 12
イメージ 13
 
私は技術屋さんではありませんが、DD54という機関車を知ると、海外の技術を
ライセンス生産で導入するというのは決して簡単ではないことが痛感されます。
戦前、我国がダイムラーベンツの水冷エンジンをライセンス生産して、陸軍戦闘
機・飛燕や海軍艦上攻撃機・彗星などに搭載しましたが、空冷航空機用エンジンが
主流の我国では生産・整備に苦労したといいます。
単なるパテントの問題ではなく、技術の熟成にはやはり時間がかかるということ
なのでしょうね・・・。
 
イメージ 14
イメージ 15
 
京都鉄道博物館で見るDD54は、「54」のジンクスなど微塵も感じさせない明るい
制服に身を包み、輝きをたたえていました。
次回行くことが出来たら、出雲のHMを所望したいですね・・・。