2024.1.17D51形蒸気機関車D51-176号機を再訪問! | 食事処 御来欧音おらいおーね(福岡県筑紫野市阿志岐1521‐1/ゼロ戦/鉄道模型/ガンプラ)





一昨日は日田駅構内を散策しましたので、勿論
日田駅前公園のD51‐176号機を再訪問しました。


総生産数1,115両。
昭和11年に誕生したD51形蒸気機関車は、その数だけでも傑作機関車の名に
相応しい存在です。
国産貨物蒸気機関車の基礎を築いた先代D50形の性能を基本に、ボイラ圧力を
13kg/㎠→14kg/㎠へ引き上げ、更に車体に溶接を全面的に採用して軽量化を
果たし、動輪も頑強なボックス型動輪に変更しました。
D51が日本の国情に合った優れた機関車であったのは間違いありませんが、同じ
貨物用の9600形(770両生産)やD50形(380両生産)に比べて突出した台数が
製造されたのは、昭和12年の日華事変、昭和16年の対米英蘭開戦により、鉄道
輸送の主軸が貨物輸送に置かれ、本機の増産が最優先事項とされたためでした。
昭和19年以降に落成した1000番台以降の個体はかまぼこ型ドームを持ち、歩み
板やデフレクターを木製化した戦時型でした。
昭和20年の終戦とともにD51とより大型の貨物機D52の増産は一旦中止されます
が、戦時規格で造られた個体は材料や施工を標準形並に戻して性能回復が図られ
ました。また、戦後に同型機が台湾・ソ連向け(賠償用)として新たに生産され
ています。
 







このカマは大昔、日田の中央公園(三本松公園?)に置かれていましたが、ずいぶん前にこの日田駅前公園に移りました。
文字通り日田駅前の公園ですが、どちらかというと駅裏なのが残念です。
いずれにせよ、久留米市の鳥類センターのD51923と並んで実家から最も近い
展示機で、昔から馴染み深い存在です。
戦中・戦後は米原・糸崎・津和野機関区等に所属し、最後は九州に渡って
熊本機関区・南延岡機関区で主に活躍しました。